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昔のnote記事が恥ずかしい件について

noteを初めてインストールし、投稿したのが大学4回生の夏。

こんな私も気づけば社会人4年目となりまして、暑さにうなだれながら、初期登録から変えていないプロフィール画像を再検討しようか、などと考え開いたところで目に入るアーカイブに、「4年前」なんて記事があるので今更ながら驚きます。

さて、表題の件、久しぶりに読み返してみたところ、昔の自分の文章って、こんなにも当時の感覚や匂いや、

喜怒哀楽に分別できないグラデーションみたいな感情すらも思い出すことができるものなんだなと改めて感じております。

そのほとんどが、正直、恥ずかしいです。笑

大学時代、就活に悩んだ時期、一人旅、彼が恋人になる前と後、社会人になる前日、そしてはじまった社会人1年生、苦しくてもがいた2年目、やるしかないと割り切った3年目。

自分の人生の中で大きな変化がたくさんあり、環境も感覚も経験も、今考えると本当に濃い期間の過程をひとつひとつ、(当時はそんなことを意識なんてしていないけど)正直に素直に、気まぐれペースでnoteに残してきました。ほぼほぼ吐き出すみたいな感覚だった。ここでしか交われない誰かに、読んでもらえるかもしれない、ってことが、うれしくて新鮮で。

時間や心の余裕とともに、何にも縛られていないからこそ、わたしはこの先どうなるの、っていう浮遊感みたいなものも感じていたときの気持ちを思い出した。


そしてこの人、ときどき、とっても照れくさそうに恋愛について書いてる。この人絶対恋愛初心者じゃんっていうのがわかるくらいに。ちょっとほんとに、読んでて恥ずかしくて甘くてすっぱいから、このnoteアカウントは家族や知り合いなど、誰にも見せられません。笑

恥ずかしさが圧倒的ではあるけど、みずみずしいな、っていうのも感じるんですよね。
今のわたしなら、この言葉は出てこないな、とか。こんな言葉知ってたんだ、とか。

もちろん、
「なーに言ってんだ!🥴」
みたいなものもありますが、それもご愛嬌。笑

つまり、唐突ではありますが、noteありがとう!あのときnoteを始めてよかった!
読んでくださってありがとう!
という気持ちを綴りたくて、ひとまず、ここに残しました。

P.S.未来のわたしへ
きっとこの記事も、いつか恥ずかしくなると思うよ🤗

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