ロプンの「輪廻の住民」
一部を除いて、私達は輪廻の世界、その中でも人間は輪廻の国の住民。上は王様など支配層と比較的裕福で自由な上級市民、下はそれ以外の一般市民だ。ただ、共通点がある。実はこの世界では、誰もが奴隷なのだ。そう、「煩悩の奴隷」だ。転輪聖王ですら「輪廻の住民」だと、お釈迦様はおよそ2500年前に、この事実に気がつかれ、城を離れた。
「煩悩の奴隷」は、自分も他人も、
ありとあらゆる生き物や自然環境を
支配したがり傷つけ満たされる事はない。
支配層でも、一般市民でも、出来る規模の
違いで、奴隷は奴隷だ。
そこに、「煩悩の奴隷」からの自由を求め、
一部の国を治める事がある。
私はこれ普通の人が参加出来る「仏国土」
浄土を造ろう、とする行為だと思う。
そこで大事なのは、傷つけられない権利。
能力があってもなくても、赤子からお年寄り
まで経済的に、また健康を、又人間関係で、
傷つけられない当然の権利。自由。福祉。
「あの人は〜だから、傷つけられても
しょうがない、可哀想」は、.おかしい。
「権利はあるのに、傷つけられるから
可哀想、なんとかしなければ」でしょう?
「煩悩の奴隷」からの自由を目指すと、
そんな国、そんな世界が輪廻にあっても、
近づくのだが、輪廻の国で自由を目指さず
奴隷のまま支配層を目指して、何か変わる
のだろうか?
自由のために戦うための防具の代表が
パーラミター、布施など六波羅蜜。
「煩悩の奴隷」、輪廻の国からの自由を
目指す事が本来の「出家」だ。三界という
輪廻の国を「住み慣れた家」に喩えた。
そこには僧侶も在家も関係ないので、
お釈迦様は全ての人に仏教を説かれた。
くれぐれも、「家出」と勘違いしないで。
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