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invisible holidays (2020.11.01~11.10)


 2020年11月01日

 正午までには職場に着かなければならない。しかし地元からでは特急を使っても二時間掛かるし、もしかしたら間に合わないかもしれない。実家では酷く気持ちの悪いテレビ番組が流れている。ゾンビにしたって造形が壊れ過ぎている。きっと世界の終わりを描いた物語だ。私は実家の居間で酷くゾッとした気分になっている。父親や親戚の叔母さんと一緒に駅に移動したものの、改札のシステムが旧式で良く分からない。駅舎は薄暗くて汚い。分からないまま改札の機械を触って先に進んだら、通れてしまったみたいで、しかし荷物は待合室に置きっぱなしのままだ。特急はいつ来るのだろう。服も着替えなくてはならないし、もう遅刻していいや、という気持ちになっている。何年か振りに部屋にスマホを忘れた。何年振りだろう。スマホを忘れると何も出来ない。日記も書けない。今日はずっと頭が痛くて、帰りの電車でピークに達した。寝起きから寝床の相性が悪くて首や腰を痛めていた、というのもあるのだろうけど、偏頭痛や緊張性頭痛というより、これは風邪の頭痛に近い。軽い吐き気もする。とにかく息苦しい。仕事中はまだメモ帳でプロットを書き進める余裕ぐらいはあったのに、どうにも、朝でも夜でも電車に乗ると体調が一気に悪化する気がする。でも風邪さえ引けない時節である。全く厄介なものだ。虫が湧いてきた。一昨日も同じ場所で同じ虫を見たはずだ。虫は壁を這っている。触角をぶねぶね動かしている。私の動きを関知したのか、車両を繋ぐ扉の隙間に隠れた。私はまだ虫に耐性があるけれど、真向かいに座る若い女性の足元にも現れようものなら一騒ぎになりかねない。それに私だって不意に靴に登られでもしたら心臓が引っくり返るだろう。頭痛と虫の気配で眠れもしない。虫が一度にゅっと現れ、私の足の動きを察知して隙間に戻り、がらがらがらとおじさんが扉を開けてしまって私は唖然とした。気合いを入れるために私は駅前の中華料理屋でネギラーメンを食べた。隣に座る女性が、最近直ぐに眠れるの、前は二時間ぐらい眠れなかったのに、と相方の男性に喋っている。年パスとコートなら、同じ値段でコートのほうが欲しいの。男性は年パスの値段を調べる。年パスって結構安いね、片方だけなら六万何千円なんだ。両方だと九万九千円、大体十万円だね。私はまた気合いを入れるために辛味の利いたスープを飲み干した。駅前の弁当屋が潰れた。そういえば、駅前の年季の入ったおんぼろ呑み屋が潰れて、新しい小綺麗な呑み屋に入れ替わっていた。あのおんぼろ感は嫌いじゃなかったから、あれは、勿体無いと思う。部屋に帰って、一日一呟いて、艦これ少し触って、雪風さん改二という情報を得て、日記書いて、もうへとへとになった。頭が痛いから何を遣っても疲れる。しかし布団に倒れるとまた頭が痛くなる。仕送りの貯金崩して本格的に寝床を入れ換えようと思う。神奈川の友達は新潟に温泉旅行に出掛けていて、私もここ最近のお出掛けの写真を送ろうかなとも思ったけど、新潟旅行と都内探索とでは格が違い過ぎたので、やめた。マツモトキヨシで発見したドライフルーツを摘まみながらオールドパー12年のロック。後味に威厳がある。よゐこの○○生活の一番新しいのを観ていたら、とんだ夜更かしになってしまったけど、面白かった。名作ゲームは偉大だ。夜更かしはともかく、やっぱり首が布団に噛み合わない気配。全身で痙攣して跳ねる。跳ねる。跳ねる。お布団で眠れないって、私はどんな地獄の呪いを喰らってるんだ? 折角楽しくなってたのに頭が痛くなってきた。泣きたくなってきた。湿布も切れた。跳ねる。跳ねる。苛立ちで死にそうになる。私は私の地獄を上手く言葉に出来ない。死ぬ程に苛立たしい。この場合は一体誰が死ねばいいんだ。


 2020年11月02日

 凄く有名な文豪達がまだ生きていて、私達は彼等と一緒にかなり緩いバラエティ番組を撮っている。私はいまいち眠れないが、文豪達は古い船内の個室を模したホテルの一室で横に並んで寝ていて、私達は彼等の寝顔にカメラを向けた。一番の最年長の文豪は、動きは若干ぎこちないけど、まだまだお茶目に振る舞っている。そこから時代劇パロディが始まり、何処かのホールの玄関で、綺麗な格好をして逃げ出した姫様が最年長の文豪様に助けられるという茶番劇が行われた。私は文豪様の取り巻きの一人を演じている。テロップのようなものを掲げる。旅番組のように何処かの土地を訪れたり、怪獣が現れてみんなで怪獣が暴れるのを間近で鑑賞したり、なんやかんやあってバラエティ番組が終わり、私はいつの間にか実家の真っ暗になった居間にいる。実家は静まり返っている。若い女性の影が窓の外を歩いていて、玄関から入ってきた。玄関のほうに行ってみたけど暗くて良く分からない。祖父が向こうの廊下のオレンジの照明のしたを行ったり来たりしている。祖母の声がした。もう寝るで、と祖父が私に声を掛けた。虫だ。今回は、本物の虫だ。真っ黒くて醜い、しかも自棄に肥えて巨大な、虫だ。虫が私の部屋の扉に張り付いている。内側だったら悲鳴を挙げていたけれど、虫は扉の外側に張り付いて、一度危うく落っこちそうになってから持ち直した。私は自転車に掛けてあった傘を構えて叩いた。外したみたいだけど扉から落っこちて、私はアパートの外廊下のタイルに向かって何度も傘を振り下ろす。夜の十時にぱぁん、ぱぁん、完全に御近所迷惑だ。二度も扉のほうに駆け寄ろうとしてきたので三発目、当たった感触はないが流石に弱ったのか廊下の端の排水用の溝に潜んで動かなくなった。私は急いで部屋に飛び込んだ。今日は夜から雨が降り始めて、気温も下がってる。虫が這い寄ってくるような季節じゃない、だってもう十一月なのだ。或いは雨音が染みる寒さに追い立てられて、人間の営みの熱気に逃げ込もうとでもしていたのだろうか? 傘を忘れた私は小雨に濡れながら駅から部屋まで歩いた。中華料理屋さんが忽然と消えていた。如何にも潰れそうな中華料理屋さんで、一度しか寄ったことがなかったのだけど、瞬く間に更地と化していると流石に驚いてしまう。引き続きうっすらと頭が痛い。昼間に五苓散を飲んでちょっと楽になった。冷めきった部屋で陰気臭いWikipediaの記事をだらだら覗いていたらすっかり神経も体も冷やしてしまって、鳩尾は鳴るし、眠れないし、一先ずお湯を沸かしてインスタントの味噌汁を飲みながらぶるぶるしている。雨音がする。ぶるぶるする。動画を観て気分を建て直したのに、また死刑囚の来歴なんかを読み流してぶるぶるする。巨大な女の子が銀色の衣装を纏って祈っている。とても優しい顔で眼を閉じて祈っている。東京の夕暮れはもっと広々としていたはずなのに、歩道橋から眺める東京の景色は全て祈っている女の子の裾のなかに隠れてしまった。女の子は夜になると明るい赤色の衣装できらきらと笑っている。商店街から女の子が見えるのは夜の時間帯だけ、真っ暗闇に衣装が発光して、ただ顔の鼻からうえが、彼女の目元だけが、真っ暗だった。


 2020年11月03日

 概ねごっそり忘れてしまった。サッカーチームが国際試合の前に互いに円陣を組んでいたのは覚えてるけれど、本筋とはまるで関係がない。相手チームも円陣の掛け声に一部日本語を混ぜていた。折角の連休なので色々と用事を消化しようと思ったけど、寒さに身動きを封じられて、空きっ腹にバランタイン12年を流し込んだら頭が痛くなってしまった。日が暮れてから近所のホームセンターに出掛けて、マットレス、布団一式、枕を買った。部屋まで自力で運んだから疲れた。潰れた安物のマットレスのうえにサイズが合わない硬めのマットレス、そこに三枚の長座布団を組み合わせて調整するという酷い寝床だったので、今回古いものはロフトに放り投げて新しく敷き直して、ついでに積山の整理もした。


 2020年11月04日

 何をしていたのだっけ、そのあたりは忘れた。私がふらっと大学の構外に出ると交差点の向こうにコンビニがあった。私はたったっと走ってコンビニで適当にパンを買った。コンビニなのに食堂のように長机が並んでいて、友達が集まって食事している。友達とちょっとだけ会話する。テレビでは地下銭湯が紹介されていて……商店街の地下に潜ったはずなのにテラスが明るい……廊下を歩いていくと椅子がずらっと並んだ集会場と、大衆酒場がある。新しい枕は合わなかった。見事に首を痛めて頭に血が回らない。窓からは素晴らしい青空、連休二日目、なのに病院に行ったり何処かに出掛けたりする元気もなくて呆けている。昨日も日記を書く元気もなくて寝込んでたし、夜中は落ち込んだ気分になりながら意味のないことをずっと続けていた。レトルト御飯を湯煎したら、ポットに入るように切り落とした角からお湯が染みてしまって、御飯がふやけてしまったので、いっそレトルト味噌汁を突っ込んで猫まんまにしてしまった。地元では、これ、猫まんまと呼ばなかった気がするのだけど、はて。今日も日が傾いてから部屋を出る。冬場用の簡単な運動着が欲しかったのだけど、大宮のスポーツ用品店だと値段の桁が違っていて、結局UNIQLOになった。迂闊に都会の商業ビルをうろうろすると、自分の場違いっぷりにちょっと恥ずかしくなる。私には川口の端っこがお似合いだ。川口の端っこで、布団に寝込んで呻いているぐらいがお似合いなのだ。海老チャーハンのお店に寄ったら、蟹の脚を入れた味噌汁が出てきた。この脚は……食べるべきなのか? 福井県産まれで毎年セイコガニの細い脚をほじくっていた私だけれど、この狭い店内、隣に客がいるなかで殻を割ったり身をほじったりするのは気が引けて、結局汁だけを吸った。北浦和の銭湯に寄って、最寄り駅のスーパーで無駄に買い込んで帰宅、そこからまた、寒さと背中の痛みで布団に寝込んでしまう。Wikipediaで陰気な話題を漁っていたら夜になってしまった。新しい枕が壊滅的に酷かったけど、古い枕の一つが潰れ過ぎてかえっていい感じに薄くなっていたから今日はこれを試そう。倫理について、何故知識人や文化人は民衆の先導者を自負しながら愚かな大衆をあれだけ高慢に憎むのかについて……純文学なんてそんな自己矛盾の権化ではないか……それは恐らく「倫理の構築」と「法の布告」のズレにあるのではないかとだらだら考えてみたけど、頭が全然回らない、私は私の知っているはずの言葉を引っ張り出す元気もなく、私は私の肉体が、私の精神の翻訳機としては余りに傷み過ぎている事態に直面する。首と背中が痛いのに部屋には湿布もない。胸に腰サポーター巻いて姿勢を矯正してみてもかえって肋骨を痛める。寒いし息苦しいし天井はごとんごとんと鳴り始める。私は私の限界に頭をぶつけ続けて疲弊している。倫理というのは、最終的に己が己に責任を課すものである。他者が他者に課す場合、それはもう倫理ではなく法なのだ。そして知識人や文化人はその高い知性によって、人間がより良くあるための「倫理の構築」を行う。そして彼等がその倫理の実行者として前提とするのは、いつだって民衆だ。何故なら建前的に身分制度が失われた社会においては、あらゆる人民は等しい倫理体系に対して等しく責任を負わねばならないのだから。知識人や文化人は、王の倫理だの貴族の倫理だの、商人の倫理だの農民の倫理だのと倫理を区切ること自体が出来ない。けれど、彼等が構築した倫理はそう簡単に普及しないだろう。例えば、夫は妻の家事を手伝うべき、という倫理を普及させるには、この世には余りにも「夫」が多過ぎる。ここには金持ちな夫も、貧乏な夫も、東京の夫も、北海道の夫も、二十歳の夫も、七十歳の夫も、あらゆる無制限な夫が含まれる。そんな余りにも無数の「夫の倫理」が、尽く足並みを揃えて新しい倫理に賛同するわけがない。素直に受け入れる夫もいれば、頑なに受け入れない夫もいる。倫理が何より己自身を縛るものである以上、各々の夫がどんな倫理を持つかは極めて個人的な領域(私達はそれを価値観と呼ぶ)にならざるを得ない。仮に大規模なレベルで新しい倫理の普及を可能にするには、少なくともその前段階として、民衆にあまねく影響を与え得るような権力が、すなわち他者に責任を課す強力な法が必要になる。知識人や文化人の「倫理の構築」は、それを普及させる段階で必然「法の布告」にならざるを得ない。知識人や文化人はマスメディアと結託する。肩書きが幅を効かせ、本の帯には著名人の推薦の言葉が載り、遂には教育機関や行政とすら密接に連携する。彼等は「倫理の構築」の段階では民衆に希望を抱き、そして「法の布告」の段階に到って自分達に抗う民衆を憎む。権力に従うな、という言葉を普及させるためにも権力はいる。先生は要らない、と貴方がみんなに叫んだとき、貴方は既にその場の先生になってしまう。結局のところ、倫理が個人的なものである以上、幾ら知識人や文化人が革新的な倫理を構築してみせたところで、とある一般人Aがそれを受け入れるか拒むかは至極プライベートな(或いは確率的な)問題にしかなり得ないのだ。そして知識人や文化人が、高慢に民衆に向かって「法の布告」を始めれば、当然自分達の自由を拘束する権力と見なされて反発や反抗は起きてしまう。とある事例において、民衆達の倫理と、知識人や文化人の法、どちらがより良い未来に寄与するかなんて、私達にはとても予言不可能なことである。だからここで私は沈黙せざるを得なくなる。私達は何処までより良い倫理で自分を律することが出来るだろう。私達は何処まで無数に降り注ぐ「法の布告」を客観的に精査出来るだろう。そして私達は何処まで自分が「法の布告」に荷担してしまう可能性に慎重になれるだろう。私達は私達だって所詮は愚かな民衆の一人であるくせに、誰かの「法の布告」に便乗して倫理的に愚かな民衆達のうえに立とうとする。けれどそれもまた賎しい人間達による醜い背比べであるだけかもしれない。ところで夜食にイタリア・チーズのタレッジョと厚切りの玄米パンを食べたのだけど、美味しい。タレッジョはとろっとしたシンプルで優しい風味のチーズで、でも若干のエグみがアクセントになっている。角鷹の250ml瓶を入手。ロックにしてみる。匂いは微妙、舌にもっったりと薬草じみた甘苦さが喉に落ちていく。もっっっったりしている。なかなか抜けない。鼻には全然上がらない。氷が溶けてももっったりしている。ちょっと苦味が雑だけど、あるラインを越えて来ると殆んど甘味だけになってかなり呑みやすくなる。これはハイボールとかで薄めたほうが良さそうだなぁ。薬草じみた、という形容詞の系列だとバレンタイン12年が基準になってしまうから旗色は悪い。ホワイトホースのノンエイジに比べれば……ってところか。


 2020年11月05日

 けばけばしい化粧をした女の子達が、語尾を甲高く伸ばして静かな車内でずっと喋っている。寝不足の私は眉間に皺を寄せて扉に凭れている。昨日も夜更かしして四時間睡眠だから眠くて仕方ないけれど、新しい布団と潰れた古い枕の組み合わせは間違ってはいない。「倫理の構築」と「法の布告」は、本来宗教が得意とするところだ。ただし宗教における「倫理の構築」は神(神々)の要求するところになる。宗教家や哲学者はあくまで形而上学的な存在と人々とを繋ぐ媒介である。宗教においては人間の在り方は神(神々)によって「既に定められている」のだから、信徒達が己に課すことになる倫理は、最初から個人的なものとは言えない。倫理は形而上学的なものではない、倫理とは限りなく個人的なものだ、という近現代的な個の確立を測ったのはまさに近現代を担う知識人や文化人であったはずだけれど、しかしそれ故に、彼等が語り始めた倫理もまた全て個人的に選択されるものになってしまった。好きな本を読んでいい時代において、彼等の本もまた、他人にとっては「読まなくていいもの」になる。彼等がどんなに新しい倫理の普及、そして「法の布告」に躍起になっても、彼等の「個人的な見解」に耳を貸すか貸さないかを決めるのはいつだって私達なのだ。はて、寝不足で難しいことを考えるのはやっぱり酷だ。私は昔から言葉を厳密に定義して喋るのが苦手だ。息はまだ白くはならないけれど、流石に朝夕は肌寒い季節なので、二千円程の簡単な上着を一枚買っておいて良かった。眠気は酷いけど一周回って仕事中は穏やかな気持ち。帰りに古本市が開かれていたので三千円程また積読を増やしてしまった。電車のなかで寝落ちたらまた急激に頭が痛くなって、肩も凝るし、首は痛いし、背中は抉るような痛みが走るし、部屋は寒いし、体調的にも環境的にも何か活動的なことを遣るのは難しい。活動的なことが出来ないと、意味もなく何度も何度も頭のなかで繰り返してきた屁理屈のプレゼンテーションが始まったりして……秋田蘭画と岸田劉生……気が付けば時間だけがだらだらと過ぎていく。この無活動をどうにかしないとまた冬眠としか言えない無の季節が始まるだろう。酸素が足りない。血が足りない。神経が足りない。何もかもが足りない。日記をどうにか歯を喰い縛って書く。何も書くことのない日記を、既にうなじのあたりからすっかり記憶から零れて思い出すことも億劫な何もない一日を。タレッジョ終わったので次はフランスのコンテ・ルコット。ピースが大きい。皮付きなのでチーズというより見た目はジャガイモ? この臭いはなんだっけな……案外と簡単にスプーンが通る固さ。風味が重たくて、苦いぐらいに濃い目だけど後味が引かないのでわりと食べやすい。


 2020年11月06日

 睡眠は充分なはずなのに頭が動かない。眉間に淀みが溜まって仕事に支障が出る。今日は街に下水の臭いが漂っている。お婆さんがずっと座っていて、お爺さんが行ったり来たりしている。昼間には体調も幾分かマシになって、久し振りに神保町へ降りてみた。交差点のお蕎麦屋さんが潰れていた。職場近くのお蕎麦屋さんは二つ潰れたし、八重洲のお蕎麦屋さんも潰れていたから、お蕎麦屋さんには厳しい時節なのかもしれない。神保町の三省堂をぶらっと視察して、四階の古本販売でまた三千円程買ってしまった。この世には無数の書物がある。本棚には何万字を閉じ込めた紙製の箱が何百、何千冊も並んでいる。世界はそれだけ喋り続けたのだ。自分達の知っていること、知らないこと、考えたこと、考えなかったこと、あらゆる可能な言葉の可能性について。けれど私達が聴こえるのはほんの一握りの言葉ばかりだった。喋り声は遠ざかり居なくなる。新しい喋り声が始まる。世界はひたすら無数に喋って喋って喋って本棚を埋め尽くし続ける。私はこの一握りの世界の、さらにほんの一摘まみすら読まずに積み込んで、部屋の布団で寝込んでいる。そして私は小説を書いて、誰にも読まれない小説を書いて、私の知っていること、知らないことについて、誰にも聴かれないことを喋り散らかす。では私の言葉の意味とはなんだ? この焼けて朽ち果てそうな背表紙の行列に向かって、一体私は、私のお喋りの意義を、どう説明出来るというのだろう? 積読を増やしても時間と体力が足りない。健康も気温も足りない。何もかも足りない私が、何もかも足りないお喋りを延々と、細々と、途切れながら、続けるということ。それは兎も角としてやっぱり大型書店は楽しいな。楽しいけれど、途中から疲れて頭がぼんやりしてしまう。電車の床は濡れていた。そして臭かった。誰かが臭う液体を溢したのだろう。私はとっとと別の電車に乗り換えてしまう。部屋に帰って布団に座った途端、私の記憶はばっさりと霧に飲まれ、昨日みたいな頭痛はないけれど、息苦しいというか、胸からうえに血液と体液が登らない感じがあって、特に何か作業を進める元気もなくて、薄っぺらに押し潰された日記をどうにか書き繋ぐ。本は読めなくてもWikipediaぐらいの文章なら読めるので、最近一日一呟のネタが増え過ぎて、下書きが随分溜まってしまった。明日にでも一気に発散してしまおうか。その街は段々白くなる。輪郭はあるのに、色彩だけが白っぽくなっていく。ああ、デイジーワールドだね、と彼女はいう。そう、黒のパンジーは絶滅しちゃうの。痙攣して背中が跳ねるのだけはやめて欲しい。唐突に来るのやめて欲しい。しゃっくりも吃驚の仰け反りである。


 2020年11月07日

 地方の同人誌即売会に出るために親戚の家に泊まった……私は神奈川の地図を見ている。でも実際神奈川でも何でもない……はずなのだけど、全然内容を思い出せない。誰かの自動車に乗せて貰って、会場わりと近いな、と思った記憶がある。私はもうちょっと知らない街の冒険に勤しんだはずなのだ。寝起きから、面白いぐらいに首筋が張っている。昨日は夕食を抜かして寝てしまった。喉は渇くし、鳩尾は痛い。布団は以前よりずっと安定してるから、やはり問題は枕なのだろうか、首筋の痛みと鳩尾の痛みで午前五時に眼が覚めてから眠り直せないし動けない。一先ず朝御飯だけは食べた。私の一日はまたこうも捻れて始まる。美術館から外に出ると、太っちょの髭のおじ様……文学フリマでお会いした方に似ている……に声を掛けられた。美術館の関係者なのか、次回以降の展覧会について説明してくれる。でもこの美術館はメキシコにあるので簡単に何度も来れないのだ。何処にお住まいですかと聞かれたので、何故か私はワシントンの端っこですと答えてしまった。さてはて、今回の私は何処をふらつき回ったのだっけ、同級生達に会った気もするし、実家の家族と一緒にいた気もするし、マラソン大会的なものに混ざっていた気もする。旅は楽しい。私は私の知らない場所を歩き回って、私を勝手に満足させてくれる。とあるお婆さんが三百円を失くしたのに付き合っていたら、いつしか大事に発展してしまって、たった三百円の返金作業のために巨大な和風建築の御屋敷……或いは寺院の本堂だろうか……に案内される羽目になった。私達は指図を受けて塀の向こう側、立入禁止の区画に足を踏み入れる。御屋敷の入口を把握するために立体地図アプリを確認する。御屋敷は結構な大きさであるようだ。向こうの対応は丁寧過ぎる程に丁寧だった。事務手続きもスムーズに進めてくれて、お土産まで貰ってしまった。豪勢な場所だったけど、流石に建物内部の写真を撮るのは控えた。回廊には白い和紙に墨で書かれたものが掛けられていた。私は書類で自分の名前を書き間違えてしまって……戒名のようなものを書いてしまった……対応してくれたお姉さんに改めて名前を聞かれた。だけど、小学生低学年でも分かるような恐ろしく簡単な漢字の名前なのに、上手く伝わらない。あれこれお姉さんに手間を描けてしまったので、連れの青年に茶化された。教室が険悪な空気になっている。女の子が一人、何か主張しているのだけど、周囲がそれに難色を示している。私はご飯でも食べてたみたいで、彼女の主張は全然分からない。分からないので私は彼女に無神経なことを言ってしまって、彼女は遂に泣き出してしまった。私が他の同級生と喋っていたら彼女が戻ってきて、何でも励ましの手紙を貰ったとのことでもう泣き止んでいたのだけど、ヤラセやろー、と同級生の一人が叫ぶ。教卓から何か落ちた。チョークなのか砂糖菓子なのか、汚れたプラスチックの丸い箱に、カラフルな粒が入れられている。それと白い粉の塊が落ちた。舐めてみたら、若干甘い気がするけど殆んど味はしない。私は廊下に出た。新しい枕に変えたら今日の背中に噛み合ってくれたみたいで、私は午後三時までだらだら寝続けた。布団に敷いた電気毛布を蹴散らしてしまうので、暖かさに斑が出来てしまう。電気毛布がとにかく上半身のほうに上がってくる。一体何なのだろう、この不自然な自然現象。午後五時には外が暗くなってしまう季節である。私はUNIQLOで仕入れた運動着を着込んで、ゴリラ公園方面に軽くランニングをした。でも久々なので直ぐに息が切れてしまって、半分ぐらい歩いた。胸にポケットがあるのでスマホを入れてイヤホンで音楽を聴く。イヤホンが外れそうになって、何度も指で押し込む。運動用の取れにくいイヤホンが欲しい。今日は夜目が合わない。夜が曖昧である。夜の街はオレンジ色をしている。三十分程の軽い運動で部屋に戻ってきて、直ぐに着替えを纏めて近所の銭湯に行って汗を流して、コメダ珈琲店でInstagramに府中の写真を挙げる。Twitterにも挙げ終わる。挙げ終わったところで疲れてしまった。どうも同じ体勢で座って長時間スマホ作業をしていると血の気が引いてしまうらしい。遣りたい作業は溜まってるのだけど、血の気が引くと頭がぼんやりしてしまっていけない。今日のコメダ珈琲店は静かだ。秋のデザートが更新されてたので、かろやかチーズ頼んだ。冷たくて美味しい。旧岩崎邸庭園を退出した私は、そのまま煉瓦塀に沿って無縁坂を登った。塀に沿って折れて、塀に沿って三菱資料館前を歩いて、塀に沿って工事中の公園の横を歩いて……可笑しいな。どう考えても、旧岩崎邸庭園と国立近現代建築資料館だけの敷地にしては、塀が長過ぎるのである。塀の向こうには校舎のような建物がある。恐らくマンションじゃない、公共の施設だろう、この正体を探るために私は湯島の切通坂まで歩いて、ようやくそれが湯島地方合同庁舎であることを知った。坂の左手には巨大な湯島ハイタウンの絶壁、右手には湯島天満宮の入口がある。はて、湯島聖堂でも神田神社でもないのか。境内は神田神社と同様に、大都会東京によってカチカチに改造されてしまって華やかさのわりには威厳がない。宝物殿で河鍋暁斎が特集されてたけど、展示室は地下の一部屋だけで大した作品もなかった。ここで不用意に使ったなけなしの五百円のために財布が素寒貧になり、休憩のために飲食店に寄る余裕もなくなってしまった。私は珍しい銅製の鳥居を潜って境内を出て、再び切通坂へと戻って御徒町駅方面に下っていく。御徒町駅といえば、京浜東北線の民としては上野と秋葉原の間にあるただの通過点みたいな駅で、せいぜいアメ横の終着点ぐらいの酷く雑な印象しかない。でも御徒町は、副都心の一つ上野エリアの一翼を担っている立派に発展して栄えた土地なのである。松坂屋やPARCOのような大型百貨店もある。土日しか快速が止まらない御徒町のくせに……なんて思いながら私は駅前の富士そばで安いラーメンを食べた。それから御徒町駅から秋葉原駅まで高架沿いに散策した。アメ横の小汚ない喧騒と打って代わって、御徒町ー秋葉原間の高架下は閑静で落ち着いた雰囲気で、私には到底場違いな洒落たテナントが並んでいる。秋葉原を電気街とかオタク街などと安易に認識してしまうと色々見えなくなるものがある。秋葉原とは、上野と東京に挟まれた高層ビルが建ち並ぶビジネス街であり、山手線・京浜東北線・総武線・つくばエクスプレスが合流する場所であり、駅周辺の電気街エリアの喧騒から一歩離れてみれば、そこは大都会東京の「都心」千代田区なのである。そんな場所を私のような間抜けた田舎者が呑気に歩いている。とぼとぼと歩いている。午後十時を過ぎて、スマホの電池も切れてきたので私はコメダ珈琲店を後にした。ブラックニッカ・クリア。魔境に近い低価格帯でこのクオリティは強い。ジャパニーズ・ウィスキーはマイナーを攻めると玉石混淆なので、困ったらニッカのクリア、せめて角、という安牌を用意しておくのは大事なことだと思う。ところでまだトリス・クラシックは呑んでないのよね。今晩はアルコールが頭を妬いてズキズキする。近所からテレビの音漏れがする。


 2020年11月08日

 高台にあった原住民達の村は遂に攻撃を受けた。原住民達は村から逃げ出した。村に滞在していた研究者の男性も一緒に逃げ出した。彼の青い服だけがパートカラーになって画面に映えている。逃走する彼等を容赦なくトラックの土埃が襲う。少年が一人……彼は下半身を失って上半身だけで器用に歩いている……他の少年を励ますために、地面に不思議な文字を刻んでいる。私は病院を探して地下の階段を降りる。病院は混んでいて、食堂になっている。私は座席を探して奥のほうの部屋まで歩く。料金表の読み方がいまいち分からない。これは随分と待たされそうだ。電車のなかで、制服を着た女の子がずっとダンスの振り付けの練習をしている。隣に他人が座っても果敢に続けている。赤ん坊は悲鳴を挙げる。私は肩の痛みと頭の痛みで寝起きからぐったりしている。この何をやっても治らない慢性的な寝起きの肩凝り、首凝りは一体何なのだろう、最早前世からの呪いとしか思えぬ。最近は一向に終わりの見えないアメリカの大統領選挙を完全に他人事のように追い掛けている。他人事のように見てれば見世物として面白い。やっと勝利宣言が出たけど、どうなることやら。話が通じなかった。別のひとが慌ててシャッターを閉めた。名前だけを突然叫ばれても分からん。私はうんざりした。私は大抵ずっとうんざりしていた。メモ帳のプロットは不思議なぐらい順調に頁を増やしている。東京は雨が降っていた。埼玉は降っていなかった。首が痛い。筋肉が痛いのなら体操やマッサージをすれば治るだろうけれど、もっと根本的な骨や関節が痛んでる気がする。文学フリマを前にして執筆の進捗はゼロ。首が痛い頭が痛い背中痛いと血の気の惹いた頭でぐるぐるぐるぐるしているうちに人生が過ぎるのは、流石に不味かろうと思うのだ。明日何処か出掛けるためにInstagramに紫陽花の写真を挙げて容量を空ける作業。左眼が痒い。夜中にようやく文学フリマ用の短編を書き始めたら筆が進んで、二時間も書き続けてしまった。まさか仮題がまんまスカイツリーだとは誰も思うまい。prayer/pansy。更にInstagramに写真を挙げ続けていたら深夜四時、折角容量を開けたのに夜更かしで明日起きれないんでは本末転倒だ。明日は蒲田に行こうと思う。細かい予定はその場で決める。深夜帯からすっかり部屋が寒くなってしまった。


 2020年11月09日

 卒業式の準備で体育館が飾り付けられている。壁の飾りを何となく触ったらテープが剥がれてしまって、直そうとしたけど元に戻らなくて諦めて放り出した。屋外に壊れかけの茶色いソファが残されている。私はみんなから仕事しろ、仕事しろと急かされてソファを運ぶのだけど、裏から中身が飛び出してしまう。体育館の外壁に、脚立の踏板に黒塗りの本を並べた一画があって、私は脚立に登って窓からソファをなかに放り込もうとしたけど当然窓枠に入らなかった。薄暗い館内には屋根付きの観覧席が並べられていて、何処も殆んど満員で、みんな立ち見で卒業式が始まるのを待っている。私は中程の観覧席の後ろに回り込む。運良く座る場所を開けてもらったのだけど、結局体育館を抜け出して家に帰ってしまった。卒業式では有名な文学者達の講演が用意されていて、講演の映像がリアルタイムで配信されることになっていた。私はそれすら見ないで我が家の縁側で寝転んでいた。私達の集落はあちこちで工事現場の足場が組まれていた。祖母が何か喋っていた。私は、工事の足場がごちゃごちゃと絡み合う珍しい装いの集落の写真を撮ろうとする。祖母が錆びた壁に取り付けられた金属のつばのようなものを片っ端から折り曲げている。はて、私の家はこんなにボロかっただろうか。柱は朽ちかけていて、押したら折れてしまいそうだ。父親達が、きた、と声を挙げた。ああ、そうだ、今日は停電するんだっけ。私はやっと重い腰を上げて、卒業式の配信を確認するためにスマホの画面を見た。昼間になると上着一枚が暑い。電車のなかでレシートを整理したらまた家計簿の金額がズレている。さて、どうしたものだろうか。御徒町付近で京浜東北線が京浜東北線と並走している。あれ? 山手線じゃない? 東京から先の車窓はいまいち慣れない。有楽町駅の構内放送がはっきりと聞こえる。浜松町駅から伸びるモノレール、こんなにもはっきりと京浜東北線と並走していたっけ……? 京浜東北線は品川駅で山手線と決別してしまった。午後一時半に蒲田駅に到着。ちょっと涼しくなったので上着を羽織り直す。さて、JR蒲田駅で降りてはみたものの、何処に行けばいいのだろう? 駅前に周辺地図はあるけど観光案内地図のようなものはない。時間も少ないし、強情を張らずに素直にGoogle検索してみる。観光案内サイトの冒頭に出てきた羽田空港は勿論、六郷神社も、聖蹟蒲田梅屋敷公園も、止め天神も、JR蒲田駅から随分と離れている。蒲田温泉も京急のほうが近い。何となく懸念していた通り、蒲田駅は蒲田観光の起点じゃないのだ! 駅前は商業的に栄えているみたいだけど、その適度な賑やかさかえって私の視野を狭くして動きを封じてしまう。取り敢えず眼に付いたサンライズ蒲田という賑やかなアーケード商店街を突っ切ってみる。その突き当たりからふと横に折れてみたら、踏切が二重になっている場所があった。東急の池上線と多摩川線が暫く並走してここで二手に別れる。真ん中の緩衝地帯に自動車や歩行者が取り残されている。こういう類いの踏切の形式、私の記憶には殆んどない。珍しい構造なのだろうか? 池上線が急激なカーブを描いて街のなかに消えていく。私はセイタカアワダチソウが生い茂る池上線沿いの路地を漫然と歩いてみる。車通りが結構多いので、下手に写真を撮ろうと試みては迷惑を掛けてしまう。途中で御園神社と熊野神社に寄る。蓮沼駅を経由して、真っ直ぐ続く線路沿いをだらだら歩いていると、やたら踏切が沢山あることに気付く。一度赤い標識が鳴り出せば一定の間隔を開けて次々と赤い標識が三つ四つと光り始める。線路を跨いだり潜ったりする場所はない。歩道橋すらない。道路と交差するところには全て律儀に踏切がある。それに電車の往来も盛んなので頻繁に閉まる。緑色の車体は車両が短いのであっさりと通り過ぎてしまう。都内では踏切を見掛けるほうが珍しいのに、私鉄のマイナーな路線とはいえ、ここまで踏切が延々と連続している景色は珍しいなと思う。池上線は大きくカーブを描いて池上駅の駅舎の懐に収まっていく。駅周辺は商店街になっている。この街は、真っ直ぐだけど、真っ直ぐじゃないのだ。真っ直ぐだけど何処かブレている。どうも上手く説明しにくい印象なのだけど。私は池上駅裏手のラーメン屋に落ち着いて、ここまでの日記を書くことにした。さて、どうしよう。取り敢えず温泉にだけは入らねばならないが、この調子なら、一度蒲田駅まで戻るのが最良だろう。六郷神社も蒲田温泉も京急蒲田方面だから、蒲田駅から京急蒲田駅まで歩いて周辺を探索しつつ、そこから多摩川まで一気に降りるのが妥当だ。羽田空港はまた別の機会にしよう。もう午後三時。五時には日が暮れるから何処まで行けるだろう……池上駅は随分と駅舎が新しい。私鉄の比較的マイナーな路線の一駅にしては、些かわざとらしい程に立派な駅舎だった。一先ず私は蒲田行きの電車に乗り込んだ。何気なく調べてみたら、池上本門寺という日蓮宗の大寺院の門前駅であったらしい。あら、結構歩くみたいだけど、元より行先不明の旅なのだから、折角だしこっちに寄れば良かった。動き出した電車から逆戻りすることは出来ない。今回は御縁がなかったということにしよう。東急蒲田駅のホームは所謂櫛形ホームである。二つの路線の二つの車両が、折り返しを待ってキョトンと並んでいる光景は微笑ましかった。途中で蒲田八幡神社に寄った。京急蒲田駅の構内には観光案内所があって、私はようやく大田区の周辺マップを獲得した。遅い。手遅れかもしれない。広域地図を確認してみると、六郷神社までは相当な距離がある。普段なら徒歩で強行するところだけど、今回は時間がないので隣駅まで電車に乗ることにした。京急蒲田駅の構内は三層になっている。私は間違って二層目に迷い込んで混乱してしまう。三層目に登って普通浦賀行きを待つ。無機質な打ちっぱなしのホームの半面が自棄に静まり返っている。横浜方面の乗り場がホーム後方に用意されているのだけど、この時間帯は使われていないらしい。なんせ三層のホームともなるとかなり高い位置にあるので、こんなにも頑丈に組み立てられた足場であっても、何処か足元の覚束ない孤独を覚えてしまう。私は先頭の車両に乗り込んで、ほんの短い時間だけどジェットコースターのような高速で高所を滑るスリルを味わった。雑色駅、これでゾウシキと呼ぶらしい。タイヤ公園という名所があるらしいけど反対方向なので断念し、高架と並行して走る第一京浜を多摩川方面へと降りていく。空が広い。空が深い。日が傾いて神々しく色付き始めた美しい東京の薄雲の空が広がっている。六郷神社では幼児達がキャーキャー叫びながら境内を走り回っている。どうやら隣に幼稚園があって、丁度お母さん達が迎えに来る時間だった。走り回る幼稚園児達と立ち話中のお母さん達で境内はとても賑やかである。想像とまるで違う初々しさに私はいまいち釈然としない。第一京浜は多摩川を越える橋へと乗り上げていき、下道はT字路に途切れ、右手に進めば京急の六郷土手駅がある。橋と下道を繋ぐ巻き貝のようなカーブのしたを潜ると公園があって、公園から再び螺旋階段登って六郷橋の歩道に出ると、ビル影に潜んでいた強烈な赤黒い光線に眼を潰されてしまった。川崎のビル群、広大な多摩川緑地、野球場、駐車場、そして線路橋。私は堤防の脇に降りた。止め天神は堤防沿いにひっそりとあって、鬱蒼と木々の合間に隠れているけれど、あちこちが黄色い塗料で塗られていてチグハグしている。私は再び堤防に登る。京急の線路橋が頭を確実にぶつけるぐらいに低い場所を走っている。無駄に図体がデカい私なんて橋桁のしたを潜れないぐらいである。日没が禍々しい、紫蘇のような赤紫色の塊を残している。京急の線路橋の向こうには、合間に公園を挟んで東海道本線と京浜東北線の線路橋がある。この二つの線路橋の合間は駐車場になっていて、真っ直ぐと平たい地面が続く光景はちょっと不気味である。更にその向こうは広大な芝生の広場になっている。そして多摩川上流に向かって、東京の空が、美しい空が、壮絶な奥行きの深さで淡いオレンジ色に染まっているのである。川崎側は雲が厚くなっているけれど、そのすっきりしない行き詰まりすらこの景色には必要な構成なのだ。私はふらふらと芝生のうえを歩きながら空の広さばかりを見上げている。関東は平野だから空が広い。とはいえ関東は大都会だから、空の広さは大抵が限られたものである。でも多摩川の河川敷がただっ広く伸びる方角に向けて、東京の空は遮られることはなく、夕暮れのグラデーションは何処まで深く、深く、雲の切れ端で詰まりながら遥か果てまで延びているのである。神奈川側のビル群も、東京側のマンションも、ここでは広大な地球の丸みの底にへばり付いた四角い影に過ぎなくなる。今回の私のぐだぐだだった旅程はここで勝手に完成した。私はすっかり満足してしまった。私は乱暴なぐらい節操なく空の写真を撮り続け……遂には芝生に寝転がってしまった……空の広さを追い求めて芝生広場をずんずん奥まで喰い込んでいく。電車が近付けば地鳴りがする。私は地鳴りに電車が追い付いてくるのを待ってそちらにもカメラを向ける。芝生広場と多摩川は蔦の茂みで分断されていて、鬱蒼とした茂みに一本の獣道が出来ていた。河縁まで出ると、線路橋を通過する電車が水面に反射して二重になって空を駆ける。しかしこの獣道、一体何なのだろう。河縁の空間もごく一部が開けているだけだし、特に意味のある場所とも思えないから、或いはホームレスのおじさん達が水場として使っているのかも知れないと思う。私は概ね満足して、再び堤防まで戻って線路橋を次々と三本潜り、六郷橋に登って川崎方面へとゆっくり歩き出した。グラデーションは煮詰まって、まだ午後五時だというのに街の明かりが際立ち始めた。いよいよ神奈川も東京も引っ括めて街は明かりを散らした影の海に沈む。私は高所恐怖症なので、橋のうえで写真を撮っているといつも腰のあたりが冷や冷や落ち着かなくなってしまう。橋の中頃で神奈川県に入った。河は境界だ。荒川もそうだけど、河は土地を分断する境目で、だからその河川敷はいつも土地の安定から切り離されたマージナルな領域になる。それは何処か、拠る辺ない不安定さと、或いは何にも縛られない解放感との両方を持ち得る。そこでは普段の生活では観られないものが観られる。もしかしたら、何か棲んでいるかもしれない。ここは私達の日常の埒外にあるのだから。多摩川は河川敷の広大さに比べて結構か細い。けれど紫色に発狂した夕暮れを水面に吸い込むにはそれでも充分な幅なのである。川崎側には河川敷は殆んどなくて、堤防の真横、ビルとの隙間、地面を削った谷底に電車が走っていたから吃驚してしまった。河が増水したら簡単に水没するだろう、もしかしたら、増水時の排水路を兼ねているのだろうか? 私は堤防のほうに降りて、昼の最後の悪足掻き、昼と夜が最後の戦争をする火花が美しくべったり遠ざかっていく合間を、多摩川に明かりを反射させながら、電車がのんびりと駆け抜けていく光景を写真に納めた。これで私の旅は概ね終了。再び六郷橋を東京方面に戻り……流石に川崎側の駅を探して歩き回るには時間も体力もスマホの電池も足りなかった……六郷土手駅から京急蒲田駅まで戻る。ところで私は急行通過が凄く怖い。ホームドアもないような狭いホームで、一切速度を緩めることなく私達の寸前を鉄の塊がぶっ飛んでいくのだ。一瞬気を抜けば肉体ごと魂を巻き込まれてしまいそうな気がする。今回の旅の一番の目的、蒲田温泉の黒湯。蒲田には温泉や銭湯が沢山あるけれど、やはり最初は「蒲田温泉」に寄るべきでしょう、ということで商店街に唐突に現れた赤い陽気なアーチを潜る。温泉というか銭湯なのだけど、黒湯は流石の黒夢、濁ってるとかそういうレベルではなく、ブラック珈琲のあの苦々しい真っ黒さである。ぬるっとしたお湯だ。ぬるめのお湯でも普通に私には熱かったので、高温風呂は回避することにした。あと電気風呂も回避。普通に怖い。黒湯はぬるめですら結構熱かったけど、隣には普通のお湯もあってこちらは丁度いい熱さだった。珈琲牛乳飲んでTwitterに写真挙げる。私が本垢に写真挙げても毎回特に反応がないのだよな。悪くない写真だと思うのだけど、需要がないのか敬遠されているのか……商店街の洋食屋でシチューオムライスを頂く。美味しかった。もうすっかり暗くなったので、無駄な探索は避けて素直にJR蒲田駅に戻り、京浜東北線に乗って埼玉までずっと寝ていた。部屋に帰った頃には夜の九時だった。眠い。部屋に帰って来た途端に疲れがずどーんと押し寄せてきて眠い。暫くは眠気に負けて布団にべったり吸着していたのだけど、亀戸の二の舞になってはならぬ、と顔を洗って六郷神社以降の日記を書き上げた。本当は帰りの電車で書き進めてしまいたかったのだけど、充電池とスマホを繋ぐコードを失くしてしまったのだ。これでは今後遠出するときに支障が出る。取り敢えず部屋を探して、見つからなければ買い直さなくては。今回の旅は結構インスピレーションに満ちたものだったけど……踏切や河川敷や黒湯や……肝心の創作は今日は一文字進めてないので、うん、明日から頑張ろう。千葉の友達曰く、羽田周辺から川崎大師方面へと降りていくルートがあるらしいから、次回はそちらを探索しつつ、今回完全にそっちのけだったシン・ゴジラ関連の聖地探しも遣りたい。お休みなさい。


 2020年11月10日

 お婆さんが道の中程でぼうっと突っ立っている。その先を小学生が一人歩いていたから、見送っているのかもしれない。けれど不安な背中である。体温計が上手く表示されなかったのと、あと金欠なので、久々にバスを使わず駅まで歩いた。京浜東北線は赤羽で停まる。乗り換えた電車もやっぱり停まる。今朝は電車が自棄に進まない。帰りの京浜東北線も停まった。今日は幾分体調がいいな、と思ってたけど、電車で立ちっぱなしでWikipediaをだらだら探索していたら具合が悪くなってしまった。執筆に向かおうとすると気怠くなるし、夜中まで執筆してたら強い眠気が襲ってきて頭が回らない。まだ3500字程度だけど、思考の限界を感じて撤退。このまま7000字から8000字ぐらいで落ち着くとして、流石に一週間で二作品は無理だろうか。千葉の友達が、僕らはみんな河合荘を読みに年末年始に私の部屋に泊まりにくるという。ならば部屋を片付けないと不味い。片付けても二人寝るのはかなり窮屈だけれど。例年、年末年始は千葉の友達宅に私が泊まってたのだけど、今年は友達の両親が家にいるから無理なんだそうだ。そのうち廃道に行こう、という誘いも受けたし時間を空けておかなくちゃ。展覧会も行きたいし、年末までに諸々の事務処理も片付けなきゃいけないし、職場は十二月が繁忙期だし、大変だけど先ずは執筆進めなきゃ……眠い。一杯のフェイマス・グレイスが眠気の中枢に響いてしまった感じはある。早めに寝て睡眠時間を稼ごうとも考えたけど、またWikipedia探索が捗ってしまって夜更かししてしまった。寒い。自棄に冷気が凍みてくる。日記の頁を改める。


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