写真展「グッドバイⅡ」のこと
2023年2月18日〜26日の1週間と少し、新宿三丁目の酒場2店舗にて小さな写真展をさせていただいた。
私はしがない写真家としての活動の傍らもう10年も前から、「BAR一人旅」と銘打ってキングビスケットという暗闇酒場で週に一度のペースでバーテンダーをしている。創業は平成元年、新宿でもかなり古いと言われるようになった、小さいが趣のある酒場だ。
いつからか深夜、店の片付けを終えるととある酒場に足を伸ばすようになった。
同じく新宿三丁目、キングビスケットから歩いてすぐの場所に位置する、これまた小さな酒場、名をクルテルという。
3年ぶりとなる酒場での写真展の会場は自身に深いゆかりのある2店舗同時開催とさせていただくことになった。
私は自分のイベントに自分が居ないことが耐えられない性分であるので、写真展の期間中は毎晩どちらかの店に常駐し、来てくださった皆様を夜な夜な出迎え、歓談し、時には解説などし、見送った。
3年前はキングビスケット1店舗のみの開催だったのだが、内容や私の振る舞いに大きな差はない。
わざわざ時間を作って、しかもこの厳しい寒さの中私に会いにきてくれる方がいることに感動の念を禁じ得ない、ということも前回と同じくである。
本当にありがとうございました。
3年前に引き続き足を運んでくれた方は「懐かしいね、もうそんなに経ったんだ」
この3年間のうちに知り合った方は「いいね、面白いね」
といった感じでそれぞれの感想を語ってくれた。
手持ちランタンを灯しながら写真を観る、このスタイルは暗闇酒場という絶好のシチュエーションあってこそのものだし、私自身とても気に入っている。
好評を得ることができて嬉しく思う。
3年前と比較して最も大きな変化は、深い時間に来る方が減った、というよりほぼ居なかったことだ。
前回の酒場写真展のすぐあとにはじまり私たちを3年もの長きに渡り脅かした疫病は、およそ1000日の間に「ただふらっと飲みに出る」というなんてことのない生活習慣をも変えてしまったのだと強く感じた。
一度根付いた習慣を戻すのはとても難しい。
これから長い時間をかけて飲食産業はこの問題と戦っていかねばならないのだろう。
ナイトクラブ等の社交の場もまた然りだ。
変化というと私自身の身にもそれが起きていた。
3年の間に齢40を迎え、あの頃より格段に体力が落ちている。
夜遅くまで酒を飲むこと自体は今でも週に何度かあるが、それが連続するとなると若い頃とは話が別だ。
悟られないようにしていたが3、4日目で早くも体力的にキツくなり、結果的に深酒を9日続けたわけだがその最中は生活がボロボロであった。
深夜まで酒を飲み朝方家に帰る。
何も出来ずにそのまま眠る。
目が覚めると夕方でバタバタと支度をして酒場へ出かける。
洗濯も洗い物も掃除も出来ずゴミも出せない。
顔にはできもの、メシが喉を通らずみるみる痩せ細る。
鏡を覗けば二日酔いの酷い顔。
非常にキツい9日間だったと、言いたくはないが言わざるを得ない。
店がオープンすれば誰かが会いに来てくれる。
それだけが心の支えだったし、飲みはじめてしまえばペースが生まれて楽になる。
営業時間中は心から楽しめた。
しかしまあ、そんな状態なので、もうこのような形は今後出来ないのではないかな、そう感じた展示会だった。
今でさえこんななのだ。
数年後はさらに衰えているかもしれない。
グッドバイの話をしよう。
私が実弟の死をきっかけに、このルーティンワークをはじめて4年が経っている。
これまで写った人のなかにはもう死んでしまった人が複数名いる。
死んではいないが、もう二度と会えないであろう人も複数名いる。
幸いなことに、今生の別れだと、挨拶が出来た人、惜しくも出来なかった人。
いろいろな人がいた。
私は記憶力は悪いがすべての人のことを忘れてはいない。
なにかしら憶えている。
すべての人から影響を受けている。
小さくとも。たしかに。
目には見えないが"それ"があなたの生きている証、
はたまた死んだあいつの生きた証。
私と君がさよならをするとき、そこに世界的に著名な写真家が現れたとて、こんないい顔は撮れまい。関係性というものは写真に写るのだ。
そして、ここには一切の作り込みがない。
ライブであり報道であり、記録であり真実だ。
撮り手との関係性が写るということも含め、これが真のポートレートというものなのだろう。
個展最終日のクローズ後も大好きなウイスキーを痛飲した私は、またぞろ朝を酒場で迎え、はるか彼方からわらわらと湧いてくる背広の人達を掻き分け新宿駅へと歩いた。
そして偶々一緒に帰っていた友人に
「もうグッドバイは撮らない」と宣言した。
「グッドバイのその先を撮る」とも。
頬を刺す朝の山手通りを渡り、自宅まで百五十数歩、その一歩一歩を数えながら歩いた。
そのさなかでプードルみたいな会社員とおかしいぐらい赤いシャドウの女を見た、とメモにある。
だが……「その先」とは?
いったいあの日私はなにを閃いたのだろう。
まただ。また私は大事なことをわすれた。
友人に訊けば憶えているだろうか。
いつかふと記憶が戻るだろうか。
とても大切なことだった気がしている。
私は物書きではないので時間軸が行ったり来たりするのをお許しいただきたい。
来る日も来る日も酒に浸された記憶を少しずつ思い出しているのだ。
神様は土曜日の夜に現れて私にこう言った。
「まだ40か、なにかを始めるには遅くねえ」
「最後に写真を撮ってくれよ。もう会わねえかもしれねえからな」
一枚写真を撮った。どこに出す予定もない。
神様が奢ってくれたバーボンは甘苦くて、さよならのようだった。
「なあ、また会えると思ってるだろ?」
酔った私は、個展に来て酒を飲んでいる友人に心の中で問いかけた。
いいんだ。これが最後でも。そいつが楽しそうだったから。
しかし4年か。そんなにやってきたのか。
4年やって思うことは、
さよならっていいものだなと。
さよならだけが人生だ という漢詩の翻訳を引用する。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
___井伏鱒二
この和訳をさらに私の言葉にして締めようと思う。
「まあまあ、酒でも飲めよ、
花が咲いても嵐が来ればそれは散る、
ものごとは移ろいゆくからいいのだ、
さよならは案外悪くないぜ」
あらためて、この度は酒場個展"グッドバイⅡ"にたくさんのご来場を賜り、
誠にありがとうございました。
新宿三丁目キングビスケットのアラタ君 / クルテルのブチさん、
多大なるお力添えに感謝します。
9日間という開催期間は年齢的にキツすぎた。
次があるならばもっと短く考えます。
きっと私はこれからも別れ際を撮るのでしょう。
だって別れは、最も大きな学びをもたらしてくれる。
生き死には同じこと。もう会えないのなら、それは同じこと。
君は私にいったい何を気づかせてくれる。
だから私は人に会い、人と別れる。
人生をもっと豊かなものにするために。
写真家だからシャッターを切る。自然なこと。
さて、春が目の前にきてる。
また私は流れるとします。
また会えたらいいですね。
グッドバイ。
4,Mar.2023
石本一人旅
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