無意味と思う日々は無価値ではないと思うのです
多分何に対しても"意味"を見出せないとやれないんです。
やはり、理由がないと。
"これを習うのはこういう風になるために必要だから"
とか、
"この人に出会ったのには何かしらの理由があったんだ"
とか。
無意味っていうものが、時間の無駄に思えて怖くなるんですよ。
だから割と短いスパンで
"本当にこれは要るの?要らないの?"という物事に対する断捨離を行います。
少しでも違和感を感じたら、
と。
だからこの何の理由もなさそうに見える日々、実はこの不安を超えた先に見える場所に
未だほとんど到達できていないんじゃないかって。
一見無意味に見える時間をグッと超えて、後から
"あれってここに繋がってたんだよ、ちゃんと。"
って言える日の為に。
もしかしたら無意味のままかもしれないけれど、それでも無価値ではないと思うのです。
その日々はきっといつか、何かと繋がるんでしょうね。
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