日本におけるAIの著作権について

はじめに
 AI画像生成を大きく変えたモデル、Stable diffusionが公開されて五か月ほどになる。この技術革新はサブカルチャーにおいて必須ともいえるイラストと、その提供者の絵師ら、消費者であるファンの感性を大きく変えた。そこで、しばしば「神」とまで言われる絵師とそのファン、全体の状況について考察していく。

 目次
既存の著作権法について
プロンプトについて
著作物利用の危険性について
おわりに

既存の著作権法について

 第一に、AI画像生成(以下、AI生成)は著作物を大きく二次利用するものである。多数の画像を読み込ませ、それぞれに特徴つけを行い、言葉等の指向性を加えることで成立する。
ノイズ画像から生成する場合、
(text to image. t2i と俗称される。)
画像から画像へと変更する
(image to image. i2iと俗称される。)場合でも、この大前提からは逃れられない。著作物に絶対的に依存する、というのが現在のAI生成の本質であろう。
 ゆえに著作権法の重要度は特に高い。では著作権法にこれがどの程度明記されているのか。主な表記としては著作権法第三十条の四が該当する。現在でも、画像生成は法整備が進んでいない段階であり、これ以上に明記されたものは見つからなかった。注意されたし。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048

(電子計算機による情報処理及びその結果の提供に付随する軽微利用等)
第三十条の四
情報解析(多数の著作物その他の大量の情報から、当該情報を構成する言語、音、影像その他の要素に係る情報を抽出し、比較、分類その他の解析を行うことをいう。第四十七条の五第一項第二号において同じ。)の用に供する場合

林芳正国務大臣の発言。(一部抜粋)
 第一に、情報通信技術の進展等の時代の変化に柔軟に対応できるようにするため、著作物等の市場に悪影響を及ぼさない一定の著作物等の利用について、適切な柔軟性を備えた権利制限規定の整備を行うものであります。  昨今の情報通信技術の急速な進展を背景に、ビッグデータや人工知能等をめぐる技術革新により、これらの技術を活用したさまざまな著作物等の利用方法が新たに可能になるとともに、将来においてもさらなる変化が予想されます。これらの技術を活用した著作物等の利用方法には、権利者の利益を通常害さないと評価できる利用形態や、社会にとって有意義であり、かつ、権利者に及び得る不利益が軽微な利用形態も多く含まれます。

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119605124X00720180413&current=1

畑野君枝委員の発言(一部抜粋)
電子計算機による情報解析などの著作物の利用は、現行法では、統計的な解析に限って無許諾で著作物の記録が許されています。しかし、改正案では、統計的にとどまらず、幾何学的、代数的な解析も無許諾で可能となるなど、権利制限の範囲を拡大できることになります。権利者団体から、利用者が拡大解釈した権利侵害が横行し、いわゆる居直り侵害者の蔓延を招くなど、懸念の声が上がっています。 法案は、著作物の利用について、「軽微」、「必要と認められる限度」、「著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」などの規定を設けていますが、その判断は結局、司法に委ねられることになります。積極的に訴訟を提起する土壌のない我が国では、権利侵害に泣き寝入りせざるを得ない著作権者がふえるだけではありませんか。


 原文から抜粋した。司法ではなく立法の視点ではあるが、社会的利益と侵害を懸念する声、その二つを比べた上でこの法案は可決されていた。即ち、今のような状況をおおよそ立法は黙認するものである、と考える。無論これは司法の判断によって容易に覆るものではあろうが、少なくともAI生成への国会からの風当たりは良い。
 しかし、流石に何でも許されるわけではない、というのが実情だ。

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119615104X00920180517&current=2

 こちらの議論において、著作権の侵害への議論がなされている。
 まさしく理解が不十分であるという結論が出ていた。近年アメリカの方でAI生成に関する裁判があるということもあり、筆者はそちらの判決に従うのではないだろうか、と推察している。

 プロンプトについて

 ではここで仮に、AI生成が絶滅しないような判決が出たとする。それでも問題は残っている。データの問題だ。
 初めに、データやプロンプトに特定の著作物を指定することは著作権法違反である、という立場をとる。
 現行法ならば「著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用」について、免罪的に了承されることになる。ここでにおいて無作為選択である画像のデータと表記抜けのないプロンプトは、上記を目的としていない証明として機能する。しかし同時に、それらはAI生成の利用者の著作権でもあり得る。生成された画像はひとまずは絵であり、当然著作権が存在するだろう。そして特定のデータとプロンプトはまさしく「著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用」を可能とするからだ。
 データやプロンプトを公開する義務と秘匿する権利。他者への義務と自己の権利がここにおいて明確に対立している。仮にデータとプロンプトの完全公開を義務づけたとしても、偽造の可能性が常に残り続けるだろう。

著作物利用の危険性について

 画像のみを著作権法違反の基準としても、更に別の問題が生じる。どうみてもオリジナルの画像に著作物プロンプトが使わている可能性が存在するからだ。
 金髪の和装のキャラと金髪の洋装のキャラがいたとする。これら二つのキャラ名を使い、一つのキャラクターを出すように指定すると、「和服でも洋装でもない、金髪のキャラ」というまさしく「オリジナリティのある、著作権を侵害している画像」が生成される。
 和服と洋装については問題ないだろうが、ここでは「金髪の表現」という著作物になりえるものを指定している。著作権のないプロンプトより更に特定の画像を出せるため、これが黙認されるのであれば、AI生成の定石となりうる。

 公開の問題と秘匿の問題。この二つは矛盾しており、「著作物に対して指向性がない、著作権をもつAI生成」というのは相当の無理難題であると考える。

おわりに

 クリーンな作品というのが無理、という主張を延々と繰り返してきたが、筆者はそれほど悲観しているわけではない。日本の著作権法が二百年ぽっちの若い法であり、盗難や恐喝の他の犯罪とは歴史の差があるからだ。
 AI生成と絵師、両者の共存できる世界は構築できるものとも思えるし、議論も完全に深まったわけではない。せめてこの記事が、問題と争点をまとめることに役立ってくれたのであれば筆者の本懐である。


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