股旅CENTRAL_day7_富山
かのバディ・デフランコの名曲「Stardust」の閑やかなクラリネットの音色が、そろそろ蓄積してきた旅の疲れを癒す。
柔らかな鶯色のソファに身を沈めれば、
よくある味のアメリカンコーヒーがやけに美味く五臓六腑に沁み渡る。
昨日から降り続いた雨はようやく止んで、
窓からはレースカーテン越しに暖色の光が差しはじめた。
いいね、とてもいい。
思考が捗る。
頭の中で膨らむ、今日の撮影のイメージ。
ホテルのチェックアウトから、乗りたい列車の時間までは2時間も空いていた。
私はスマートフォンで喫煙可能な喫茶店を探し、ヒットした一番近い店に向かっていたのだがどういうわけか道を間違え、随分と通り過ぎてしまっていた。
そのことに気づいた時目の前にあった趣のある店の扉を開けた、それがこんなにいい店なのだから最短距離が決して正解だとは限らない。
しばらくしてよく喋るビジネスマン3人組が入ってきてしまい、ゴルフだの昨夜行ったお姉ちゃんの店だのの話が聞こえてきて素敵な時間は終わってしまった。
そして、悪いことは続くものだ。
今日の依頼主(以前一度依頼を頂いて撮影したことがある)から届いた一通のDM、その内容に私の気分は地に落ちた。
依頼主のプライバシーは守るので正直に書く。
依頼内容は「彼氏さんと二人でのカップル撮影」、DMの内容は、「以前撮影したこと、面識があることを彼に秘密にしてほしい」というものだった。
戸惑った。
私は既に面識のある相手に「はじめまして!」と言わなければいけないのだろうか?
それだけにとどまらず、依頼の2時間ずっと初めて会ったていで振る舞う……?
なぜ?
それは言外に、私に嘘をつけということで、
人生を懸けてやっていることを、今でも思い出せるあの仕事を、なかったことにしてくれということにもなる。
秘密にしたい理由としては「内緒にしてきたので彼に色々言われるのが面倒」とのこと。
およそ私が嘘をつかねばならない合理的な理由とは思えず、合意しかねるリクエストだった。
実際にはもっと複雑なやりとりがあったのだが割愛……
最終的には「とてもそのような状況では仕事を全うできない」と判断し、キャンセル扱いとさせてほしいとこちらから申し出て了承していただいた。
この時点で既に、金沢から乗り込んだ列車は富山県に入っていた。
富山での予定、消えちゃったよ……。
喫茶店での気持ちいい朝、ふわふわ浮かんでいたところから地に落ちて、気分としては側溝の隙間から下水路まで流れた私は、
電車で隣に座った若い男の貧乏ゆすりがひどい、そんな小さなことで苛つくほど心がささくれ立ってしまっていた。
ああ、、先が見えなくなってしまったな、
というかもうこの先なにもないじゃん。
間もなく列車は富山駅に到着した。
路面電車が走る眺めの良い街だ。
ふと、駅前に停まっているバスが目に留まる。
「富山→名古屋」。
……乗ってしまえ。
乗るはずではなかったバスは東海北陸自動車道を南下していく。
い〜〜い景色だあ。
こんな景色、目にする予定じゃなかったんだけどなあ。
岐阜を縦断。
道中、飛騨/白川郷/郡上八幡などの名だたる景勝地を通り過ぎて遥か彼方に岐阜の市街地を望む。
約4時間。
勢いで乗り込んだバスは名古屋に到着した。
ここはこの旅の始発地点だ。
戻ってくるなんてつい今朝まで夢にも思わなかった。
名古屋→岐阜→福井→金沢→富山→新潟→長野
だった旅程は、
名古屋→岐阜→福井→金沢→富山→金沢→富山→金沢→富山→名古屋
現実にはこうなっている。
なんだこのループは。
結果的に富山で入っていた撮影依頼1件は先述の通りなくなり、新潟はもともとゼロであった。
最後に行こうとしていた長野では、古い友人と会う約束をしていたのだが「ごめん全てが狂った、許してくれ」と謝りこれを無期限延期に。
残り5日間、私のスケジュールは完全に白紙となった。
ここから先何処へ流れるか自分でもわからない。
ただ今日は疲れてしまったのでもう休みたいと思う。
東京を出て1週間、
この旅はいよいよわからなくなった。
明日どこにいるのだろう。
面白くなってきたね。
旅は続く。
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