こんな本を読みます

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教科書になるはずだった人類学の本

教科書になるはずだった人類学の本

東京五輪の開会式でジョン・レノンの「イマジン」が流れたらしい。元々、僕はスポーツ観戦にあまり興味がないから見ていないけど。確か前々回のロンドン五輪の閉会式でもジョンの歌う映像が会場内の大型ビジョンに映し出されてちょっとしたニュースになった。必ずどこかの国に帰属しなければ競技に参加できない大会で、「国なんて無いんだと想像してみよう」という歌が流れるこの小さな違和感。誰かが仕組んだ壮大なアイロニーなら、なかなかのセンスだと思うけど、本当のところは楽曲の持つイメージだけで選ばれたの

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虚構の中に埋めた真理とヒマラヤの風

虚構の中に埋めた真理とヒマラヤの風

国立大学の教授を招いた文化人類学の公開講座を傍らで聴講したことがある。講義では、異なる文化を学ぶことで自分たちの社会を再考する機会を与えてきた学問であることやフィールドワークの実例を平易に解説されていた。夕刻になり、そろそろ閉講の時間であることを匂わせる常套句を講師が告げたところで参加者のひとりである中年男性がおもむろに挙手をしてこう言った。途上国の人たちが我々に追いつくのはいつ頃ですか?と。 丸一日にわたって進められてきた講義の内容からすればそれは明らかに愚問だった。講師

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地上を離れて暮らす心境に至る小説

地上を離れて暮らす心境に至る小説

僕がおもしろいと思う小説に必ずしも主人公たちとの時代背景や体験の共有は必要なく、そこに描かれた物語がメタファーとなって意識下にある何かを喚起すれば十分であると気づいて久しい。書店の書架に、堅牢な天守を支える石垣の如く並べられた数多の本の中からそのような一冊を探し出すのは至難の業であるが、棚から本を手に取って最初のページを開いた際に(1)穏やかな物語の立ち上がり、(2)抑制を効かせた文章、(3)黙読中の脳裏に心地よく響く言葉のリズム、この3つを感じ取ることができれば、僕が求める

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月の沈む原で過去を想う芥川賞受賞作

月の沈む原で過去を想う芥川賞受賞作

昨春以来、本を買うのもちょっとした所用も自宅と会社を繋ぐ動線の上で処理してきた。通勤以外の目的で電車に乗るのは約一年ぶりのこと。目的地は街の外れにある病院。気が進まなかったが、医師に信書を授かったこともあり、どうしても僕が出向かなければならなかった。 今から遡ること約十年前。年齢を重ねると自分以外の余生の選択にまで関与せざるを得ない瞬間が巡ってくる可能性が少なからずあると知った。互いの意思疎通が十分ではない状態で強いられる決断は精神的にとても苦しく、その後も自責の念が影のよ

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パリは燃えているか

パリは燃えているか

なにげなく点けたテレビの画面にモノクロの映像が映し出された。耳に馴染みのある音楽が背後で小さく流れている。大きなうねりを感じさせる旋律。一瞬のうちに番組名が脳裏を掠めた。1990年代に放映されたドキュメンタリー『映像の世紀』のテーマ曲。加古隆作曲「パリは燃えているか」。バイオリンの楽譜を買って練習したほどの好きな曲だからすぐにわかった。過去に放送された番組の再放送かと思ったが、NHKは最新のデジタル技術によって過去の映像を修復し、新シリーズ『新・映像の世紀』として蘇らせていた

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過剰性能の瀰漫と日本文学への郷愁

過剰性能の瀰漫と日本文学への郷愁

数年ぶりにスマートフォンを買い替えた。ネット上のレビューでは「スペックがオンラインゲームや動画配信サービスを楽しみたい人には物足りない」だとか「アプリによっては起動が遅い」だとか、ハイエンドモデル好みの人たちにはあまり評判がよくないようだけど。でも僕はNetflixも見なければオンラインゲームにも興味がないからこれで十分なのだ。いっそのことカメラレスにしてディスプレイも手のひらに収まるくらいの大きさの超薄型かつコンパクトなスマホをどこかのメーカーが出してくれないかな?とさえ思

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文庫フェアと物憂げな日の夏目漱石

文庫フェアと物憂げな日の夏目漱石

書店における夏の風物詩と言えば、新潮社の『新潮文庫の100冊』、集英社の『ナツイチ』、そしてKADOKAWAの『カドフェス』の3大文庫フェア。その中でもっとも歴史が古いのは1976年から行われている新潮社の『新潮文庫の100冊』。ちなみに、集英社の『ナツイチ』は1994年に始まり、KADOKAWAの『カドフェス』は、2014年にそれまでの『角川文庫夏のフェア』から改名されて新たなスタートを切ったもの。 個人的には、名作から定番もの、ミステリーにファンタジーといった幅広いライ

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春から夏への移ろいと短編小説の共鳴

春から夏への移ろいと短編小説の共鳴

副題に『地震のあとで』と付いているものの、村上春樹さんの短編集『神の子どもたちはみな踊る』に収録されている作品の多くは、なぜこんなにも阪神淡路大震災を遠い場所の出来事として描いているのだろう?というのが、この連作短編集を読み終えての正直な感想だった。村上春樹さんが一連の小説を書くにあたって、三つのルールを課していたと知るのはインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を読んでからのこと。 そのルールとは、ひとつめが「三人称で書くこと」。この短編集の表題作となってい

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社会の片隅でふたりの映画監督が語る

社会の片隅でふたりの映画監督が語る

書店で本を選んだ段階では内容が面白いか否かの確信は持てない。どのような本でも扉を開いてしばらくは期待と不安がいつも交錯している。ところが今回、背表紙に書かれた著者の名前を見ただけで是が非でも読みたい!と思う本に出会ってしまった。僕には珍しいこと。 Le coup de foudre.  まさに一目惚れ。 その本のタイトルが『家族と社会が壊れるとき』。内容は、今の資本主義社会のシステムや、労働者を搾取する者たちへの憤りを表現し続ける映画監督のケン・ローチ氏と、『万引き家族』で

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人間の主体性喪失の危機を紐解く書

人間の主体性喪失の危機を紐解く書

平日の夜八時。ターミナル駅における人の流れはパンデミック以前と比べてさほど変わらない。ふと、車窓から眺めた反対側のホーム。昔に観た《自分たちの住む世界がコンピューターの見せる仮想現実だと知らずに生きる人々を描いたSF映画》のような光景に小さなため息が漏れた。この異様な世界から逃れるために僕は静かに目を閉じる。 ある過去の時点で僕の知っている世界は消滅し、別の世界がそれにとって代わった。レールのポイントが切り替わるみたいに。新しい世界が始まったとき、その大部分はもともとの世界

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