榊原紘『悪友』デジタル栞文-vol.4-

 「遠泳」同人の榊原紘の第一歌集『悪友』(書肆侃侃房)が刊行されました。毎週一回、「遠泳」メンバーがリレー方式で歌集についてnoteを更新しています。第四回目は北村早紀が担当です。

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 知っているはずの歌であっても、歌集という形でまとまっている状態で読むと違った感じがすることは、何回やっても新鮮に不思議に感じます。榊原さんの歌には静かなイメージがあったのですが、今回歌集として読んでみると、思っていたよりもハイテンションなんだなと思うようになりました。(けれど静かというのは、初めて出会った1回生のとき、先輩としての榊原さんと榊原さんの歌の印象を引きずっているところがあったかもと思います。笠木さんの歌集のときにも似たようなことを書いた気がするのですが……物心つきたての頃の印象って重大に尾を引いてしまうものです。)

 歌集を通して読むと難しい単語がたくさん使われていて、すんなり読み通せない歌が結構ある印象でした。そのあたりに、ハイテンションというか、ハイカロリーな感じがしたのだと思います。

花冷えの城址できみが振り返る いつまでを早年と呼ぼうか「悪友」
鉢合わせしようよ転生ののちに孔雀と螺子になったときには「悪友」
言い返す言葉を探す風のない隘路に身体を斜(はす)にしながら「悪友」
野良猫が御用達との小径ゆえいつか会えると思ってました「飛び級」
たちまちに舌圧子へと移る熱 この身はやわい筒だと思う「はためく」
死んだのは生きてたからで、わかるけど 果実の罅を指でなぞった「虹を」
遊底を引き抜くはやさ あなたって誰も乗らない遊覧船だ「猫はどこへ行く」
負い革を握ってねむる うたわれた子守唄なら覚えていない「猫はどこへ行く」

 こういった「決め台詞」的なかっこいい単語が入った歌は、連作の中に少しずつ入っているので、そのような歌が一度にたくさん読めるのも歌集ならではのことで、読んでいて楽しいポイントだと思います。 

 単語が難しい歌集からは小難しい印象を受けることが多いのではと思いますが、この歌集を読んでそうは感じませんでした。語り口はかなりくだけていて(例えば「思ってました」「見てた」「住んでる」「とこ」など)、単語の感じからすると幼い感じがするくらいのものであることが理由のひとつなのではないかと思います。難しい単語がたくさん出てくる歌集はよくあるような気がするのですが、それでいて幼めの口語、というバランス感覚もこの歌集のおもしろさのひとつではないでしょうか。

 初出のときから改作された歌にひとつ気づきました。

陽を握り潰したように陽は在ってカルシウム不足を自覚する「海鳴りの語尾」

 初めて読んだときには「陽を握り潰したように葉は在って」となっていて、「ひ」を握り潰したように「は」という、ハ行の音のつながりが印象的で覚えていたので歌集に載っている形を衝撃的に感じました。

最後に好きだと思った歌を挙げておしまいにしようと思います。

歌集の刊行、おめでとうございます!

祝福を 花野にいるということは去るときすらも花を踏むこと「猫はどこへ行く」
ここからはどう足掻いてもきみの死後 ホースで虹を見せたかったよ「虹を」
ひとが花ならば手折っていくだろうまずは肋骨あたりに触れて「でも窓辺から」
ふっつりと椿の花が落ちるような眠気に街は敷きつめられて「短い脚立」


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