ネガティブ感情を見つめたい
今まで見たことのなかったような怒りが表に出てきて、そこが突破口になるかのように、いろいろな気持ちが出てきているように思う。
感情と私
そもそも、私は感情を扱うのが苦手で。
特に友情とか、愛情とか、他者への気持ちみたいなものは、自分には難しくて。子どもたちへは言葉で表すようにしているけれど。熱い情熱とか、仲間とか、そういうのには、圧倒されてしまって動けなくなる。
自分では自分の気持ちが、イマイチわからなくて。なんだったら、誰かに「今、あなたはこういう気持ちなんですね」と教えてほしいぐらい。
「そうか、これは『くやしい』という気持ちなのか」と、ある程度大人になってから気づいたこともある。
ただ、面白い!と、楽しい!と、好き~というのは、わりとハッキリと感じられるように思う。
ネガティブな方向も、イライラしたり、悲しくなったりはする。何かネガティブな感情が起こっても、できるだけ流して、感じないようにしているかもしれない。
自分の感覚を大事にする
自分と向き合う中で、イメージワークに取り組んで、自分の中に浮かんできた映像や感覚を大事にする、ということが習慣になってきた。
イメージワークでは、チャクラを意識して、詰まりを取り除いていくようなことを、自分の感覚に沿いながらやってみている。
一度、第1から第7チャクラまで、体の下から上に向かって、順番に詰まっているものを解放していくイメージワークをした。
今、2周目。で、第4チャクラのハートチャクラという、胸のあたりの感情を取り扱う部分に取り組んでいる。
つらさに気づく
アメリカ帰省で怒りが爆発してしまって、帰国後もモヤモヤを抱えながら生活がつづく。うまく取り扱えない感情が、自分の中でざわめくのを、必死に無視しているような感じだった。
で、コロナに罹ってしまって。熱が下がると同時に、また怒りがやってきて、自分の怒りと向き合うしかなかった。
怒りが過ぎ去ると、今度は、「あぁ、私はつらかったんだ」と思うような、過去のエピソードがどんどん脳裏によみがえってきて。
え、ちょっとまって、私って、こんなにずっとつらい気持ちで過ごしてきてるん!?と自分でもびっくり。
自分は生ぬるいお湯に浸かったような人生を過ごしてきてると思い込んでいた。
でも、つらさは他人の定規では測れなくて、自分がつらいと思ったら、それは「つらい」ってことなんだ、と認められるようになってきた。
そうか、私はつらかったんだ、と認められると、今まで感じるのを避けてきた感情が、自分の胸の中に小石のような固まりになって、いっぱい詰まっているように感じ始めた。
感じるのを避けてきた感情に向き合いたい
今はその「感じるのを避けてきた感情」がキーポイントになると感じている。まだ病み上がりだし、エネルギーが湧き起こらない日々を過ごしているけれど。
自分の中にある、特にネガティブな感情を、もう少し取り扱えるようになってきたら、私の心はもっと人に向けても開けるようになるんじゃないかと、そう思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?