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最近、性欲が衰えてきたという話

 これを読んでいただいている皆様にとっては心底どうでもいい話だと思うが、タイトル通り、最近性欲が低下してきたという話をしたい。

異変の発生

 微かな異変を感じるようになったのは先月末か今月に入ったくらいの頃だった。僕も一応もう立派なアラサーとはいえ、朝起きたら大体、いわゆる「朝立ち」という現象が起きていたのだが、これがなかなか発生しないことに気づいた。まぁ、その状態でトイレに行っても落ち着かせるのに余計な時間がかかるだけで鬱陶しかったので、別にいいのだが。

 次に、僕は物心がついてから十数年間というもの、寝る前と朝起きた時に、時間が許す限り、えっちなことを考えたり、過去の画像フォルダを漁ったりしてはモテない自分を慰安していたのだが、それらのルーティーンのやる気がなくなった。代わりに寝る前は読書、朝起きたらYouTubeでお気に入りの猫の動画を見るようになった。涙が出るほど慎ましい習慣ではないか。

 また、推しのアイドルのグラビアや、Xでよく流れてくるオフパコ募集中のアカウントの性的な画像や気に入っているAVを見ても、そう簡単には下半身が反応しないようになった。いや、別に見たくないわけではない。この前もクタクタの状態で仕事から帰ってきて、飯の用意もせず、寝転がりながら目の保養がてら菊地姫奈のFRIDAYのグラビアをぼーっと眺めていたが、やはりピクリとも反応しない。

 ここまで書けば何となくお察しかと思うが、もう少し赤裸々なことをお話すれば、自家発電の回数が減ってきた、というか、したいとも思わなくなった。今月、1回旅行中に夜眠れずイライラして「ちくしょー、やるか!」と思った時もあるのだが、持続力がなく、すぐにフニャフニャになってしまう。ここまでのことは今までの人生でも経験がない。

 以上の異変が発生して、まず僕の頭をよぎったのは、「自分はEDになってしまったのではないか」ということであった。まぁEDになったところで相手がいないので何を不安に思う必要もないが、これでもまだ一応20代である。10代後半の頃のように旺盛ではないけれど、まだ健全というか、元気な年代なはずなのだが・・・。一体何が起こっているのだろうか。

原因

 原因として、最初に思いついたのは、最近の鬱っぽさというか、気分の落ち込みだ。鬱病の症状の一つとして「性欲の低下」がみられるというのはどこかで目にしたことがある。

 若ハゲという残酷な事実、やはりうまくいかなかったマッチングアプリ、そしてもう30歳がすぐそこに見えてきたという取返しのつかない焦燥感や絶望感、容赦なく続く長時間労働と馬の合わないネチネチ系上司からのプレッシャー・・・、相変わらずストレスフルな毎日に段々心身の限界が近づきつつある証拠なのかもしれない。

 次に思いついたもの、かつ一番可能性としてあり得るのは、先月から飲み始めたハゲの薬の副作用である。薬を貰うときにも「性欲の減退」が起こり得ることは説明を受けたし、実際1~5%ほどの人が感じているようである。まぁ、本来例の部分に行くべき血液がその分頭皮に行っているのだと考えれば当然のことかもしれないが、その分ちゃんと効果が出てもらわなければ困る。

性欲の消滅は喜ばしいことなのか?

 これまで僕は、自分にとって性欲はどちらかというと邪魔で、なくなった方が良い、人生が穏やかになると考えてきた。

 まず、性欲がなくなることは、時間やお金の無駄がなくなることを意味する。まぁ男なら大体こんなものかもしれないが、物心がついてから今まで、何百、いや何千時間という、考えるのも嫌になるほど膨大な時間(と、スマホの通信量やらバッテリー)を目先の性欲の解消のために浪費してきた。性欲が消滅すれば、時間をもっと有効に活用できるし、モテようとして変な努力をせずに済むし、(僕はもう何年も行っていないが)風俗にお金を使うこともなくなるので貯金が増える。

 また、これまではイチャイチャしながら街を歩くカップルを見かけるたび殺意を覚えていたが、これは「クソッ、なんで俺にはできないんだ、羨ましい…!」というような性欲由来の感情であり、こういった負の感情から解放されれば、カップルを見ても心がかき乱されることはなく、猫でも飼いながら穏やかに暮らしていけるだろう。

 さらに、これは自分のみならず、社会にとっても有益だ。僕のような気色悪いチー牛ホビットの性欲が女性にとっては一番恐ろしいものかもしれない。こういう人間が暴発して性犯罪を犯すことなく大人しく物分かりよく慎ましく死んでいってくれるのは彼女ら、もっと言えばこの社会に生きる正常な人間すべての願いである。

 誇張して言えば、ひいては人類全体の遺伝子の質の向上のためにも喜ばしいかもしれない。生物たるもの、僕にだって母なる自然の導きに従い、遺伝子の継承が本能としてプログラムされているが、生まれてくる子供のことを思えば、僕のようなコンプレックスまみれの人間の遺伝子など受け継がない方がいいに決まっている。

 (こういう時、「一定数は〔お前のような〕失敗作がいた方が種としての人類の遺伝的多様性が保たれるので、良い」などというようなことをぬかす連中がいるが、僕はこういう発言が一番嫌いなのである。まあこのあたり、色々言いたいことはあるが、今回の記事の主題ではないので、別の機会に譲りたい。)

 以上が、「性欲の消滅は、自分にとってのみならず、社会や人類全体にとっても有益だ」という僕の仮説である。

ただただ残る虚しさ

 しかし、実際性欲が衰えてみると、そんなこともなかったというのが正直なところだ。性欲というのは自らの男、人間、生物としての存在の根源に関わる問題であり、これがなくなると、やはりこれは本来の自分ではないというか、何かが足りないというか、そんな違和感をずっと抱えながら過ごしている。

 こちとら別に社会とか人類の今後云々とかそんなことに構っていられるほどめでたい人間ではないし、僕にだって許されるのならば、パートナーを得ることができていたならば、快感を求めて本能のままに女性と性行為したり、一丁前に自分の遺伝子を残したりということをしてみたかった。が、もはや時すでに遅しである。

 性欲が衰えるということは、生物(の生殖機能)としてはもう終わりが近づいていることを意味する。若ハゲという新たな悩みの種の発生とも重なったことで、自分の心身の老いや衰え、何もできなかった無力感や虚無感を痛感し、最近はずっとため息が止まらない。

 一番性的に旺盛だった10代後半~20代半ばにかけて、彼女を作って続々と童貞を卒業し、一人前になっていく周りを尻目に、ただ何もできずに指をくわえ、若さや性欲を持て余すだけで、彼女やらセフレの1人すらもできなかった。もうあの頃にはどれだけ金を積んでも戻れないのだ・・・。

従うべきか、抗うべきか

 さて、僕はこれからどうすべきなのか。このまま流れに身をまかせ、性欲から解き放たれることを目指すのか。それとも、本来の動物的人生を取り戻すために一つここで抗ってみるか。

 性欲に関するしがらみから自由になり、悟りを開くというのも、それはそれで魅力的な選択肢ではある。昔から心の奥底に「出家したい」という願望があり、仏の道は、孤独な男にとって唯一の救済たり得るものだと思っているので、いっそそのまま仏門に入ってしまうのも悪くないかもしれない。

 もしくは、この「物足りなさ」を補うために、マカなり亜鉛なりサプリの服用やらEDの治療に手を出し、性欲の回復というささやかな抵抗を試みるのもアリだ。だが、それなりの手間や出費が発生することなので、何らかの目的が必要だ。性欲が戻ったとしても、僕にはその対象となるパートナーがいないし、今のところできる見込みもないので、結局自家発電で全部無駄撃ちして終わりということになる。そういう意味で、治療が続くかどうかは若干不安だ。

 とはいえ、本当に自分がEDになってしまったのかどうかは判断が難しい。というのも、実際に生身の女性を前にすれば意外に問題なく機能するかもしれないからだ。

 というわけで近々、プロの女性にお相手してもらう機会を作り、どれだけ使い物になるかどうか試してみるのも良いかなと思っている。これでうまくできれば、あぁまだ自分は終わっていないのだなと少し自信が持てるだろうし、ダメであれば、もうきれいさっぱり諦めるという踏ん切りもつきやすくなる。

 さて、今年はコロナ感染、若ハゲ、気分の落ち込み、そして性欲減退・・・と、心身に良くない出来事が続く(ちなみに厄年ではない)。単純に運が悪いだけなのか、それとも自分の心身が本当に老化しているのかは分からないが、何かにつけてやる気がなくなってきたなぁ、生きる気力がなくなってきたなぁというのはよく感じていることである。どうかすると、このまま人生そのものからフェードアウトしてしまいそうだが・・・。(おわり)

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