【3分で分かる世界史】ペルシア戦争からアレクサンドロス大王#3
どうも、グラねこ🕶です!
今回は、ヨーロッパの歴史第三弾ということで、ペルシア戦争からアレクサンドロス大王について解説していこうと思います。
まず、大まかな流れは、ペルシア戦争→アレクサンドロス大王の父ちゃん→アレクサンドロス大王です。
ペルシア戦争は、アケメネス朝ペルシアという今の中東あたりに位置していた巨大な国が、アテネとスパルタに戦争を仕掛けたのが始まりです。
そして、この戦争には大まかに三つの戦いがあります。
マラソンの起源で有名なマラトンの戦い→将軍テミストクレスが率いたサラミスの海戦→スパルタと連合したプラタイアの戦い
そして、この三つの戦いでアケメネス朝ペルシアを退けることに成功しました。
しかし、戦争に勝ったが故に、ギリシャでは、アテネとスパルタではどちらがギリシャの主導権を握るかというところで対立が起きました。
そこで、アテネはペルシアの来襲に備えてデロス同盟作り、スパルタはアテネに攻められると勘違いし、ペロポネソス同盟を結び、ペロポネソス戦争に発展しました。
そして、この戦争に今のエジプトである当時のテーベが参戦し、より混乱しました。
その後、マケドニアという国のフィリッポス二世がこの戦争に参戦し、アテネとテーベの連合軍をカイロネイアの戦いで破り、コリントス同盟を作り、ギリシャを統治するようになりました。
また、このフィリッポス二世の子供である、アレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを倒すために、東方遠征を始め、ペルシアをイッソスの戦いやアルベラの戦いで追い詰め、最終的にインダス川まで攻めました。
しかし、彼はインダス川から戻っているときに、32歳の若さでこの世を去りました。
その後、彼の後継者を主張する者たちが、独立して、アンティゴノス朝マケドニアやプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアなどを立てるようになりました。これをディアドコイ戦争と言います。
いかがでしたでしょうか?
世界史はこのように、ざっくりした流れを理解した上で深堀をしていくと学びが深くなるように思います。
ご自身でも、世界史を学んでみたいという方は、ぜひ下の書籍選からご覧ください。
また、ヨーロッパの歴史について色々書いていますので、ぜひ一度ご覧ください。
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