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暗渠

「またと今度はねえんだよ」。

新宿の神様が折に触れて口にする言葉が、いよいよもって重く感じられるようになってきた。


新宿の神様って誰かって?

私もたまにバーテンダーをやらせてもらっている酒場に古くから訪れる、この街で飲んで50数年という白髪のじいさんのことだ。

前触れもなくふらりとやってきて、いつも決まった銘柄のお気に入りのバーボンを数杯タバコと共に嗜むと、決して長居することなく次の店へと流れて行く。

基本的には物静かだが偶に口を開くと、粋で洒落た台詞が耳にした者の心を射る。
いつか誰かが「神様みたいな人だ」と云った。
それ以来私は彼のことを「新宿の神様」と形容するようになった。

そんな神様の人柄にあてられて、
「またお会いしたい」とうっかり口にする人は少なくない。ところがそんな時神様が優しい笑みでもって返すのが冒頭の台詞である。

正しくは、
「もう会わねえよ、またと今度はねえんだよ」だ。


誰しもが唸る、侘び寂びの効いた名言だと私は思うのだが……

いざ自分の健康が脅かされ、終わりというものを明確に意識しはじめると尚のこと心に刺さるものである。



どこから話そうか。

私は肉親のほとんどが他界しており、そのうち祖父と弟を突然死で亡くしている。

もう少し詳しく言うと直接の死因は心室細動。
さらに親しみのある言葉に噛み砕くと、要するに不整脈である。
不整脈のオーバードライブ(SSR)が心臓を止める、と思ってもらえればいい。

存命中だが母も不整脈、つまりこいつは遺伝性の疾患だ。
当然私にも遺伝している可能性があるのだが、齢40に至るまで実感したことがなかったので「遺伝していないか、しているが未発症なのかのどちらか」であると考えられた。

ところが今年に入ったあたりから、
まれに心臓がギュッと収縮するような症状を自覚するようになった。

はじめは数ヶ月に一度だったのが頻度が上がっていき、ついには毎日のようになり、ギュッだったりドドドだったりバクバクだったり症状のバリエーションも増えてきたではないか。

若くして死んだ弟のこともある。
医者嫌いの私だが、重い腰を上げて十数年ぶりの健康診断を受けてみた。

診断結果を待つことなく、心電図の波形で即座に異常が見つかった。
めでたく私も不整脈のキャリアということが確定したのであった……。

不整脈の厄介なのは根本的な治療法がないという点である。

簡単に言うと、オーバードライブの可能性を下げることしかできないのだ。
オーバードライブが起きることイコール、ほぼ100パーセント、ほぼ間違いなく、即ち死を意味する。

発動から意識を失うまで数秒。
自力での119は無理だ(健康体でも数秒では無理無理無理の無理)。
3分で脳にダメージが残るという(3分以内に蘇生なんて無理、AEDは身近なところにはない)。

つまり家系の皆と同様、私にも不整脈は遺伝しており、とうとうと言うべきかいよいよと言うべきか、発症が始まったと。
まったくなんとも傍迷惑な話だ。

さて、こいつには根本的な治療法がなく、オーバードライブ発動の可能性を下げることしか出来ないということは書いた。
それではどのような選択肢があるのかというと、
まあいくつかあるのだが私には「何それバカじゃん」というものなのである。下記。

・手術
ペースメーカーを埋め込む。心室細動が起きた時に電気の力で脈拍を正常に戻す働きがある、と。
→手術なんて絶対に嫌だね

・生活習慣の見直し
ストレスを避け、激しい運動、食べ過ぎ、酒、タバコ、コーヒー等血管に負担のかかるものをやめる
→酒、タバコ、コーヒーをやめたストレスで死ぬわアホか


まあ結局ね、私は先進医療を受ける気もなければ好きなものをやめてまで生き永らえたくもない。

身近な人がたくさん死んで、死そのものへの恐怖心はかなり下がっていることは確かだ。

私がなにより怖いのは死ぬことよりも死が突然訪れるであろうこと。

撮影はしたけど納品をしていないだとか、今作っているアパレルを世に出せないだとか、責務を果たせず中途半端に死ぬことが何より恐ろしい。

仕事のオファーだけならまだしも口約束まで含めた予定を全て消化できるとは思わないし、きれいさっぱり片付けて死んでいける奴などいるはずがないので完璧は求めようと思わないが、
すでに手をつけてしまったものだけは途中の状態で放り出すことはできない。
そうなってしまうことが一番怖い。

死ぬのは全然オッケー。愛するあいつらが超えていったんだ。自分にも超えられよう。むしろ憧れすら、今は抱いているんだ。



2023年11月4日。
今日この日に至って、これまでにない程不整脈が活発になった。
いよいよ恐怖心を抱いた私は、もしもの時に備えて母親に電話して愛を伝え、こりゃあいかんと溜まっている現像作業をひとつでも多く納品すべくパソコンに向かいつつ、休憩がてらこれを書いているのだが、なにぶん急いでいるので写真のひとつもなく乱文であることを読んでくれている方に謝罪したい。

この文をタイプしている今も、不整脈は元気に乱れたリズムを繰り返している。こわいこわい。

今日がひどいだけで今後持ち直し、なんなら長く世に憚ることになるやもしれないが、その可能性があるならば、私には明日などない可能性だってある。
(長生きしたらみんなよろしく)

そんなこと言いつつ明日はBAR一人旅なのだが。
人生最後かもしれないと覚悟をもって酒を飲むよ。

そんなわけで。
生きるか死ぬか。わからんが。
命あるかぎり。
撮る。飲む。吸う。話す。よろしく。

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