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虚しい夢が人を励ます――模造クリスタル「スターイーター」感想

 模造クリスタルといえばウェブマンガ「金魚王国の崩壊」が知られているだろう。可愛らしいキャラクターがエキセントリックな言動をすることから生まれる、独特の世界観が印象的だ。小学生でも愉しめる物語でありながら、憂鬱や不安を抱えた主人公がたびたび描かれ、寓意を感じるセリフが多い。
 二〇二二年二月に刊行された『スターイーター 模造クリスタル作品集』(イースト・プレス)は、模造クリスタルが個人誌で発表したものに加筆修正した三編と、描きおろしの一編から成る。
 表題作の「スターイーター」以外は魔女やドラゴンが登場するなど明らかにファンタジー世界を描いている。「スターイーター」も後半に現実離れした出来事があるためファンタジー作品集と言えなくもない。印象としては著者が同じという以外に共通点のない作品集だろう。

 本稿はこれから「スターイーター」について私の解釈を述べる。正直なところ、自信のある解釈ではない。作者の想いからは外れているかもしれない。ただ私にとっては腑に落ちるものだった。それをここに書き留めておきたい。

 まずはあらすじの紹介から始めよう。
 月橋きりんは(恐らくネットを通じて知りあった)水無月さんと初めて会おうとする。だが、きりんに嫌われることを恐れた水無月さんは土壇場になって会うのをやめてしまう。
 きりんは二人で見て回る予定だった場所を一人で歩く。パソコン屋さんのマスコットキャラの声を演じるオーディション会場を興味本位で覗き、マルチタレントのアリカちゃんと出会う。アリカから未来のアイドルになるよう勧誘されたきりんは、自分にはできないと断ろうとする。
 だがアリカに“悲しみを知っている人こそ 人をはげませるのよ/だからあなたは落ち込んでいる時にこそ/他の落ち込んでいる人をはげましなさい”と諭され、きりんは“いい言葉なの……”と涙ぐみ(一一〇頁)声の収録に応じる。
 ここまでのあらすじからすると、きりんが未来のアイドルとして成長していく姿を描いた物語だと思うかもしれない。新たな人物が登場し、思いがけない方向へ物語は転がる。

※ここから「スターイーター」について結末まで触れます。未読の方はご注意ください。

 初めに読み終えたとき、雪村ちゃん(一三一頁からは愛称なのか「不安ちゃん」と呼ばれている)の手紙に私も“いい言葉なの……”(一五三頁)と感じた。しかし落ち着いて考えてみると、この手紙の文章は意味がよくわからない。
 雪村は人里を離れ、山奥で一人だけで暮らすという。当然、きりんとも会えない。会えない相手がどうやって励ますのか。そしてなにより「雪村」でも「不安ちゃん」でもなく「スターイーター」が励ますとはどういうことなのか。

 二人の出会いの場面に遡ろう。アリカに勧誘された翌日、きりんは学校で雪村に仲良くなろうと声をかけるが拒絶される。しばらくして雪村のほうがきりんのことを心配し、声をかける。反省し、もう絶対にしないというきりんに“……そういうことじゃなくて”(一一八頁)と雪村がなにか言いかける。
 なにをやめるべきと雪村は思ったのか。その答えは少し後になって示される。アリカちゃんから強引にトレーニングを受けたきりんは、自分には向いていないと落ちこむ。そんなきりんに雪村は“前にも言ったけど/あんた明るくふるまおうとしすぎなのよ”(一二九頁)と告げる。
 雪村がやめるべきと言ったのは、友達になろうと声をかけることではなかった。無理に明るくふるまうこと、自分を偽ることだった。だとすれば、あの手紙はますます不可解なものになる。まわりを騙してまで明るくふるまうことに反対していた雪村は、なぜきりんにおまじないをかけたのか?

 雪村の心境に沿って考えてみよう。きりんが初めて声をかけたとき、教室の中だというのに雪村はマフラーと手袋をして震えていた。その理由として“私は人に嫌われると/それが寒気として感じられるのよ”と述べ、きりんに声をかけられてもすげなくしたのは、仮に仲良くなったところで“あんたに嫌われないか怯えながら過ごすなんてごめんよ”と思うからだという(一二一頁)。
 ところが、そんな雪村が寒さを忘れる場面がある。魔女になるには新月の夜に空から降ってくる星、マナの結晶を食べなければならない。二人は星を拾うべく夜中にでかけ、寒がるきりんに雪村はコートを着せる。きりんのそばは温かい、なぜなら“なんか世界中の悪意が代わりにあんたに集まってる気がする”(一三九頁)からだという。
 人里を離れ、たった一人で暮らさなければならないと思い詰めるほど雪村の不安は激しいものだった。それがなぜ、きりんのそばでは和らぐのか。

 いったん先程の場面に戻ろう。無理をしてまで明るくふるまうべきではないと説得する雪村に、きりんは“みんなも明るいきりんの方が好きなの”と述べる。そして“本当のきりんは人を不幸にしかできないの”とうなだれる(一三〇頁)。
 これは冒頭の場面に整合する。きりんと水無月さんは顔を合わせようとした。しかし水無月さんから“私こわいの…/私… きりんちゃんに嫌われたくない…/会うなんてやっぱりできないよ…”(九七頁)と電話で伝えられる。
 人と出会い、仲良くなればそれはきっと素敵なことだろう。けれど、出会いはリスクでもある。本当の自分、根暗で自信のない、まわりの人を不幸にしかできない自分を知られ、嫌われてしまうかもしれない。

 ここからは私の想像になる。人付き合いを避けても、ただありのままでいるだけで人に嫌われるとは、きりんの告白を聞くまで雪村は考えたことがなかったのではないか。
 寒気のことを雪村が初めて告白したとき、きりんは考えすぎではと指摘する。そんなことはないと雪村は否定し“私はこの肌を通じて世界中の悪意が伝わってくるのがわかる…”と青冷めた顔をする(一二一頁)。
 雪村はきりんの言葉から、肌で感じる世界中の悪意の正体を初めて悟ったのではないか。それは雪村がありのままでいること、明るい自分を演じないことによって向けられる悪意だった。
 そう考えると雪村が“私 ここでは生きていけない”(一三一頁)と人里を離れようとすることも頷ける。悪意の正体に気づいたところで、雪村にはいまさら他人に迎合して生きる道を選べなかったのではないか。

 このように想像すると、星を拾いにでかけたとき雪村はなぜ寒さを忘れたのか、ひとつの仮説が成り立つ。このとき雪村は偽りの自分を演じていたのではないか。
 他人と馴れあう生き方ができない雪村は、しかし“あんたは私をはげまそうとしてくれたのよね”(一三二頁)と、きりんにお礼としておまじないをかけてやろうとする。本来、きりんは雪村にとって初めて声をかけられたとき口にしたとおり“どうでもいい…”(一一六頁)存在だった。しかし、このときだけ雪村は妥協し、落ちこんでいるきりんを励ます偽りの自分を演じようとした。
 だから、星を拾いにでかけた夜に世界中の悪意が集まったのはきりんのほうだった。このとき雪村はきりんに好かれる自分を演じていた。雪村の前では根暗な自分を隠そうとしないきりんのほうこそ悪意を向けられるべき存在となっていた。少なくとも雪村の心の中ではそんな理屈が成立していたのだろう。

 では、そもそも雪村はなぜきりんを励まそうとするのか。明るい自分を演じて人を騙すより、ありのままでいるべきというのが雪村の考えではなかったか。
 恐らくそれは、他に選択肢がなかったからだろう。きりんと雪村、二人の生き方はどちらかだけが正しいものではない。人に嫌われたくなければ明るい自分を演じるしかない。そんな騙すようなことは嫌だと人を拒んでばかりいても悪意を向けられる。自分は変わることができると信じて挫折をくりかえすか、あらゆる人間関係を断って孤独を貫くか、どちらかしかない。
 だから雪村がきりんにできることは励ますことだけだった。それは本来、雪村の生き方としてはありえない行為だった。きりんにお礼をしたいがために、一時だけきりんの生き方に付き合おうとした。
 このように順を追って考えると、手紙の謎が解ける。雪村はあの手紙にどうしても自分の名前を書くことができなかった。「私がきりんをはげます」と書いてしまっては嘘になる。きりんを励ますのは本当の雪村ではない。明るい自分を演じて人を騙す虚構の存在、スターイーターだった。

 このように考えてみると、前半と後半の乖離も腑に落ちてくる。初めはごく普通に現代日本と思しき光景を描いていた。悪意を寒気として感じると訴える奇妙な女の子が現れ、魔法を使えるだの星を食べたりだの現実離れした展開に転がっていく。
 雪村という女の子は本当にいたのか? 心の弱っていたきりんが頭の中に生みだした妄想、空想上の友達ではないのか? そんなことを疑ってみたくなる。雪村の存在の危うさ、はかなさは、スターイーターという虚構とつながっている。

 この物語のテーマを短くまとめるなら「物語には人を救う力がある」とでもなるだろう。だが、仮にそんな言葉がキャッチコピーとしてこの本の帯にでも書かれていたとして、書店で手にとった人が胸躍らせるような明るい希望はここにはない。寒気のするようなひどい現実を突きつけてくる。
 雪村が去った後、きりんはきっとまた挫折をくりかえすだろう。スターイーターが自分を励ましていると信じ、明るい自分を無理に演じては人々を騙すだろう。ぼろぼろになりながら、それでもいつか自分は変われると信じて落ちこんでいる人を励まし続ける。
 落ちこんでいる人を励ますスターイーターの正体は、人から嫌われることを恐れて空元気をふりかざす、本当は人を不幸にすることしかできない存在でしかない。
 弱い人間が弱いままで生きていけるという保障が現実の社会に無い以上、初めから救いなどありはしない。世の中は不条理なのだから、誰もが確実に幸福になれる選択肢など無い。ただ虚しい夢だけが人を励ます。物語が人を救うとは、なんと悲しい考えだろう。

 けれど、こうも思う。生き方を曲げてでも雪村はきりんを励ますことができた。どれだけ悪意に傷つけられてきた人でも、そんな力が少しくらいは眠っている。星を食べ、目や口から星を噴きだし、テーブルに頭を何度も打ちつけるようなつらさを乗り越える勇気がある。
 きっと夜の町のどこかで、スターイーターは人々を見守っている。

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