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2020年10月24日付の日経新聞記事「SNSで揺らぐ平和意識 戦争容認、簡単に「いいね」」取材協力メモ


はじめに

2020年10月24日付の日経新聞記事「SNSで揺らぐ平和意識 戦争容認、簡単に「いいね」」にインタビューという形で取材協力しました。そのインタビューの際、記事中で取り上げられているツイートの問題点について簡潔にまとめたメモを作っていたので紹介します。なお、取材日は8月23日でした。

前提となるツイートの要旨とツイッター上での反応は、記事による紹介の通りです。以下、引用。

「「いくらユダヤ人を殺したと言われていても、ヒトラーにも人の心があった」。6月、ユダヤ人の大量虐殺を命じたヒトラーが、実は優しい心を持っていたなどとする文章が、ヒトラーと少女が笑顔で写った写真とともにツイッターに投稿された。「ヒトラーさんへの好感度が上がった」「ユダヤ人迫害には別の黒幕がいたのかな」などと同調する反応も多く、一連の投稿に計1万3千近い「いいね」が付いた。」

当該ツイートそのものは引用しませんが、ツイッター上で「ローザ・ベルニール・ニナウ」と検索すれば引っかかります(2020年10月24日現在)。

ここでは、このツイートの問題点などを列挙していき(取材時のメモのまま)、最後にまとめとして個人的見解を述べたいと思います。

①事実誤認

・ローザ・ベルニール・ニナウではなく、ローザ・ベルニーレ・ニーナウ(Rosa Bernile Nienau)。

・あたかもニーナウとヒトラーが、人間的な温かい感情の中で関係を維持していたという印象を与えるツイート。これは全体的・個別的な歴史的文脈を無視している。
→実際には、夫を早くに亡くしたニーナウの母がヒトラーもしくはナチ中枢にコネクションを作ることで、利益(具体的には寡婦年金)を得ようとしていた。
→またヒトラー側も、「子どもに優しいヒトラー」というイメージを作り上げるうえで、ニーナウとの関係を利用しようとした。

・たとえヒトラーがニーナウとの関係途絶を嘆き、幾人かのユダヤ人を亡命させたとしても、迫害とホロコーストがヒトラー自身の作り上げたイデオロギーとそれに基づいた国家機構によって実行されたという事実に鑑みれば、ツイートの内容のようにヒトラーを評価することは適切ではない。

②ツイートの問題点

・巧妙に隠されたツイートの意図:ホロコースト否定論を慎重に迂回しつつも、ナチズム体制下での出来事を「ヒトラーとユダヤ人の個人的で心温まる物語」に矮小化している。また「人の心がある」ということが何を意味しているのか明示されていない(おそらくその先にはナチズム体制やヒトラーの再評価があるが、意図的に明示していない)。

・歴史修正主義にはよくあることだが、ごく一部の事例を普遍化しようとする傾向がみられる。確かにヒトラーとニーナウが「親密」であったとしても、当時の全般的状況、つまり1933年以降のユダヤ人迫害・ホロコーストという事実の前で、「人の心があった」などと安易で短絡的な結論を下せるのだろうか。歴史的事実を解釈する際、それをしっかりと確認する義務と同時に、我々は道義的な責任も問われている。

・カリスマ支配:マックス・ウェーバーの提唱した概念。長らくヒトラーの権力基盤を特徴づけるものと考えられていた。
>「「伝統的権威」に依拠する世襲的統治者の支配とも、「合法的権威」をもつ非個人的な官僚制とも違って、「カリスマ的権威」の根拠は、これを信奉する「帰依者」が、「指導者」となった人物にヒロイズム、偉大さ、使命感を認めることにある」(イアン・カーショー『ヒトラー 権力の本質』(白水社、2009年、22頁)より引用)

・親密さの専制:このカリスマ支配に対して、リチャード・セネットを引用しつつ、田野大輔は「親密さの専制」という概念を用いる。田野が明らかにしているのは、雑貨(国民的キッチュ)や写真、新聞・映画など様々なメディアを駆使することで、ヒトラーがその第三帝国の人々の間で「身近で近寄りやすい人物」であったということである。人々は、柔和な笑顔を子どもたちに接するヒトラーに「親近感」を抱いていたのであり、そこには英雄性というよりは、ヒトラー個人との親密性による支持や賛同が存在していたのである。
>「そこでは人々の注意を政治から政治家に向け、魅力的な個性に感情を注ぎ込むように方向をそらす」(田野大輔『魅惑する帝国』(名古屋大学出版会、2007年、248頁)より引用)
→ヒトラーは常にどのように行動すれば大衆の支持や人気を得られるかを考えており、それを実現するために様々なプロパガンダだけでなく、大衆からの自発的な賛同の発露をも利用した。ニーナウの事例は、まさにこうしたニーナウ側の自発性とヒトラー側のプロパガンダが合致したところに位置していた。それを「ヒトラーにも人の心があった」などという粗雑かつ好意的な見解で言い表すことに問題がある。

・プロパガンダ:ここでおそらくツイートした人物は、ナチのプロパガンダに絡めとられている。ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)は、1933年3月の政権掌握直後、ゲッベルスの指導の下に啓蒙宣伝省を立ち上げた。政権に批判的なメディアを弾圧するとともに、全てのメディア・文化活動をプロパガンダに動員することでヒトラーを新時代にふさわしい国民的指導者に祭り上げることを目的としていた。プロパガンダというのは、単なる宣伝でも広報活動でもなく、政治指導者・為政者が特定の情報を大衆に伝え、大衆の行動をある方向へと誘導すること。自らに不利な情報は一切伝えずに、有利な情報だけを誇張、脚色、捏造を行って発信し、大衆の共感をえる。そういったプロパガンダ活動がナチ体制下では大々的に展開されていたのであり、ニーナウの写真や事例を検討する際にも、そのことを考慮する必要がある。
参考文献:石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』講談社現代新書、2015年、192-195頁。

③当該ツイートでの「ヒトラーにも人の心がある」という結論

・ヒトラーを悪魔化し、すべての原因をなすりつけるような議論もかつてはあった。しかしそれは戦後わずか数年間の話である。「ヒトラーに人の心がない」というような認識は、戦後すぐの段階で克服されていたと言える。
・ヒトラー研究・ナチズム研究は現在までそこから飛躍的に進歩しており、専門家でも全体を見通すことは難しいほどである。かつてはヒトラーの役割を重視した「意図派」、ナチズム体制を支えたエリートから成る全体構造を重視する「機能派」が主流であったが、現在では「賛同に基づく独裁」という解釈が主流となっている。研究水準としては、「人の心がある/ない」というところから遥かに進んだ地点に来ている。
>賛同に基づく独裁:「ナチズム理解が急速に進み、ナチ体制はテロルによる強制、プロパガンダによる「洗脳」や誘惑よりもむしろ、人びとの同意、協力、支持によって支えられていたのだ、と主張されるようになった」(小野寺拓也「ナチズム研究の現在」(『ゲシヒテ』第5号、33頁)より引用)

④個人的なまとめ

・上記の通り、歴史的事実の解釈というのは数多くの専門的知識・技術を要するものである。非研究者が思い付きで何かを言ったとしても、それははるか昔に研究者が検討し尽くしたことであり、とうに乗り越えられていることが多い。
・近年のSNS上の言説では、専門的知識が軽視される傾向が強いが、私は中東欧近現代史の専門家として、歴史的事実・解釈の誤りについては適宜声を上げ続けていく必要があると考える。とりわけナチズム体制やホロコーストという重大な歴史的事象を軽く見ようとするツイートには、警戒が必要である。私見では、このような言説は日本の排外主義者などとも深い親和性があり、この解釈が人口に膾炙すると、極端なナショナリズムを後押しすることになりかねないという危機感がある。

質問があったので追記:日本の排外主義者と歴史修正主義者の関係については、樋口直人『日本型排外主義:在特会・外国人参政権・東アジア地政学』(名古屋大学出版会、2014年)などを参照。

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