【書評!?】クラウディア・ゴールディン「なぜ男女の賃金に格差があるのか」(慶應義塾大学出版)
本稿のねらい
筆者は、ちょっとしたことがきっかけで法制審議会家族法制部会に関して調べたり勉強したりしているが、夫婦が離婚する際に問題となるのは、親子に関する事項(親権・養育費・面会交流等)のほか、夫婦固有の問題として財産分与に関する事項がある。
本稿では詳説を避けるが、法制審議会家族法部会の中間試案においては、「財産分与に関する規律の見直し」として次のようなことが提案されていた。
▶考慮要素の明確化
▶デフォルトルールの明示
なお、法制審議会家族法制部会第30会議で示された「家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けたたたき台(1)」においても同様の内容が提案されている。いずれにせよ、夫婦が婚姻中に取得・維持した財産を、離婚時にいかに分配すべきかという問題である。
▶考慮要素の明確化
▶デフォルトルールの明示
この財産分与の考慮要素をどう考えるべきか、法学的な解決は困難と考えており、その解決を経済学に求めるのが合理的ではないかと考えている。
(もちろん法学的なアプローチ〔例えば「特有財産」、逸失利益や因果関係等〕は必要であるが)
※ 法学的なアプローチでいえば、基本的には逸失利益の問題として考えることになると思われる。つまり、一方配偶者が子どもを養育する役割を引き受けていなければ、生涯年収がX円であったところ、子どもを養育する役割を引き受けたために生涯年収がY円(X>Y)となったため、その差額(X-Y円)を夫婦間で按分するというアプローチが考えられる。しかし、その差額を他方配偶者が受益していたわけではないく「補償」は困難である。むしろ他方配偶者が子どもを養育する役割を引き受けなかったため生涯年収がx円となるところ、子どもを養育する役割を引き受けていれば生涯年収がy円(x>y)となるため、その差額(x-y円)を夫婦間で按分するのが適当か??
特に、財産分与の性質として、一般的に認められている清算的要素のほか、「補償的要素」なるものを導入しようとすると、「所得(稼働)能力の補償」、つまり婚姻生活や婚姻中の役割分担に起因する「キャリアの喪失・減少」をいかに考えるべきかという経済学的な問題に直面することになる。
そこで、「キャリアの格差」について論じているクラウディア・ゴールディン「なぜ男女の賃金に格差があるのか」(慶應義塾大学出版)(本書)を手に取ったという次第である。
結論からいえば、本書は逸失利益アプローチでの解決の糸口の一部として統計の重要性を提供してくれるがそれだけである。(本書は注を除けば概ね300頁程度の書籍であるところ、読むべき頁数は全体で20頁程度であり、3000円も払って読むことを人に薦めることは躊躇われる)
なお、本書の原題は"CAREER AND FAMILY: Women's Century-Long Journey toward Equity"であり、筆者が読むところ、主たるテーマは男女間の賃金格差ではなく、育児の分担と仕事の構造に由来する家庭を持つ夫婦間あるいはパートナー間におけるキャリア形成の格差・不平等による賃金格差であり、それが一定のジェンダー規範を通して、社会全体で見れば男女間の賃金格差として反映されるというものである。(邦題は誤訳かあるいは訳者の思想的偏向によるものか)
本書の要約
本書を一言で示せば、次のようにいえる。
"Time is Money"
結局、育児等家庭内での役割分担がキャリア形成より優先されることで、時間をキャリア形成ではなく育児等家庭内での役割を果たすために充てざるを得ないため、その分、賃金が下がる(上がらない)という当たり前のことを言っているに過ぎない。時間と賃金(キャリア)、もっといえば家庭と仕事がトレードオフの関係にある。
本書を読んで
(1) 本書のコア
本書のコアとなるのは、家庭をもつ夫婦間・パートナー間において、①育児の分担の問題と②仕事の時間柔軟性の有無により不平等が生じ、それがキャリア格差や男女間の賃金格差に繋がるというロジックである。
特に①育児の分担の問題は、ジェンダー規範の存在が背景にあり、ジェンダー不平等にも繋がっているとされている。
まず、子どもを持つ選択・計画をし、実際に子どもを授かると、「少なくとも一人の親が呼び出しに対応しなくてはならない」(本書15頁)。
呼び出しに対応しなければならない親は、子どものために時間を空けておく必要があり、そのため、賃金単価は高いものの「柔軟性がなく時間帯が予測できないポジション」(同上)で働くことができない。
そして、えてして、呼び出しに対応しなくてはならない役割を引き受けることになるのは母親である(⇠ジェンダー規範?)。
仮に、家庭を持つ夫婦間・パートナー間において不平等やキャリア格差をなくすためには、いずれも賃金単価が高く柔軟性がないポジションで働くか、いずれも賃金単価が低く柔軟性があるポジションで働くかを選択しなければならない。
前者は、子どもの不測の事態への対応ができないこと、子どもと接する時間を双方が犠牲にすること、そしてシッター等「ケア部門」を利用するためのコストを考慮に入れて選択する必要がある。
後者は、よほど経済的余裕があるならともかく、子育てのための費用を賄うためには夫婦間・パートナー間の公平を犠牲にして「世帯収入を最大化」するインセンティブが働くこと、そして当然だが双方のキャリア形成を犠牲にすることから、通常は選択されない。
そうすると、結局は、夫婦間・パートナー間の一方(多くは父親)がキャリア形成を選択し、他方(多くは母親)が育児を選択することになり、ここに不平等やキャリア格差が生じることになる。
なお、ここまでの整理は、キャリア形成のみが重要であり、育児は重要ではないように映るが、そうではなく、キャリア形成により育児に関わる時間が取れないこともまた重要な問題である。
(2) 不平等の是正方法
家庭をもつ夫婦間・パートナー間の不平等を是正するための方法として、2つ挙げられている。
仕事の構造を変え時間柔軟性を向上させること⇢代替可能性
育児コストの軽減
本書では2つ目の育児コストの軽減は「補完的な解決策」(本書283頁)とされているにとどまり、中心的なテーマは1つ目の代替可能性の追求である。
なお、既存のジェンダー規範を作為又は不作為で変えても、上記「家庭をもつ夫婦間・パートナー間での選択」の図でいうⅡとⅢが入れ替わるだけで、不平等性は何ら解消されないことから、家庭をもつ夫婦間・パートナー間の不平等を解消する方法としては意味がない。
〜Column:弁護士業務は時間柔軟性があるか/代替可能性はあるか〜
本書によれば、「職業部門別大卒者の男女所得比率」が特に低いのが法学博士(JD)や医学博士であるとされており(本書221頁図8.4)、「男女不平等の度合いが最も高い職業は…医師、歯科医師、弁護士など」(本書225頁)とされている。
他方で、薬剤師に関しては、「女性薬剤師の収入の中央値は、男性薬剤師1ドル当り約94セントである」とされ、男女所得比率や男女不平等の程度が低い職業であるとされている。
その理由として、①薬局が企業化したこと、②医薬品の標準化が進んだこと、③高度情報化によりどの薬剤師でも顧客の処方薬リストにアクセスできるようになったことにより、代わりの薬剤師が簡単に見つかる、つまり代替可能性が極めて高いことが挙げられている(本書246-247頁)。
また、医師についても、小児科医・麻酔科医・産婦人科医に関しては、チーム診療やグループ診療のため、時間柔軟性があり代替可能性が高いとされている。
翻って、我々弁護士業務に時間柔軟性や代替可能性はあるだろうか。
インハウスの弁護士であれば、代替可能性は乏しくとも会社員である以上、時間柔軟性は相応に確保されていると思われる。
事務所の弁護士は、時間柔軟性や代替可能性がいずれも乏しいものと思われる。
とはいえ、それはなぜだろう。なぜ代替可能性が乏しいのだろうか。
おそらく、弁護士業務は医師の業務より専門化が進んでいない(専門化が困難である)ことや目標・ゴールが1つではないことが理由になろうかと思われる。
弁護士業務は極めて多岐にわたる上、仮に家族法を専門にしているとしても、その領域は相当に広く、一般化・類型化・標準化を成し遂げることは相当に困難である上、仮に成し遂げたとしてもルールの変更に応じて変える必要がある。(ルール変更が滅多に生じない医療とルール変更が頻繁に生じる法務の差異ともいえる)
また、目標・ゴールは依頼者・会社の置かれた状況や感情等に左右され、必ずしも客観的に明確なものがあるわけではない。(産婦人科医の場合は母子ともに健康・安全にお産させることが目標・ゴールであるが家族法を専門とする弁護士の目標・ゴールは無数の事項の組み合わせが必要である)
さらに、特に訴訟事件の場合、長期にわたる場合が少なくなく(これ事態改善の余地はあるが)、またそのための書類も相当に多いことなどから、代替は可能ではあるものの、そのための時間的ロスが極めて大きく、現実的ではない。
現在、リーガルテックと呼ばれる分野のサービスの進展は見られる上、法務領域のナレッジマネジメントも認知され始めているが、上記障壁は相当に高く、容易に崩せるものではない。
以上