300日の命

姉が妊娠している。女の子。今月か来月には生まれるそうだ。
赤子は10か月間、母親の腹の中で大きくなる。その不可思議なこと。腹が大きくなった姉は姉だが、姉ではないように思う。私は女として生まれてきたものの、自分もあのように腹を大きくして、自分とは別の命を自分の命とともに体に宿すということが、全く理解できない。実は少し、妊婦は苦手だ。怖い。

昔、国語の授業で「I was born」という詩を読んだ。夏の暑い日に少年が腹の大きな妊婦を見て、はっとする詩だ。妊婦とカゲロウを重ねたりする。ような詩だったはずだ。その奇妙な感覚を、私は少年と共有している気がする。
自分の中に、自分以外の命が宿ること。宿っていることはわかるが、それが、理解できない。私も、いつかああやって命を宿すのだろうか。

私だって姉だって、父も母も、宿されて生まれてきた。母の命と共存して私たちは生まれてきたのに、命が独り歩きを始めると、うっかりそんなことを忘れてしまう。生きてる誰かと、一緒に生きているはずなのに、やっぱりうっかり忘れる。命は魂になり心になる。なっているはずなのに。

私が「どうしてあの人はあんなにも意地が悪いんだろう。腹が立つ」とこぼしたとき、先輩が「生まれたときに意地悪な人間なんて一人もいないのにね」と言ったのが印象的だった。その時は、皆でげらげら笑ったのだけど、たまにふと思い出してはそうか、と妙に納得してしまう。

300日、母の腹で育つ命は何も穿ることもないし、僻むこともないし、妬むこともないし、泣くこともないし、ひねくれることもない。こともなくて、ただ、無垢で素直だ。美しい形をした奇跡だ。きっと。

姉には元気な子を産んでほしい。