妊娠日記12 「母親になること」への抵抗
彼に電話で、今朝目が覚めた瞬間、まず恐れの感情が浮かんできたことを話した。
「いつかママになったら」とかじゃなく「現実的に、8ヶ月後に子どもが生まれてくる可能性が高い」という状況に置かれた今。
私は「母になることへの抵抗」を感じていることを認めざるをえない。
「出産なんてするかわからないしな〜」
「別にすごく子どもが欲しいというわけじゃないし〜」
と思っていた頃は正面から向き合わずにいられたことに、「どうやら妊娠しているらしい」という事態になってみて、いやでも向き合わざるをえなくなった結果の抵抗、だと思う。
母になることへの抵抗というのはきっと、私がこれまでに積み上げ、形作ってきた「母」というものへのイメージのせい。
そのイメージは、私が見聞きしてきたいろんな情報や、街中とかいろいろな場所で実際に目にしてきた子連れの女性から受け取る印象でできている。
私がいつしか自分のなかに作り上げてきた母というものへのイメージは決して、私にとって心から憧れることができるものではなかった。
それはたとえば、
「女性は母親になったら『女』ではなくなる」とか、「夫から女として見られなくなる」とか、「自分に手をかける余裕がなくなって見た目が衰える」といったこと。
また私のなかでは、「母」にはどうしても「自己犠牲」「不自由」といった概念がつきまとう。
世の中の母親たちや夫婦たちを見たり、ニュースを見たり、また世間が母親というものをどう見、どう扱うかを目にすることで私のなかにいつしか醸成された、「母親とはこういうものなんだろう」という、イメージ。
これまでは出産に関して、女といえど「まあ私には関係ないし……」と傍観を決め込むことができた。
けれど今はそうはいかない。
私の中で「母」に対して持っているイメージ・思い込みを塗り替えていくことが必要だと思う。
あるいは、今のイメージ・思い込みを抱いたまま、時間をかけてそれと折り合いをつけていくか。
そんな話を、彼は「うん、うん」と相槌を打ちながら聞いてくれた。
彼からしたら、妊娠を告げてから私について新しく知ることが多いというか、「杏奈はこんなことを考えてる人なんだ」って思うことが多いと思う。
杏奈がどんなことを思ってるか、どんなことが不安だったり怖いのか、こうやって僕にもちゃんと話してね、と彼。
男の僕にはやっぱりわからないことも多いから、言ってもらわないと杏奈を不用意に傷つけるようなことをしたり、言ったりしちゃうかもしれないから、と。
私がもともと彼とお別れしようと思った理由は、私が彼に、本当に知ってほしいこととか話したいことを言えなかったことが大きい。
勝手に遠慮したり、顔色をうかがったり。
でもいまは、ただでさえ東京と京都で離れているのだから、ちゃんと自分のことを話さないと、と思う。
今日も1時間半くらい話した。
こんなにあっさり妊娠するなんて、もちろん私たち二人とも思っていなかった。
でもお互いに浅い気持ちでこうなったのではないということを確認できてよかった。
妊娠をこのタイミングで、というのは私にとって意外なことだったから、まだ心は追いついていない。
だけど「母になることに抵抗がある」っていうのは、心が追いついていないがゆえにまだぐずぐず言っていたいだけで、ちゃんと今回のことを受け入れているよ、決して私の意に反した出来事じゃないんだよ、とも彼に伝えることができた。
今までずっと杏奈のことが好きで、今ももちろん大好きだけど、妊娠したって聞いてから、よりちゃんと杏奈のことを愛そうと思った、と彼は言ってくれた。
彼の「愛する」は多分、私が思っているよりもずっとずっと、重みのある言葉。
そして心を開いて話してくれてありがとう、嬉しかった、とも言ってくれた。
わりと言いたいことをなんでも言ってそうで、他人がどうしようが意に介さないほどマイペース、
そんなふうに見られがちな私だけど本当は臆病だし、他人に心を開いて自分の話をするということを、本当にはしてこなかったように思う。
だけど、お腹の中に宿ったものが、私にそれをさせてくれたのかもしれない。
そして私たちに、愛の道を歩ませようとしてくれているのかもしれない。
そう思うと感動して、電話を切ったあとなんだか泣けた。
それから「蝶々、ママになる」を読了。
「ああ、いいなあ」とちょっと出産に希望が持てたところで、やめておけばいいのについYouTubeで陣痛出産ドキュメンタリーの動画を探して見てしまう。
産婦さんの絶叫を聞き、「やっぱりこんな目に遭うの無理……」と泣きながら就寝。
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