「はるかカーテンコールまで」デジタル栞文

「遠泳」同人の笠木拓の第一歌集刊行記念note!第二回目の更新担当は北村早紀です。

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先日サークルの後輩が、「きょうたんの先輩たちの歌はずっと覚えてる」
「はじめに見た短歌を親だと思ってついて行くので、たまになにかで思い出したり無意識に真似しそうになったりする」
とツイートしていて、うおー私も同じように思うよ、と思いました。
うおーわかるわかる、と思ったときに私が思い浮かべた何人かの先輩の中に笠木先輩がいます。
(以下はその後輩が言いたかったこととは全然違うのかもしれないけれど。そしたらごめんね!)

自分が短歌をつくるひととして物心ついたときにあまりにも身近にいて、だからもう本能として後をついて歩いてしまうというような。その感じにはまさに、殻から出たときにはじめて目にしたものを親だと思いこむ小鳥のようだと思います。
京大短歌の先輩たちに対して、影響を受けた歌人とか好きな歌人とか、そういう言い方ももちろん間違いではないんだけど、なんだかしっくりこないまま何年も放っておいたところへ、すこし納得ができました。

いろいろ書きたいことがあったような気もするのですが、「親鳥」のことを話そうとするとどうしても自分が小鳥だった日々についていろいろ思い出されてしまって、どんどん話がそれてしまってこの場にそぐわない話ばかりになります。
これ歌会で見た!議論の内容覚えてるなあ。思ったことがうまく言えなくて悔しかったな。などと思いながら読める歌集は私にとってたぶん初めてで、ちょっとまだ距離の取り方に悩んでいるようなところがあるから、というのも理由のひとつとしてあるような気がします。全然「歌集」として読めなくて、なんだか自分の昔の写真を突きつけられているような気分になるのです。
ちゃんと分析をして、この歌集のよさを冷静に説明できるようになるのは、もうしばらく先になってしまいそうです。

考えてみると、笠木さんと私が京大短歌で在籍期間が被っているのはほんの一年なのです。本当に長くて濃い一年、殻から出て、全然飛べなくて傷だらけだった一年のことを私は一生忘れないでしょう。
読むたびに、自分がまだ飛び方を知らなかった時期を思い出す歌集が一冊、
ようやく自分が社会人になって、また全然一から飛び方を覚え直しているタイミングで世に出ることは不思議なめぐり合わせだなあと思います。


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