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とうとう昨日入院しました。〜声を出して泣いた夜〜

とうとう入院となってしまった。

ギリギリのところで過ごしていた妊婦のお嫁ちゃん、ではなく…、咳と微熱でずっとモヤモヤしていた90歳の母が、昨日入院した。

昨日の朝いち、お熱は36.4℃。

11時半頃には36.8℃。

ここのところずっとそんな感じだった。

下がった思えばまた少しあがる。

体温計がつぶれてるのではと思うくらい、36.4℃〜37.1℃の間を行ったり来たり。

また少し上がってしまったことに、とうとう母は爆発。

「もう…!なんで下がらないの?!」

体温計を見つめながら珍しく声を荒げた。

ーーこれはまずい。

母の気力がもう限界を超えてきたと確信した。

咳は少しだがマシになってきたと感じていたので、もう一度かかりつけ医に診てもらってさらに新しいお薬を試すのが良いのか…、私としても迷いどころではあった。

「病院行く?もう一度診てもらう?」

母はしばらく考えた後

「…行こうかな」

そう言ったので、かかりつけのクリニックへ車椅子で連れて行った。

すぐに採血・レントゲン・CTを撮って頂いた。

鼻から検体を採取して、簡単なウィルス検査は陰性。

血液検査で炎症反応が高いと説明があり、このまま帰らず入院を勧められた。

そこまで悪くなっていたことに驚いた。

症状が少しずつ改善されていると感じていただけに、まさか入院になるとは…。

病院側からは、この土日にもし容態が急変したとしても、コンコンと咳をしているような状態であれば、どの病院もなかなか入院させてくれないかも知れないと…。

確かにそうかも知れない。

しかし果たして母がそれを受け入れるものかと、恐る恐る尋ねてみる。

「え?入院?!」

一瞬嫌な表情はしたものの、

「土日にさらに悪くなってもどこも診てくれないかも知らないから、今から入院させてもらって、しっかり治療してもらう方が安心じゃない?」

そう話すと、意外とあっさり

「そうだね。わかった」

と入院を承諾してくれた。

大部屋は空いてなかったのか、個室を提示され『こういう症状なので…』と説明を受けた。

母も返ってその方がゆっくり出来るかもと思い、ベッド代はなんと1日3,500円もかかるのだが、そんな長期間でもないし…とそれを受け入れることにした。

母はそのまま病室のある階へ移動。

もちろん私は病室には入れない。

連れて行かれる時、しばしの別れに母は一瞬不安な顔を私に向けたが、私は母の肩をポンポン叩きながら「すぐ退院できるから!がんばろ!」と、敢えて明るく振る舞った。

母が入院するのはいつぶりだろう。

1997年に子宮全摘術をし、あとは2017年に白内障の手術をしたぐらいで、そう考えるともう既に何度も手術を経験している54歳の私なんかに比べると、彼女は割と健康だったのだと再認識したりする。

事務の方から入院の説明を受け、入院誓約書など、何枚も書類を渡される。

土曜日で時間も既に午後になっており、受付がもう閉まってしまったため、提出は月曜日で良いとのこと。

一旦家に持ち帰るのだが、その中には〝リスク説明書〟たるものがあり、内容は〝転倒や転落〟〝骨折〟〝皮膚剥離や皮下出血〟〝誤嚥や誤飲〟など、危険性が伴うことを理解してくださいという書類である。

それはそれは恐ろしいことがズラッと書かれており、逆に過去になにか医療事故や家族との間でトラブルがあったのか?と、少し不安になってしまう私。

それから〝急変時蘇生における希望書〟。

心肺蘇生に関しては、以前から母は私に『何もしなくていいからね』と話していたので〝希望しない〟にチェックすることは決まっているのだが、いざその用紙を手にすると、とても緊張した。

それは90歳になった母親が入院したという現実を真正面から受け止め、万が一のことがあるかも知れないという覚悟を持たないといけないことを証明した。

病棟の看護師さんに母のこれまでの生活や既往歴などを話した後、母の荷物を取りに一旦家に戻る。

家族LINEに入院のことを簡単に書き込み、なぜか色んな場所に分けて置いてある母の大量の薬をかき集め、いるであろうと思う物をカバンに詰め込み、寂しくならないよう簡単な手紙を書いて荷物の間に挟んだ。

予定は1週間。
主に抗生剤の点滴治療。

病棟の看護師さんが言うには、早く回復すれば火曜日退院できるかも知れないが、こればっかりは分からないと。

自転車に荷物を積み病院に行くと、ちょうど先程の看護師さんが通りかかり、私は『よろしくお願いします』と頭を下げ荷物を手渡した。

その後スーパーで買い物をし、家に帰り遅いお昼を食べた。

買ったのは牛丼とうな重のハーフ&ハーフ。

普段はそのようなものは滅多に食べないのだが、体が動物性タンパク質を無性に欲していた。

食べ終わって時間を見るともう16時だった。

疲れがドッと押し寄せてきた。

母が入院した事で、私は抜け殻になったような気持ちになった。

そう、蝉の抜け殻のように。

この2週間、ずっと母の苦しそうな咳を聞いてきた。

私も咳をしてたので、たまに咳の二重奏を奏でたりもしていた。

母の咳はなんというか、本当に死んでしまうのではないかと思ってしまうような、細かく途切れることのない苦しそうな咳だった。

入院することになって、正直ホッとした自分がそこにいて、その事が娘としてなんだか許せないような気がしてしまうのだった。

ーー夜は眠れるだろうか。
ーー部屋は寒くないだろうか。
ーーちゃんとナースコールを押せるだろうか。
ーーひとりで寂しくて、またおかしなことにならないだろうか。

心配してもこちらから母に聞くことは叶わない。

荷物と一緒に入れた手紙には『寂しくなったら電話してきていーよ』『困ったことがあればすぐに看護師さん呼ぶんだよ』『何か欲しいものがあったら電話してきてね』などと書いたのだが、母のことだ、遠慮してどれひとつしない気がする。

いや、きっとしないだろう。

ーー今日と明日は抜け殻のままでいよう。

月曜日には入院費用の前金とサインした書類を病院まで持って行き、その後、また息子の家に手伝いに行く予定。

もちろん母には会えない。

ーーこの土日は抜け殻でもいいよね。

再び私はそう口にした。

そう口にした矢先『あ、電話しなくちゃ』と思い立ち、ディサービスの施設とケアマネさんに連絡。

入院した経緯を話す。

遅いお昼ご飯を食べたのに、不思議なことに夜にはまたちゃんとお腹が空く。

ーーちゃんとご飯食べたかな。
ーーきっと久しぶりの入院でソワソワしてるだろうな。
ーー足らないものあったかな。
ーー泣いてないかな…。

〝せん妄〟のことは院長先生にも看護師さんにも話をした。

もしかしたら環境が変わってまたおかしなことになるかも知れない。

でもそれを心配しても仕方ない。

向こうはプロなのだから、お任せするしかない。

そんな事を考えていると、テレビでいきものがかりが『ありがとう』という曲を歌っているのが流れてきた。

それを聴いて、私は泣いてしまった。

泣き出すと、涙が止まらなくなってしまった。

ーーあれ?なんで泣けてくるんだろう…。
ーー死ぬわけじゃないのに…。

やっぱ抜け殻にはなれない。

頭の中は母のことでいっぱい。

どうか早くまた元気な母に戻りますように…。

いちにちでも早く退院できますように…。

曲が終わっても、私は声を出して泣き続けた。

“ありがとう”って伝えたくて 
あなたを見つめるけど
繋がれた右手が 
まっすぐな想いを 
不器用に伝えている
いつまでも ただ いつまでも 
あなたと笑っていたいから
信じたこの道を 
確かめていくように 
今 ゆっくりと 歩いていこう

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