映画感想:日日是好日 - マインドフルネスとしての茶道

日日是好日、という映画を観た。樹木希林さんの最後の出演映画。

元々昔少しだけ茶道をやっていた。やっていたあの時は、とても一つ一つが衝撃だったから…この映画の主人公の最初の方の心の動きは、すごく共感できることが多かった。いや、たぶんあの主人公の子よりも、私はもっともっと生き急いでいたのだと思う。

ああ、このお茶のお稽古が終わったらあれをやらなくちゃ、でもバイトの時間もあるし、バイトに行くまでにあの論文も読まなくちゃ。学生団体の仕事もあるから今日は何時に寝て明日何時に起きて…

そんなことをずっと考えていて、お茶のお稽古の途中もどこかで凄く気が急いてたと思う。
どこかで、「こんなことしてる場合じゃないはずだ」って思ってしまってた。

でも、「こんなことしてる場合じゃない」って思ってる人ほど、そんな時間が大事なのだ。絶対に失ってはいけない時間なのだと思う。

お茶室に流れる、あのしんとした穏やかで緊張感がある空気は、最近はやりのマインドフルネスと同じように、自分や自分を取り囲む自然・もの・人、すべてを見つめなおしなさい、って教えてくれるみたいな感覚がある。だから、自分や自分を取り囲むすべてに気を配る余裕がなく前を見たり、下を見てうずくまっている人ほど、参加したら【イイコト】があると思うのだ。

物凄く忙しく火の車のように毎日追われているビジネスマンや、生きづらさを抱えて苦しみながら何とか踏ん張って生きている人こそ、Doing(何をするか)だけでなくBeing(どう在るか)に気を配らないと、本当の火の車になって自分を燃やし、周りを燃やしてしまう。
自分や自分の本当に大切な側にいる人を大切に丁寧に扱えない人は、誰のことも幸せにできない。だから、そんな人ほど自分や自分を取り囲むすべてを認識し、心や体の声に耳を澄ます時間…マインドフルネス、“今、ここ”にただ集中する心の在り方が必要だと思う。

その“マインドフルネス”の取り方は人それぞれなのだ。
人によっては瞑想をすることだし、
人によってはヨガをすることかもしれない。
ある人はめちゃめちゃ運動することで自分の本当の体や心の声が聞こえるのかもしれないし、
ある人は無心に玉ねぎのみじん切りをすることが相当するのかも。

私は茶道も、そんな「自分を自然の一部になぞらえて、自分の本当の心や体が求めていることを傾聴すること」の一手法だと思う。だから、大学生、摂食障害の暗闇真っただ中だった時に、初めて自分から「やってみたい」と親に打ち明けたのだ。

でも実際には、そんな茶道やヨガに通っているのは裕福な家庭の余裕のある女性ばかりで、本当に本当に必要な人は、その場に入っていけない、と捉えているような気もちょっとする(かく言う私も、お茶の姉弟子さんの中では大変に浮いていた。それはもう、「ゆいきちさんはいつも急いでいらっしゃるのね」と何度も言われてしまうほどに、私はお茶を他のTo Doと並列の、時間を区切って行うタスクのように位置付けてしまっていたし…)。

それは凄くもったいない。お菓子、お湯の量、お花や掛け軸の小さなメッセージ一つ一つで、誰かへの優しく暖かな気持ちを静かに伝える丁寧さを感じられるようになったら、自分の小さな小さな心の声にも、少しだけ耳を傾けやすくなるのかもしれないのに。

結局、当時真っ暗闇だった私の心の声は、急ぎすぎていた私自身に聞いてもらえず、自分を見つめることもやめてしまったけれど、
今こうして【noteを書く】という違う形で自分の心の声を聞くようにしてみると、やっぱりあの時間の貴重さ、すばらしさを、何とも言葉に表しがたい形で感じる。じんわりと、でも物凄い静かな熱量で、今すぐお茶をもう一度勉強したいって思えるような。

だからお茶を再開してみようと思う。
最近ずっと自分の夢を実感したり自分の力不足を職場で実感するたびに、気が急いてしまうし投げやりになっちゃう。
本当に本当に自分が何をしたいのか、そのためには今どう在るべきか、自分にとってのwell-beingな状態になれてるか?自分の心や体の声の声に耳を傾けるのは、まだまだ凄く苦手。
今度こそ、前よりももっと丁寧に、自分と向き合う時間を意識的に、取っていきたい。

そんなことを思い出させてくれる素敵な映画でした。
早速、明日茶道の先生にお手紙を書いてみよう。「もう一度お茶を再開したい」って言ってみようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?