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【LTRインタビュー:雷門風太(らいもん・ふうた)】オタクバーのマスターと漫画デザイナーと。二足の草鞋を履いた、忙しくも楽しい日常

(初投稿2023/3/29、最終改稿2023/3/29、YouTubeリンク追加2023/4/19)

東京・町田でオタク・サブカルバー「Swing-By(スイング・バイ)」を営むかたわら、漫画デザイナー(注)としても活躍する雷門風太さん。いろんなお客さんと出会うのが楽しく、店をどういう場にするか、オタクだからこそなにができるかをいつも自分に問うているというが、さて……。

 オタクを仕事にしてきたので、漫画家さんや漫画誌の編集さんの知り合いが多く、彼らとオタクな会話のキャッチボールをするのが当たり前でした。でも、そうしたくてもできない人が大勢いることにふと気がついて……。業界と関係のない普通の人って、オタク話をする相手が周りにいないんですよね。だから、店を始めるにあたって、ここに来れば昔の漫画のことでもいまヒット中のアニメのことでも自由に語り合えるようにしたいと思いました。
 近いものとしてはアニソンバーがありますが、あちらはアニソンを歌ったり聴いたりすることに主眼を置いている。そういう店でなく、スタッフがお客さんのオタク度の高い話にちゃんとつきあえて、かつ一緒に盛り上がる場をつくりたかったんです。僕はそれができるし、お酒も大好きだし、適役かなと(笑)。じっさいに話をしてみると、自分はオタクじゃないという人が特定の分野にメチャクチャくわしかったりして、おもしろいですよ。
 難しいのは、初めてのお客さんにどう接するかということ。ずっとスマホをいじってる人に声をかけていいのか、ひょっとしたら向こうも話しかけてほしいんだろうかとか、悩ましいです。自分がシャイなので、同じようにシャイなお客さんに対して身構えてしまうのかもしれません。この性分は簡単に治らないけど、気をつけるようにしています。
 お客さんが望むこと、また訪れたくなることはなんだろうと考えて、当初から力を入れてきたのが、店内で行うライブやトークショーなど各種のイベント。アニメプロデューサーの井上博明さんによるトークは、アニメ業界のレアな情報をいち早く伝えてくれるから、ファンにはたまらない。こういう企画は、今後もっと増やしていきたいです。
 イベントをやる以上、いろいろ目配りすることが欠かせず、テレビでアニメ番組があるとできる限り録画しています。いま放映されているものの大部分は見ているはず。お客さんに後れを取らないためにも、最近の動向には意識的にアンテナを伸ばしていますよ。

子どものころ漫画(とアニメ)に出合って、夢中になる。以来、どんな時もそれは雷門さんの生活の中心にあり、漫画にかかわる仕事をしたいという気持ちが揺らぐことはなかった。これまでの歩み、とりわけ人生の大きな転機となったできごとについて聞いてみると。

 漫画に目覚めたのは、小学生の時。ちょうどテレビで「超電磁ロボ コン・バトラーV」というロボットアニメをやっていて(1976.4.17.~1977.5.28.放送)、ハマったんです。自分でもノートにコマを割って、見よう見まねで似たようなものを描いていました。中学高校では漫画サークルに参加、仲間と作品を持ち寄って批評し合ったり、個人としても簡単な体裁の小冊子を出したり、1~2回は投稿もしたんですよ。そのころから小説も書くようになり、大学に入ってから、小説・漫画ともに出版社に持ち込んでいました。
 とにかく自分でものをつくりたい、漫画やアニメの業界で働きたいという希望がずっとあったんです。22歳でデビュー。といっても、マイナーな雑誌の巻末4コマなんですが。デビュー後、本格的に絵を勉強しようと大学を中退、デザイン専門学校に入り直しました。そこを出たあとは漫画・アニメ関連の編集・ライター・デザイナー……たまにイラストレーターとしてフリーランスで活動することになります。2000年代はバンバン注文が入り、大忙しに。このころ、デザインの代表作もいくつか生まれました。ただ、多忙を言い訳にして新しいものを吸収するのを怠ってしまった。そうこうするうち電子書籍の時代が到来し、リーマンショック(2008)や3・11(2011)の影響もあって、見事に仕事がなくなりました。このままではマズい、ジリ貧になるだけだと頭を抱えていたら、気にかけてくれた担当の編集さん経由で、アダルトグッズメーカーが企画デザインのできる人を探しているという話が舞い込んだんです。就業時間中に他社の仕事もしていいというので、心機一転、働くことに。
 ところが、職場に行くと細かい雑用は多いし、人手が足りなくなったら倉庫に駆り出されて箱詰めとか畑違いの労働もしなくちゃいけない。こんなことまでするのかと情けなかったけれど、いざやってみると楽しくて、イヤではなかったです。それまで20年以上自宅にこもって机に向かう生活をしていたから、新鮮に感じられたことも大きいのかなあ。
 もうひとつ予想外のことがあって、それはアダルトグッズの商品の大半がオタクっぽいコンテンツだったことです。アニメみたいなイラストのパッケージにすると、オタク気質のお客さんが買ってくれました。この層にアピールする商品を増やそうということになって、僕の持っていたオタクなデザインのスキルが役立ったうえ、漫画家さんのコネクションも活用できた。漫画デザインの仕事が減ったのは悲しいことですが、この会社で働いたことは無駄ではなく、結果的に仕事の幅が広がった気がしています。

仕事にも慣れて順調にいっているアダルトグッズメーカーを離れたのは、2年後。いくつかの理由が重なっての決断だったというが、この経験が次の転機、すなわちオタクバーのマスターへの転身につながるのだから、運命というのはわからない。

 このころ、同居する母親が認知症を発症し、介護に手がかかるようになるんです。それと、絵師という職業を軽んじるメーカーの社風に疑問が芽生えたこともあって、いよいよ会社勤めとの両立に限界を感じ、社長と話し合った末、辞めることにしました。
 それからちょっとあとに、中学の時の友だちから会いたいと連絡がきたんです。別の会社を経営していて、次は町田でバーを始めたい、店長をする気はないかという。オレがやったらオタクバーになると答えたら、別にいいよ、と。ここから、開店に向けて動き出しました。ただし、彼との共同事業はうまくいかず、現在は僕が単独で店をやっています。
 飲食業にかかわったことは一度もなく、自分と縁のない世界だと思っていました。でも、メーカーの仕事を通して、よそではできない経験を積み、マインドがちょっと変わったんでしょうね。さほど迷わず決めました。町田は多摩地域のハブ都市で一日中にぎわっているし、学生の街でもあるし、ここでオタクバーを開いたら僕の体験なり業界での評価なり人脈なりを活かせるはず、と。そこそこ勝算があったので、踏み切ることができたんです。
 アダルトグッズメーカーに勤める前の自分だったら、僕は漫画デザインしかできない、それ以外のことをしてはいけない、というこだわりを捨てきれず、断ったと思います。自分で自分に縛りをかけていたかもしれません。だけど、バーの店長を、という思いがけない提案をされて、肩の力がふっと抜けたのかな……。漫画デザインに関係のあることならなんでもしたらいいじゃないかと、前向きな気持ちになっていました。
 出店に先立ってクラウドファンディングで資金を集め、2016年5月7日、オープン。店内の棚という棚に自宅から運び込んだ漫画やグッズを並べていたら、常連になった人たちがポツポツと自分のものを持ってきてくれるようになって。現在の唯一の従業員である妻には、ものが多すぎるとあきれられていますけど、初めからこれをイメージしていたので、雑然としていていいんです(笑)。リビングの延長みたいな感じで、くつろいでいます。

奥さまのサポートがあるとはいえ、基本は雷門さんが独りでバーを切り盛りする。深夜までの長時間営業ゆえ、漫画デザインの仕事に使える時間が少ないことが気がかりだ。開店から7年を経た店の現在は。そして、今後どういう展開が考えられるか……手探りの日々が続く。

 開店は夜7時。デザインや漫画の仕事に集中できるのはせいぜい午後の2~3時間というところで、いまはデザイン系でなく漫画原作が増えています。これは作品の世界観やキャラクターの設定、シナリオ、演出、ネーム、資料集めと、なんでも自分でしなくてはならず、ものすごく時間がかかる。遅れたら漫画家さんにも編集さんにも迷惑をかけてしまうし、この作業をする時間をもうちょっと長くとれないかと、試行錯誤しているところです。
 そういえば、お客さんがさまざまな話をしてくれ、それを参考にしながら原作を書くことも。もちろん特定できないように工夫しますが、店をしてよかったと思うことのひとつがこれです。人との出会いを作品にフィードバックできるのは、恵まれているというしかありません。
 店の雰囲気も変わってきました。オタクの居場所という色合いが薄れたのは、音楽の力が大きいんです。きっかけは、中学時代の同級生がある日、ふらっと現れたこと。音楽プロデューサーをしているその友人といろんな話をして、彼が「DJ-J」としてお客さんのリクエストに応え、音楽をかけるDJイベントを定期的にするようになった。先ほど触れた井上さんのアニメトークと合わせて店の二本柱といっていいぐらい、定着しました。
 自分は音楽に縁がないと前は思っていたし、DJがなにをするのかも知らなかったけれど、このイベントが気に入って毎回のように来てくれるお客さんもいます。お気に入りの曲が流れるとみんなすごく喜んでくれて、僕もホントに楽しんでいます(笑)。やっぱり仕事も楽しくなかったら続かない……そう実感しているところです。
 じつはロングタイムレコーダーズの会員になったのも、Jさんが声をかけてくれたから。音楽をよい状態で多くの人に届けるという活動は、バーの運営にも通じると思えたんです。そのための場を提供したい、この店でよかったら使ってくださいという気持ちですね。
 コロナで減ったお客さんも少しずつ戻って、ようやく活気が出てきました。近くの米陸軍座間キャンプで働くアメリカ人オタクのグループが顔を出したり、あと旅行の途中わざわざ立ち寄ってくれた英国人もいて、日本人がスルーした80年代の漫画が彼の心に響いたのか、熱く語って帰った。同じ作品も、彼らは僕たちと別の目線で評価するので、会話が弾みます。日本人も外国人も「オタク」という共通語を使って相手を理解しようと努めた結果、ことばが通じなくても話ができる。もっとも、オタクな話題しか出ないのが前提ですが(笑)。
 正直、赤字の月もあってお金の面ではつらいんですけど、こういう場を維持していくことでさらに広がりが出ると思うので、なんとか踏ん張らないと。漫画やアニメに加え、音楽という僕にとってはよくわからなかったジャンルのイベントもやるようになって、これまでにも増して多彩な楽しみを提案できる店になる、いや、そうすると自分を励ましています。
 町田の近辺だけでなく、もっと遠くからのお客さんにも居心地のいいバーだと自負しています。オタクでなくてもおもしろい場ですから、ぜひ足を運んでください。

2023/2/17@Swing-By(スイング・バイ 東京都・町田市)

(インタビュー & 文:閑)


*雷門風太さんは、NPO法人ロングタイムレコーダーズの正会員


(注)
漫画デザイナーとは、漫画・コミックスにかかわるすべてをデザインする職業。装幀、タイトルなどのロゴ、関連グッズ、CD/DVD/ブルーレイ盤面ジャケット冊子と、あらゆるものが含まれる。

YouTube映像 → 雷門風太 アニソンの歴史 1950s-1980sを駆け足でふりかえる(1957-1963編)https://youtu.be/cLeRMbgbRSI

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