「”あさって”こそある、と信じている」
お休みは延びに延び、未だ長期休暇をしている。行くはずだった所には飛行機が飛ばなくなり行けなくなった。ただただ自宅待機の時間を過ごしている。
やることややったほうがいいことは山ほどあるのに、手につかないでいる。
気分を上げるためにも何か読もう!
と思い立ち、Amazonで本を1冊買った。
荒木優太(編)
2019『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』明石書店。
15名の「在野研究者」たちが自身の研究生活について述べている本書は少し前に話題にもなった。私が購入した時点で3刷だ。
読んでみたいなと思いつつ読んでいなかったから、今日から読み始めた。
まだ読み始めたばかりだし、前から順番に読んでいるわけでもない。もうすでに人気な本だから要約はしない。手に取りやすい価格だから買って読むのがいい。
私は博士前期課程に進学するときに、漠然とこのまま博士後期まで行って、博士号とって、大学に居続けるんだろうなと思っていた。居続けられるとも思っていた。居続けるつもりでもいた。
でも予定はいつも未定だ。
確実な予定なんてない。
「絶対」なんて絶対ないのだ。
大学に居続けるのも道だが、離れるのも道だ。
いつその選択を迫られるか、何を契機にその選択を迫られるかは人それぞれだ。
コロナウイルスの影響で「社会生活」も大学も急変してしまった。
家で勉強する時間が増えると程なくして自分の今後の人生について重く暗く考え込んでしまう。
もしかしたら、アカデミアを離れるのは今なのかもしれないとさえ思ってしまう。
それもありかもな。
と思った瞬間に、
まだまだアカデミアにいたいなとも思ってしまう。
そんなだから、在野研究の人たちの姿を見たくなったのだろう。
以下は、序文の最終節冒頭の三段落だ。
在野研究には明日がない。明日は、労働や育児や家事や病院通いといったもろもろスケジュールで埋め尽くされているから。生活のルーティンや雑事のせわしなさが優雅な(と想像される)研究時間をことごとく奪う。未来の空き時間が一瞬の隙も与えずに現在の係累によって占領されてしまう。
それでも、「あさって」ならばある、「あさって」こそある、と信じている。
明日の明日は二重の意味で到来する。知識不足や指導者の不在によって、その研究がなんの価値をもつのか、誰が評価するのか、正しいことを述べているのか、まったく見当もつかないのにそれでも突き進む頓珍漢でジグザクな方向として。あさっての方へ。[荒木 2019:9]
半年後、1年後、今後どうなるか分からない。
明日はバイトだが、私にも「あさって」がある。
あまり落ち込まないように、ノルマを設定して楽しく厳しく今は自分の研究と一緒に突き進むしかなさそうだ。
本を読んでいたら少し元気になった。
P.S. 院生たち、落ち込んじゃだめだ。海外への調査や留学は当分できなくてもとりあえず前に進もう。Helping each otherだ。孤独にならないように、誰かに相談しよう。多分、みんな同じように困ってる。
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