見出し画像

今日の始まり

「毎晩お前が眠った五分後に宇宙が終わり…毎朝お前が目覚める五分前に宇宙が生まれているとしたら…」
「だとしたら・・・」
「〝死〟は何を意味しているのだろう?」
(「サイバーパンク桃太郎」冒頭より引用)

 以前、紹介記事を書いたTwitter上で見かけたMidjourneyでのAI作画による作品、単行本化されるそうで、今から待ち遠しい。
 コミック作品に於いて作画というのは構成要素の一つであり、魅力の一部ではあるが全てではない。コミック作品は基本的に読み物だからだ。記号としてのキャラクターが立っていれば、作画に多少難があっても面白い作品になるし、逆にむしろ「作画の揺れ」が魅力に転じたりする。クリエイティブであるということはそう言うことだろう。
 この作者はコミック作品の原作が本業とのことで、ヒット作を生み出し続けているクリエイターである。面白い原作に記号としてのキャラクターが付随すれば、十分に作品として成立することを証明した意欲作とも言える。
 作画はAIにコマンドで指示をして描かせてはいるが、ストーリーやコマ割りなど演出に係る部分は人間が創造しているのだから、最近のAIの発達によって出るべくして世に出た感がある。
 インターネット上に於いて、現実世界で会うことなく一つの作品を創り上げることが可能な時代の到来だ。音楽の世界では少し前からその流れがあったように思う。ネットを使えば作曲した譜面を、それぞれのプレイヤーが演奏し、一つの楽曲にまとめることも当たり前になってきている。もちろんライブや生演奏、指揮者によって趣の違いがあるクラシック音楽などの魅力が褪せることは無いが、すでにミュージシャンや歌手になるために上京するとか、そういったことは過去の話になりつつある。世界中どこに居たとしても、誰もが発信者になれるのであるから、お偉いさんの眼鏡に適う場所に移動する理由が無いのだ。映像作品にしても文芸作品にしても、絵画や写真、イラストなどでも、個人が自由に発信したものにファンがつくようになった。
 この時代に於いて、クリエイティブな活動が現実の個人の居場所に左右されると思う人はいないだろう。
 イラストレーターや漫画家になりたければ、とりあえず作品をネットで発表してみればいいし、文筆家に憧れているなら、こういう場所で書いてみればいい。ダンサーやミュージシャン、映像作家などになりたいなら、YouTubeやTikTokにアップしてみればいいのだ。
 チャレンジする垣根は低くなって、あらゆる才能が世に出やすくなったと思う。良い時代だ。自分以外の誰かの恣意的な選択を経ることなく、自分の作品を再三者に公開して反応を見ることができるのだから。

 さて、これを寝ぼけ眼で書き始めた時は、こんな「ネット社会の創造性」みたいなことを書くつもりではなかったのだが、いつの間にかそういう話になってしまった…
 本当は自我とか意識についての話を書こうと思ったのだよ(笑)
 眠っている間の自我の在り処とか、そういう話。睡眠中の自分がどうなってるかなんて誰も知らないでしょ?深い眠りに落ちている間に、一瞬にして世界が無くなっても気づかないと思うんだな、自分は。
 個人的な話、全身麻酔で手術を受けたことが数回あって、その間は自分が何をされてるのか全くわからない訳ね。目が覚めるから意識を失っていたことが理解できるのであって、意識が戻らなきゃそれは〝死〟ってことだよね?眠ったまま起きなかったら、それと同じじゃね?と思うのであるよ。
 永遠に目覚めない夢の中にいられるなら、それはそれで幸せだと思う。まあ、それが良い夢であったらの話だけど。悪夢が続いてたら地獄だよね…と、ここまで書いて「死後の世界」ってそういうことなんじゃね?とか、また突拍子もないことを思いついたりするのだな。頭、大丈夫か?俺。
 自分が生きてるか死んでるかなんて、たぶん永遠にわからない気がする。ある考察によれば、この現実世界が夢のようなもので、肉体が終わりを迎えた先に本当の世界があるなんて考え方もあるようだしね。古来から「胡蝶の夢」とかで語られ尽くした感はある気がするけど。
 自分が意識を失わない限りは、自分が生きてると思うしかない訳でね。それは間違いなく現実だと思うしかないのだよ。だって証明しようが無いのだもの。自分以外の意識の存在なんて客観的にはわからない。話している相手も、見ている景色も自分が認識しているから「存在する」と思ってるだけかもしれない。
 ときどき考えることがある。あの時、あの瞬間に自分はもうこの世に居なくて、今見えてるのは死後の夢なんじゃないかと…だって、楽しすぎるし都合が良すぎるんだもの。
 あ、「これは夢だ」と思えば、もう楽しいと思うことを片っ端からやったもん勝ちでしょう。ただし、犯罪行為以外ね(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?