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invisible holidays (2020.11.11~11.20)



 2020年11月11日

 ホテルが地図の位置と違う。それだけ。電気も消さないで寝落ちたから例と如く首を痛めてうんざり。職場にもうっすら寒さが染み込んできて関節に響く。鳩尾の調子も良くないし、突然背中に抉るような痛みが走ると、流石に生命の危機を感じる。帰りの電車から眠気が抜けない。執筆に必要な体調が整わない。友達が年末年始の旅行に言及してきた。でも多分、またギリギリまで予定決まらないんだろうな。ゴッホちゃんが現れたらしい。ゴッホちゃんという存在の是非を語る権利は私にはないけれど、展覧会行きたい。山崎のロック舐めながら艦これしてたら眠気が限界に来て執筆せずに寝る。


 2020年11月12日

 早朝寒くて眼が覚める。胃が痛い。胃薬を突っ込む。色々あったけど覚えてる余裕がなかった。今日も寝起きから首が痛いが、そんなことより部屋の寒さが余りにも酷い。布団から出られないし鳩尾がずっと痛い。度々背中も痛い。怒声、怒声を私達は全て無視する。床鳴り。音漏れ。湿布。鳩尾。眠気。


 2020年11月13日

 今日は別の職場でレジを打っている。ポイントカードのシステムすら全然違う。とある客が何処からともなく次々と追加で商品を突っ込んでくるのでレジが終わらない。挙げ句にレジを通した商品の数が分からなくなった。数えようとするのだけど呼吸が続かない。物凄い具合の悪さに立ってられなくなりながら積まれた商品の山に絶望する。色んな記憶が混在してるけど思い出す元気すらない。今年最悪級の最悪の目覚め。痛いというより、気持ち悪い。昨日も電気消し忘れてる。湿布を買ったのに貼らずに寝落ちた。執筆もゼロ文字。無理だ。こんな体調じゃ無理。毎日寝起きのたびに拷問のような苦痛とともに布団から這いずり出るのは余りに辛い。一体何がどうなってるんだ。新しいマットレスと敷布団はちゃんと安定してるし、枕だって極端に変なものを使ってるわけじゃないのに、兎に角寝起きに首が死ぬ。もう訳が分からぬ。余りの気持ち悪さに俯せになって首を伸ばしてぜはーぜはーするのも疲れた。勿論背中も痛い。胴体の全体が痛い。関節のあちこちに響く。目覚める地獄、一体全体どういうことなんだ。今日は人手がいない場所に爆弾落としまくるような一日で地獄忙しくて何度か頭のネジが削れたりしたけど日記を書く元気もないので一人焼き肉して銭湯に寄って艦これの新任務やってオールド・パーのロック煽って執筆ゼロで寝る。

 2020年11月14日

 その山は地元の人々から信仰の対象になっている。山は湾に面していて、湾は灰色が沸騰したようになっている。湾には島々が集まっていて海の流れを止めてしまうのだ。私はその島々の一つを登っている。坂道を登って一番高いところで振り返れば、緑に染まった山の連なりが続いている。私は写真を撮る術を忘れてしまって、また両手の人差し指と親指で枠を作って風景を覚えるのだ。漫画のキャラクター達が活躍するアニメ映像が流れていたと思う。ギャンブル対決で勝利した女性が、取り返した宝石を少女に渡す。私達は教室にいて、封筒とお札を貰う。給付金の類いらしい。封筒にある金額とお金を確認してくださいね、と言われたのだけど、何だか額面より多い気がする。先生が大声で困ってないか尋ねてきたけど、誰だっけ、この先生。夜の大通りで市民が軍隊に攻撃を受けた。戦車が当たり前のように大砲を撃った。市民達の死骸は片付けられた。地面に残されたコンクリートの蓋を開けると、攻撃に巻き込まれたおばさんの最後の日記が出てきた。私達はビルをよじ登る。高所恐怖症の私にしては景気良くよじ登っていく……隣にいるのはルパン三世だし、屋上にはゴミ箱に閉じ込めれていた銭形警部もいる……屋上にはプラスチック製の灰色のゴミ箱が三つある。私は中身を見れなかったけど、死骸が詰め込まれている。屋上は誰もいなくなっていた。空を飛んで先に行ってしまったんだ、だってアンパンマンだもんな、と私は謎の納得をして、殆んど躊躇せずにビルの屋上から飛び降りた。私は何度か地面を蹴りながら低空を滑空していく。既に夜は明けている。河を幾つも飛び越えていく。街は人間ならざる気持ち悪い化物達によって占領されていた。化物達は決して街の境界を越えはしないが、武装しているので外から近付けない。水路の途中にアーケードで覆われた商店街の入口がある。私は様子を窺うために水路の反対側に身を潜める。水路の付近で子供達が迂闊に遊んでいて、商店街から飛び出してきた女性が子供達を苛め始めた。私は飛び出して女性を怒鳴り付けた。装甲車が商店街のゲートを潜って、化物達を踏み潰しながら中に押し入っていく。私は白く潰れた残骸を見ながら、街に潜入するべきかどうかでまだ迷っている。一向に頭痛が治らない。寝起きに首回りが酷かったから緊張性の頭痛かなとも思ったのだけど、この頭痛の長さ、額側の前のめりな痛みは偏頭痛かもしれない。水分不足の可能性もあるし、昨日の銭湯や、寝る前の一杯のウイスキーが原因かもしれない。何にせよ放っておいても治らないのだから困った。夜になっても治らない。これだけ頭痛が長引くと、生きた屍程度の低調な活動しか出来ない。御飯を湯煎して冷蔵庫の納豆をぶっかけたら明らかに危ない臭いがしたので全部捨てた。色々と忘れてしまったけど、いいや、思い出す元気もないし。食欲があるのが救いだけど、原因不明の頭痛が一日長引くと神経まで不安になる。【一先ず「何事にも一利ぐらいはある」という前提に立ってみる。厳密には、大抵の物事には多少なりと選択するメリット(或いはデメリット)があり、またこの世に不可知の領域や確率的な偶発性が存在する以上、むしろ完全に一利が想定不可能な物事を想定することが不可能であるとも言える】【例えば、実家暮らしの友達が、引っ越して独り暮らしするべきか悩んでいる。相談を受けた私は何と答えれば「正しい」のだろう? いや、実際のところ、実家に留まるのも、独り暮らしするのも、どちらも何らかの「一利」はある。つまり、私はどちらを勧めても「正しい」のである】【あらゆる物事は、結果が出なければその「利」を検証出来ない。仮に一時的な結果が出たって今後それが引っくり返る可能性だってある。極端な話、別の友達のように、借りたアパートの近隣住人が狂ってて根拠のないクレームを付けてくる、みたいなデメリットともなると完全に確率的な問題だ】【何事にも一利ぐらいはある。或いは一理ぐらいはある。それは個人的な場合もあるし、社会的な場合もあるし、また個人の一利が社会の一利と対立することもある。そしてとある個人がその一利ないし一理をどう判断するか、どちらの「利」か「理」を選ぶか、その傾向を我々は価値観と呼ぶ】【我々は他者の価値観に良し悪しをつけることが出来ない。その個人は、少なくともその時点において、意識的にせよ無意識的にせよ「こちらが一利ありそう」という判断をしたのだ。彼/彼女が「こちらに一利はなかった」と次の判断を下すまで、最初の「一利」を外から取り消すことは出来ない】【またこの「一利」ないし「一理」は体質的・土地的・時代的な影響下に形成される。「引っ越して独り暮らしする」ことの「一利」は百年前とは意味が違うだろう。或いは「ダイエットして痩せたい」みたいな「一利」は飽食社会でこそ通用するもので、海外の貧しい土地では意味を為さないだろう】【では例えば適当に「選挙権が18歳になったなら飲酒や喫煙も18歳まで下げるべきか否か」みたいな問いを置いてみよう。どちらにもメリットやデメリットはあるはずである。その「一利」を計るには相当な客観的検証が必要だろうし、結局実際に試してみないと比較データを取ることも出来ない】【大抵の物事には一利ぐらいはある。だから誰かの判断のメリット/デメリットを計量することは出来ても、外からその良し悪しを決めることは出来ない。しかしたとえ他者の「一利」や「一理」を変えることが出来なくても、他者を取り巻く「環境」を外部から強引に変えることは不可能ではない】【社会的な「正しさ」を決める方法は三つしかない。一つは、少数の価値観をを他者に押し付け矯正するような「環境」を形成する権力の行使。二つ目は、そんな権力をすら物理的に破壊する暴力の行使。そして最後に我々は、所謂民主的と呼ばれる決定方法を採用する。多数決である】【結局、私達が目撃してきた「論争」とは、研究者達による「利」や「理」の計量方法の対立、なんてものではなく、影響力を持った人々による権力の行使、罵詈雑言による暴力的な攻撃、さもなくばフォロワー数やいいねやRT数やトレンドによる多数決といった「環境」戦に過ぎないともいえる】【しかし、幾ら「環境」戦が加熱したところで「一利」や「一理」がそう簡単に変動するわけではないのだ。何故人間が戦争や虐殺をするかといえば、そこに何らかの「一利」や「一理」が見出だされ続けていたからだ。そして現代でもまだそこに「一利」や「一理」を見出だす人々はいるのである】【どんな荒唐無稽であっても誰かにとっては一利か一理はある。誰かの判断を矯正するには、権力にしろ暴力にしろ多数決にしろ「力」が要る。議論とは相容れない「一利」や「一理」の妥協点を探ることのはずだが、いつの間にか議論とは「力」の行使による「環境」戦のことになってしまった】【「一利」や「一理」は客観的な検証によって計量することしか出来ない、いや、研究者がどれだけ頑張っても、完全な精度で検証を行うなんて不可能なのだろう。化学や物理学ですら未知の領域は沢山あるのに、医学や生理学ともなれば殊更で、それ故にとんでもない「一利」が蔓延ったりもする】【そしてまた、この世には計量不可能な物事もある。宇宙の果てや死後の世界のように、そもそも現時点では観測不可能な領域に関わる物事に対して、我々はせいぜい想像力を駆使して仮説を立ててみることしか出来ない。曰く「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」というわけだ】【計り得ぬことすら語ってしまうのが我々の想像力の凄さであって、その荒唐無稽な主張ですらきっと「一利」ぐらいはあるのだ、と最低限認めることは、この世界を豊かにするうえでは大事なことなのだろう。しかしそこで「力」の行使が始まれば、拘束される者もいよう、死傷者だって出よう】【だから、私達はまず、この「一利」ないし「一理」を巡る「環境」戦から距離を置くべきなのだろうと思う。勿論自分に心身の危険が及ぶような「環境」ならば、そこを変えたり、そこから逃げたりする権利はあろうが、大抵の「論争」は単に声(=力)の大きさの競い合いに過ぎなかったりする】【たとえ知識人や文化人(況んや芸能人)の発言や主張であっても、それが単に権力(影響力)があるだけの「個人の感想」に過ぎないことはままあることだ。挙げ句に「個人の感想」を補強するために他人の暴力的な「個人の感想」まで掻き集めて多数決に打って出る「知識人」だっている】【この世には「一利」ないし「一理」ある呟きは山程にあった。しかしどんなに賢明な(とされる)人々の賢明な(とされる)言葉が日々繰り返されてもこの世の人間が一向にそんなに賢明にならなかった。結局、僕達は、己の「一利」や「一理」をそう簡単に捨てるつもりはさらさらないのである】【何故デマや誤報や疑似科学がこんなにも広まるのだろう? それは、たとえデマや誤報や疑似科学であっても、それを受け取る側にとっては本人の認識が修正されない限り問題なく「一利」あるからだ。他人がどんなに「力」を加えて矯正しようとしても、その「一利」の判断は本人以外には覆せない】【たとえ私達が「環境」戦から離れたとしても、それで自分の「一利」や「一理」の判断の正当性が保証されるわけではない。むしろ他人の声が聞こえにくくなって損失を被るかもしれない。私達はいつだって自分達の「一利」と「一理」を検証し、検討し直さねばならない。それは自由の責務として】【ここまで読んで、この呟き自体が所詮はたかが個人の「一利」ないし「一理」を他人に押し付けるための文量の暴力じゃねぇかと気付かれた皆様、まさにその通り。この呟きもまた所詮は安易な「環境」戦に過ぎないのだ。という滑稽で絶望的な事実から、私達は私達のための物語を始めよう】頭痛過ぎて暫く暖めていた「一利ある」論を纏めてTwitterに呟いて、日記にログを残してfloatにスクショ挙げて呟き消したのだけど、呟いてる間は頭痛もちょっと楽になったから、これは寝る前に軽く執筆出来るかなと思って喜んだら再び頭が痛くなってきた。意味が分からん。こうも一日中絶え間なく、じわじわじわじわ痛み続けるのは珍しい。偏頭痛なら時間は掛かっても安静にしてれば治まっていくはずだから、やっぱり緊張性頭痛か、もっと別の危ない理由なのだろう。一日中寝転んでるのに全く治らん。頭痛い、で休日が終わる。最悪やな。悲しみと怒りをブレンドしたぐにゃっとした感情で余計に頭が痛い。部屋は寒い。風邪でも引いたんだろうか。何故か耳も詰まる。もう明日休んでやろうかな。動画観て笑ってたらやっと頭痛が治まってきて、やっと眠れそうだと思いながらホワイト・ホース ノンエイジのハイボール、ソーダ多めなど啜り始めてしまった。やはり笑いは健康にいい。


 2020年11月15日

 古代中国的な場所だったと思う。王位の後継者であったはずの青年が辞退して隠遁してしまう。地震が起きて海がすすぅと乾上がってしまう。人々は物珍しげに干潟に出ていく。私は高台に逃げろと叫びながら、自分も高台に全力で逃げる。水嵩が増し始めた。私は津波から逃げられるだろうか。頭が痛い。最初のうちはちゃんと眠れたのに、何処かの拍子で途端に枕が合わなくなる。相変わらず何の原因で頭が痛いのか見当もつかないが、脚を暖めて頭を冷し続けているからなのかもしれない。頭寒足熱なのだけどなぁ……眼が痛む、首回りの硬直感、胸元の硬直感、鳩尾の凭れ、洗濯物溜めたままだし、レシートも溜めたままだし、体温は35.5℃で安定している。無知の知、無知の知と突然洒落た女子達が連呼し始めた。無知の知、という言葉を私達は知ったかぶるけど、知ったかぶってしまったら私達は無知の知に到れないじゃないか、などと思いながら首を左右に折り曲げる。日曜日だから乗客が騒がしい。女子達はだらだらと無為を喋り続ける。お化粧のこととか、爪のこととか、携帯のこととか、鬼滅のこととか。昼間になっても変わらず頭がじんわり痛い、ここまで慢性化した頭痛は余り前例がない。病院や整体に行く、といってもこの体調では予約取る元気もないし、最近の休日は日が沈むまで布団のうえから動けないし……そうだ、忘れていたことを一つ、誰がどんなに唾を飛ばして主張したところで、あらゆる物事は所詮は「一利」があるに過ぎない。逆に言えば、どんなキテレツな主張ですら「一利」ぐらいはある。絶対は存在しない、ということは、私達は常に何だってあり得るし、何だってあり得ない、そんなはっきりしない場所で生きるしかないのだ。私達は不完全であることを受け入れよ。その前提があって初めて、私達は私達の独善的な「一利」を守り通すことが出来るのだから。カタン、とスマホが零れ落ちて鳴った。反対側の座席でぐにゃんと前屈みになったお兄さんが、泥酔してるのか、スマホを床に落としても一向に眼を覚ます様子がない。隣に座る別のお兄さんが降車の折りにそれを拾ってポケットに入れ直してあげた。お兄さんは起きない。もう一度スマホを落とす。今度は拾い上げようと手を伸ばすのだけど、拾い上げられないまま同じ姿勢で動かなくなる。午後の仕事は幾分体調も戻って、暇を狙ってメモ帳でプロットを書き進めたりも出来たけど、相変わらず一日を通して背中は痛いし怠いし疲れている。職場の裏手ではドラマの撮影が行われているらしい。裏口からスタッフさんが叫んでいるのが度々聞こえた。執筆追い込まなきゃ、と思いつつ疲れと眠気でダラダラしていたらもう寝る時間だ。動画観て諦めて寝る。


 2020年11月16日

 タオル一枚、首巻き枕一つ、潰れた古い枕一つ。久々に寝起きから頭痛がしない。ここ一週間で最もマシな朝だ。首は固まってるし腰元が不安だけど、やっとまともな体調で部屋を出る。


 2020年11月17日

 警報が鳴る。警報が止む。昨日は一万字の短編を快活で徹夜で仕上げたから日記書かなくてもいいよね? 今日も快活に籠って編集作業やったから日記書かなくてもいいよね? 軽くランニングしていつもと違う銭湯寄って禁断の技術に手を出してゆるキャン△読んだ。


 2020年11月18日

 四時間睡眠はキツい。体温計が上手く計れない。通りすがりの子供が、後で殴り殺そう、と物騒なことを呟いたけどきっと外国語の空耳だ。同僚さんが肩を痛めて早退した。誰も指示していないのに、行列が自然に並び、扉を開けたら私をじっと睨む。全く現象というのは奇怪なものだ。寝不足が重なって何か不安な気持ちになる。キンコーズで印刷した。

 2020年11月19日

 私は実家に帰っている。家族が私の部屋の布団を片付けている。今日は仕事が休みだとして、明日のシフトはどうなっていたっけな。私達は地元の市役所か、警察署に集合している。職員の一人は大学の後輩だった。でも私は気付かないふりをして通り過ぎた。壁には警察が使う隠語の一覧らしきものが手書きで額装されている。私達の行列は廊下の途中で詰まり、同級生の一人が台に登って怒ったように背後を威嚇する。眼の前には、出来れば会いたくない同級生もいる。表彰式のようなものが始まった。紹介を受けてみんなの前に現れた同級生は、突然背後に映し出されたダース・ベイダーの映像に合わせて奇妙な一人芝居を始めた。その派手なCGを使った映像は、最終的に登場した機械が一つに合体した挙げ句、とある家電会社のCMになった。CMは三種類程あった。私は白い水瓶に水を溜めている。そしたら普段は穏当な同級生の一人の足元を濡らしてしまったせいで厳しく怒鳴られた。私はそれに怯えて、みんなが歩いていくのとは反対方向に逃げた。時間が巻き戻されて死人だったはずの男性が立ちはだかる。棺は暴かれ、舐めると麻痺を起こすソースのレシピが作られる。昨日は寝不足からの電車で寝落ちて頭痛、といういつもの流れで帰宅後直ぐに寝込んでしまって、コンタクトもそのままに寝落ちて、例の如く首と背中を激しく痛めて両眼から痛みが漏れ出して眠気も酷くて朝から体調は最悪。指を隙間に挟んで右の中指にでかい血豆が出来てしまった。思ったより巨大だ。今日も誰の指示もなく勝手に行列が並び、私は行列の傍を通らない。とんだ異様な光景だ。明日の昼までこれが繰り返されるのだ。昨日肩を痛めて早退した同僚さんは復帰していた。最近やたら同じ新しいJ-POPを耳にする。米津玄師とかYOASOBIとか、DISH//の猫とか瑛人の香水とか。どうやら職場近くの複数のお店が同じBGMのプレイリストを採用しているらしい。以前は気取った海外HIPHOPとか、軽薄なパーティーソングとか流れてて趣味に合わねぇと眉間に皺を寄せていたのだけど、このプレイリストはまだ軽薄でも気取ってもいなくて悪くない。これまで最新ヒットチャートは全然把握してなかったけど、これが最近の流行りなら案外と悪くないじゃないかと思う。血豆は赤血球と組織液とが分離して、半分が黒くて半分が透き通っている。レジ仕事には結構邪魔。今日も血の気が足りないし、頭も痛いし、兎に角じっと立ってられない体調だった。寝床が合わなくて首が痛い、から何故このような単純な体調不良にまで繋がるのかも良く分からない。仕事中は血豆が物凄く濃くなった。今はまた半分に分かれている。radikoで流れてたRelaxからTrevor Hornに飛ぶ。覚えておこう。

あとTHE HIGH-LOWSの日曜日よりの使者。CMで良く聴いてたけど、あれ甲本ヒロトだったんだ。血豆が咥内のように赤い。指先に口が開く。しかしこの口には飲み下したり喋ったりする喉がない。この口はぱかぱか開いて閉じるだけだ。しかし血豆で痺れた指が気に障るのか、私は中指をやたら細かく振り回し、それで血豆がすっかり黒くなって黒眼のようになってしまった。小豆色が今では熟れた石榴である。重力に鉄分が落ちていく。明るいところに晒すと斑になる。

 2020年11月20日

 彼等は家族ごと虐げられていて、極めて屈辱的なことを強いられている。私は途中まで付き合っていたけれど、私の知ったことかよと虐げていた連中に向かって軽く遣り返してからそこを飛び出した。私はもう一つ別の、私を閉じ込めていた部屋から主の眼を盗んで抜け出した気がするのだけど、この部屋の正体もいまいち分からない。私は山道を登ったところにある神社だか公園だかに向かう。木造の廊下の真ん中に祖母がいる。呆けた祖母を私はどうあしらったのだっけ。山を降りると、町のお祭りと大学の学校祭が混じったような催しが行われている。集合場所はコンクリート製の建物のピロティで、創作映画の上映会なんかも遣ってるようだ。有名な漫画家が執筆したBL小説も展示されていた。私達も何か企画を遣っていて……文芸部の集まりだろうか、けれど仕切っている男性を私は良く知らない……私にも当番を振られていたのだけど、一体何を遣るのかすら私は知らなかった。地元のみんなはこれから旅行に行くらしい。でも私は申し込み忘れていたから、自転車を漕いで、みんなを途中で追い越して、時々道じゃない場所を宙に浮いきながら駆け抜けた。今日はぐんぐん自転車が進む。これから何処に行ってやろう。いっそ県外まで自転車で出掛けてやろうか。南北に県境を抜けるルートは既に試したことがあるけど、東に山脈を突っ切るルートもなかったっけ、と豪快な独り旅にワクワクしていたら、実家の玄関に訪問販売員らしき胡散臭いお姉さんが遣ってきて何かを勧め始めた。私が戸惑っていたら裏手から母親が出てきた。耳元でぷううんが飛び込んできた。あれ、部屋に蚊がいるのだろうか。こんな寒い季節に? 血豆は厚みが薄くなった代わりに黒子のように真っ黒だ。昨日も迂闊に寝落ちたけれど、俯せに寝たお陰で、息切れには襲われつつも首回りの過剰な痛みはない。二度寝。概ね忘れてしまった。景色の一つすら思い出せない。連休前で忙しかったけど今日は珍しく最後まで立っていられた、普通に歩けたので無事に乗り越えた。体調が良ければ私は立っていることぐらいは出来る。明後日のコミティアに行こうか迷っている。明日も仕事だからカタログを買うのが面倒なのだ。秋葉原に行けば何処かにはあるだろうけど、秋葉原に寄るまでが面倒臭い。近所の公孫樹がすっかり黄色く染まったところで刈られ始めていた。落葉が道を汚さないよう、先んじて切り落としてしまうらしい。アパートの前には落葉が吹き溜まってきる。そんな季節である。公孫樹の名所だと昭和記念公園が面白そうだったので、明後日は立川に行こうと思う。ライトアップ期間には間に合うだろうか。あと中村博文先生の個展まだやってるだろうか。あ、22日までなら無理だ。今週は疲れ過ぎて艦これの任務消化すら遣れてない。電車のなかで大声で騒ぎなから何故か腕立て伏せとか始めてる馬鹿な外人どもがいて、こいつらとっとと死なねぇかな、と思ってたら乗客の一人が外国語で彼等に向かってガチ切れて、口論の末に電車から追い出してしまった。まぁそこまでなら良かったのだけど、今度はその男性が周りの乗客に向かって、日本人は困っていても黙っているから駄目だ云々と大声で言い始めた。私達は、それでも黙っていることを選んだのだ。仮に公衆の面前で罵倒し合うのが欧米流だというのなら、何故現在の欧米で起きている諸問題は解決していないのだろうか。私達の世界は殴り合いや罵り合いでは簡単に解決しない。それで解決するならアメリカの大統領選挙はあんなに混迷を極めなかっただろう。だからせめて私達は「それでも」黙っている。ところで、誰かがキレて電車から彼等を追い出したところで、どうせまた次の電車で似たような事件を起こすだけなので、車掌さんか駅職員を呼んでいっそのこと警察沙汰にしてしまうのが恐らく最適解。それが誰であれ、一線を越えたら有無を言わさず公的に刑罰するのが都市の在り方である。都市とは、見知らぬ人々同士が確率的に隣り合わねばならない場所、それ故に私的な決闘で物事を解決してはならない空間なのだから。Instagramに紫陽花の写真を投下する。Twitterにも挙げて、ちょっと虚構を吐き出してみる。ついでに下手にFleet機能使ってたらまた無意味な時間を過ごしてしまった。勘違いしてたけどFloat機能じゃなくてFleet機能だ。迂闊にFleet機能に入れ込むとまた「一利ぐらいはある」闘争にのめり込んで神経が削れて死に掛けるだろうから、敢えてメモ帳のスクショ、トリミングという無駄な手間を挟むことにする。Twitterなんぞ使わなくていいなら使わないほうが神経の衛生にはずっといいのだ。幾ら体調が良かった一日とはいえ、部屋に帰ってスマホに齧りついて寝転んでたら当然倦怠に落ちる。眠くなるともう駄目だ。年末までの一ヶ月ちょい、私が遣らねばならないことを、私はちゃんと計画的にコツコツと終わらせなければならない。家計簿をちゃんと付けること。明後日のために荷物を確認して、明日はクリーニングと秋葉原に寄って、コンビニで振り込みをして、エコバッグをちゃんと持参して……Instagramで伊豆の写真も挙げ始める。コンビニの里芋、湯煎したら美味しかった。レトルト御飯が切れてたので久々にチキンラーメン。前回部屋に忘れた荷物を改めて確認してたらeggs and the worldが一部だけ出てきた。そう、私はここに戻らなきゃならないのだ。Twitter覗いて無駄な時間を浪費している暇などないはずなのだ。日記の頁を改める。


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