概念としての「妹」を学ぶ

友人(数論的位相幾何学)「ふざけるな!そんこと修論発表会で言ったら、即退場だ!帰れ!!!」


2020年2月4日、修士論文の発表会の打ち上げで、同期で最も優秀な友人(数論的位相幾何学)は私にそう言った。それまで端の席で静かに酒を飲んでいた彼が唐突に声を荒げたので、非常に驚いた。彼は学問に対して非常に真摯に向き合っている男である。以前、「理解できないことがあったら、理解するまで不眠不休でかじりつく」と言っていたのが印象深い。そんな彼が何に対してそんなにも感情的に怒ったのか。それは、


「妹」


という概念に関する筆者の浅学に対してである。状況を簡潔に記述するのは、筆者の手に余るので、代わりに冒頭の発言が出る直前の会話を述べよう。


友人(保型形式)「友人(計算量)は実の妹がいるけど、妹が好きって言ってたよね?」

友人(計算量)「妹が欲しいのであって、妹が欲しいわけではない。」

筆者「は?小泉進次郎か???」

(中略)

筆者「なるほど...実の兄弟としての妹ではなく、ゲームなどで現れる概念としての妹が好きなわけね。じゃあ、比較として(概念としての)双対と考えられる『姉』と件の『妹』はどう違うのか?」

友人(神)「ふざけるな!そんこと修論発表会で言ったら、即退場だ!帰れ!!!」


これが事の顛末である。要するに、友人(数論的位相幾何学)はただのエロゲ廃人で、妹という概念に深い思い入れがあったわけだが、筆者の頓珍漢(と彼が感じるよう)な発言に耐えられず怒りを露わにした(と推測される)わけである。筆者は純粋な疑問をぶつけただけで、宴会の場が白けるレベルの逆鱗に触れるような発言をしようという意図はなかったことは断っておきたい。



さて、素面に戻ってから、こう考えた。

無下に友人(数論的位相幾何学)と友人(計算量)を何かよく分からないものに興奮している変態と罵っておしまいにすることは出来る。ただ、それはそれまでの固定観念に囚われ、思考を放棄しているだけなのではないだろうか?これは、新しいテクノロジーを非難し進歩できない老害が生まれる構造に酷似している。一応、肩書きだけではあるが、学問を修めたことになっている身としてはまずいと思われる。また、これは今後の人生を豊かにする機会なのではないだろうか?昔から「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」とも言う。


そんなわけで、彼らのいう「妹」という概念を理解することに努めてみようと考えた。以下では、具体的にどのような手段で研究するか、方針を述べる。


予想:語義的な妹と彼らのいう「妹」の関係は、実物と似顔絵に近い関係であろう:つまり、完全に妹をゲームなどで復元するのは不可能かつ興ざめである。そこで特徴を抽出して強調することで妹と認識させることが出来る概念なのではないかということだ。要するに、彼らのいう「妹」は、語義的な意味での妹から何かしらの概念を取り出し、理想化と拡張を経て出来たものであると思われる。


研究手法:友人(数論的位相幾何学)と友人(計算量)のいう「妹」という概念を構成した文献(ゲームともいう)を勧められるままに可能な限りプレイしてみる。「毒もくらわば皿まで」というやつである。酔っててあまり覚えてはいないが、たくさんのタイトルを言っていたような気もする。


討論手法:noteに理解したことを3万字程度(原稿用紙75枚相当)に纏め、発表し批評をうける。


具体的な研究項目:

・友人(数論的位相幾何学)の述べていた「背徳感」とそこから生じる良さとは何か?

・「妹」を構成する概念の構成と分類

・類似(していると素人の筆者が思う)概念である、女性の兄弟という類似点を持つ「姉」、距離感が近しいという類似点を持つ「幼馴染み」、年下で距離感が近しい「後輩」などとの比較による相対的な理解

・友人(数論的位相幾何学)の述べていた「義理の妹」など派生した概念との比較による「妹」という概念の本質の考察

・年齢による捉え方の変化。友人(数論的位相幾何学)と友人(計算量)は20歳前後の感覚が強烈に残っていると思われる。現在の筆者の年齢との差による表現の受け入れ方の差がどう現れるかにも興味があり、討論が楽しみである。


以上である。
ただ、「ゲームをプレイして感想を書く」だけをこんなに仰々しく理由付けをしないといけないとは、悲しい性である。年は取りたくないものだ。


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