親不幸者

結婚をすることは親孝行であるようだ。ようだ、というのは、私自身がまったくそう思えないからである。
「結婚は親孝行だよ」
結婚を報告したときに、お祝いをしようと言ってくれ、さらに有言実行してくれた上司がそう言った。親御さんはうれしいと思う、と、その隣の別の上司がそう言う。二十も三十も年上のおじさんたちに囲まれて飲む酒の方がまだ気楽でいいのだけれど、あまりうまく笑顔で答えられなかった。何が親孝行だというのだろう。
「結婚ですか、楽しみですね。幸せいっぱいですね」
私が結婚することを知り、結婚相手を知り、ひとしきり騒いだ後に後輩たちは口ぐちに言う。まるでテンプレートみたいに社交辞令を述べる。社交辞令だとしても、皆、それはそれは楽しそうに言うので、そういう顔をさせることができたのはよかったのかなあと思いこそすれ、私自身として楽しいと思うことは何もない。

自分が結婚するなんて全く考えもしなかった。
親元を離れるということは親不孝だと思っていたからだ。実家に暮らすということは閉塞感が多々あって、耐えられないことも多い。それでも生活は楽であるし、ことに私の場合は甘やかされて育っている。生まれてきた場所も、育った環境も、進路も、就職も、自分で選んだものなど一つもなく、人生において大きな選択も小さな選択すらも両親に任せてきた私が、この先の人生を過ごす相手を選ぶなど。
恋人に「結婚してほしい」と言われた瞬間に、嬉しさと同時に、言いようもない絶望感みたいなものも湧き上がってきた。のどの奥がぐっと押しつぶされるような苦しさで、声がうまくでない。テストで悪い点数をとったときのばつの悪さに似ていた。こんなに怒られるならもっと勉強したらよかったのだと思ったときの深い後悔に似ていた。恋人には承諾の返事をするとともに、やんわりと謝罪した。親に言う勇気がないと。どうしてか泣けてきて仕方がなかった。親に言えないことについての罪悪感なのか、一人残された娘のくせに家をでることになる罪悪感なのか、よくわからなかった。

姉は家を出ている。姉は家族思いである。私なんかよりもずっと。私に「今まで私の代わりに親と暮らしてくれてありがとう。家を出ても両親を頼む」とも言う。あんたの代わりではないし、私だって好きで親不孝をしているわけでもないし、親のために生きているわけでもないし、といろんなことがが思い浮かんだが言葉は飲み込んだ。不意に親を残すことの不安を口にすると、姉は一転して「あんたの人生なのだからあんたの好きなようにしたらいい」という。矛盾していると思うし、そういう曖昧なことは言ってほしくない。優柔不断の身としてはどっちの言葉も真に受けてしまう。私にとって親を頼まれるということは一緒に住むということだし、好きなようにするということは結婚して自分のエゴのまま生きるということだ。それは両立できないように思う。周りの既婚者も「親は先に死ぬけど残されるのは自分なのだから、相手を探しておくことは当然だ」という。そういう考え方もあるし、彼らは親孝行をしながら自分のエゴのままにも生きている。いい塩梅である。私にもできるのだろうが、今、自分が思っているようにはできないだろうと思う。姉は、できると思う。私は、たぶん、なんというか、なんということもないバカなのであった。

「別に結婚なんてしなくていい。結婚することがすべてではないのだし、家にいればいい」
いつだかの夕飯のときに父はそういった。母も特に反対する様子もない。どこまで本心かはわからない。別に、私に結婚相手ができたなら、それはそれでよいと思っていたのかもしれないし、結婚はなんにせよしない方がよいと思っていたのかもしれない。それでも、何度か恋人との間で結婚の話がでたときも、プロポーズを受けたときも、両家で顔合わせをしたときも、入籍したときも、さして嬉しそうでも楽しそうでもない親を見ると、この言葉がふと思い出されて、そのたびに胸の奥がぎゅっとひっかかる感じがするのだった。

そうこうしているうちに気付けば戸籍上はもうこの家のものでなくなっていた。職場で戸籍抄本が必要だったので申請したときに見たら、除籍となっていた。なんともいえない喪失感である。とはいえ、時間は待ってはくれないし、待ってくれるとして自分が何を待ってほしいのかは、今でもはっきりわからない。いつだって、環境が変わるということは受け入れがたい。しかし、もう後には引けないし、結婚したことを後悔はしていない。入籍をしなければ彼とは一緒に住むことはできないし、夫となるからこそ両親と彼が顔を合わせ、折々の食事をしているところはいつ見ても感慨深い。彼が一緒に住みたいから結婚式よりも先に籍をいれて一緒に住むのを心待ちにしていることと、私が家を出ていく話をすると両親の表情が陰ることの、板挟みになっていても、彼と両親が話しているのを見るのは、とてもうれしいのだ。
 
結果として、やっぱり親不孝だったんだろうと思う。勉強もさしてできるわけでもなかったし、一流企業に就職したわけでもないし、ましてや結婚して家を出ていくというのである。とりあえずはくいっぱぐれずにはいるので、世間一般からすれば、親孝行な娘なのかもしれないが、親にしてみれば子どもはいつも親不孝だろう。どんなことが親孝行なのかすら、子は推し量ることしかできない。それはときに正解だったりそうでなかったりする。きっとこの先も、親が望むことの半分も、親孝行などできないのだろうなあ、とほとんどものがなくなった部屋で一人考えていた。
私は親のために生まれたわけでもないし、自我があるのですべてを親のために生きてきたわけでもない。しかし自我があるので、それなりに喜んでほしいとも思う。面倒くさいもんである。ゆえに除籍された今でも、結婚したことについて罪悪感がぬぐえないのかもしれない。本当に面倒くさいもんである。
もちろん私にも感傷はある。それでも自分の生活がなくなるとかいうわけでもないし、ともに住む相手が変わるのみで、生活は続いていくことに最近はたと気づいた。そのことは両親にとっても同じで、もっといえばこの世のすべての人にとっても同じだ。そう思うと、、結婚というのもさして大きな変化ではないのかとも思えてくる。場所が変わるだけだ。生きていく営みは変わらない。私はこの場にいないが、それでも生活は続いていく。大げさでも、悲惨でもなく、生活は続き、やはり時間は待ってくれるわけではない。そしていつか死ぬときもくる。死ぬことを考えるのは小さなころからとても怖く、三十路手前の今でも怖い。考えると眠れなくなる。自分が死ぬことも、周りの人が死ぬことも怖い。それでも、誰にでも時間は平等であるので、その事実にはあらがえぬし、その瞬間までただ生きていくだけなのだろう。

結局、雑多なことを考えていると時間が経つのが早い。あっという間に引っ越しの準備も終わった。部屋にはまだ残っているものも多いが、ひとまずの区切りである。自分の中ではまったく実感はない。そもそも入籍してから一緒に暮らしていないので、実感も何もあった話ではない。カラーボックスがなくなってひどく広く見える部屋だけが、私が出ていくことを教えてくれる。急に居心地の悪い部屋になってしまった。発情期なのか、野良猫が奇妙な声で鳴いている。寝なければいけない。明日は引っ越しである。

長々とこんなことを書いたところで、複雑な胸中は変わらないし何かがかわるわけでもないので、そろそろ筆をおかねばならない。私にも彼にも親にも訪れる平等な時間の中で、折り合いをつけていきたいと思う。

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家を出る前に親に渡したエッセイ的なもの。
自分にかけられた呪いはなかなか取れないけれど。