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ケセラセラ...

久々にブレーンストーミングというか、なんというか

 最近、ライティングの案件が続いていて、それ自体はとても有難いことなんだけど、自分で自由に吐き出す文章が書けなくてモヤっとしてます。
 なんとなく思いついたことを、思いつくままに書き綴るのが好きなんで、ストーリーはともかく字数が決まってたりすると、それを埋めるのが大変なんです。だいたい最初に書いたものはショートで、いろいろ加えていくうちにオーバーしてしまうってパターンなんですが…で、後から見直したりすると重複した表現がある割に肝心なところが抜け落ちてたりするんですね。
 「求めに応じて書く」という行為は、なかなかに難しい。

閑話休題
 自分はどちらかというと「受動的な人間」で、周囲に自己アピールするとか、リーダーシップを発揮して集団を引っ張るということがとても苦手なのです。
 「能動的に振る舞う」ことが出来ないんです。自分に自信が無いというのが最たる理由なんですが、自分が正しいと思っていても、マジョリティの側には居ないと思い込んでるから、もっと言えば自分が正しいと思ってないからなんですけどね。間違っていても、自分しか困らない訳です。他者に対して責任を持ちたくない、非常に自己中な人間なのです。
 タイトルにもあるように、基本的には「ケセラセラ」です。
 「なるようになるし、なるようにしかならないし、ならないものはならない」というのが人生観かも。達観してるとか、諦観してるとか言われますが、だってそうじゃん!としか言えないのですよ。

 今までの人生、なるようになってきたから、これからもなるようにしかならないと思っています。高校生のときは、さすがにもう少し勉強しておけば良かったと思ってますけどね。なるようにならなかった…というか、なるようにしかならなかったから、そういう進路しか無かったのか、今となってはわかりませんが、それで経験したこともあったし、縁も出会いもあったので、まあ悪くは無かったのだと思うことにします。
 就職のときも、別に入りたくて入った訳じゃないけど、某国家機関の末席にいましたし、それを広言して怒られたこともあります。
 「たまたま」受けたら合格したので、他に考えるのがめんどくさかっただけなんです。それでも、まあ一応は「この組織でこういうことをやりたい」みたいなことを面接では言ったのですね。ただ、そのときに「ああ、理想を実現するには、もっと上の試験受けなきゃダメだったのね」と思いました。
 ずっと辞めたいと思ってたんですが、それもめんどくさかったんですよ。
 とりあえず定年まで逃げ切れるかなと…無理そうだったんで早期退職しましたけどね。
 がんにも罹って助かったけど、残りの時間がどれぐらいあるかわかんないのに、つまらない仕事、あえて言っちゃうけど「ブルシットジョブ」に人生使う気になれなかったんです。今よりも収入には困らなかっただろうけど、それ命と引き換えに出来るかと問われれば、NO以外には無かったですね。
 小役人続けても、やることは書類作成と整理、決まった制度施策の実行ぐらいなもんで、それに疑問を抱いても「やる」以外の選択肢は無いのです。それをやった結果、一般から何も評価されないんじゃ、やる気も無くなりますわな。「税金泥棒」とか「無駄な仕事作ってる」とか、さんざん言われましたね。自分が考えてやってるんじゃないのに。末端の使いっ走りをイジメても何も変わりませんがな。イジメやすいんでしょうけどね。学校現場でイジメが無くならないのは社会の構図ですよ。叩きやすいところを叩く。

 なぜか自分は小さい頃から面倒ごとを押し付けられて割を食うってことが多かったんです。ちょっと雑学小僧で頭良さそうに見える(頭が良かったわけじゃないです)のが癪に障ったんでしょうね。それで、そこそこ出来ちゃうから次々とやることが増えるのですな。
 んで、大人たちや先生なんかも過度に期待する訳です。「オマエなら出来る!」とかね。無理無理…そんな才覚なんざありませんわ。
 それで押し付けた人たちは手伝いもしないで、どっか行っちゃうんですね。だから黙々と一人でやるしかない。
 書いてて思ったけど、これってイジメだったんだな(笑)
 そのときは気づかなかったけど「ハラスメント」だよ、これ。
 イマイチ他人が信用ならないのは、そのトラウマだな。それで全部を自分が手掛けないと納得できなくて、何にも手が付かなくなるという悪循環。何かをやるのに個人の力だけじゃ、高が知れてる訳だから、頼れるところは頼ればいいのにね。
 それで最初に戻る。受動的に振る舞って、やれることだけやってれば楽、能動的になって他者を巻き込むのは嫌って考えに至る。
 それも含めて決めてるのは自分なんだけどね。
 「自分が認知している世界の在り方は、自分自身が決めてる」のだそうで、多種多様な事象の捉え方は個々人次第、人によって世界の見え方は異なっているらしい。
 人の行動は無意識が先行していて、意識は0.35秒遅れてそれを追認しているだけという実験結果もある。だとすれば、今この瞬間の行動は誰が決めているのだろう?
 たぶん、ここで取り留めも無い文章を吐き出すのが、今日の自分の使命なのだとしたら、それに甘んじよう。
 所詮、この世は「ケセラセラ」だ。なるようにしかならん。


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