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爪跡と生活  - Life with Disaster - 下野・新川篇

 本シリーズ、【爪跡と生活】- Life with Disaster -も第10回を迎えることができた。これもひとえに読んでくださる読者様のおかげである。この場をお借りして改めてお礼申し上げる。
 昨年2019年10月12日に日本へ上陸した台風19号の被害状況を、栃木県内の河川を中心に取材してお届けしてきたわけだが、この台風19号がもたらした栃木県全体の被害を概況すると、人的被害として死亡者4名、県管理13河川のうち27か所で堤防が決壊。住宅被害は19,237棟を数え、災害ゴミの総量は10万トンを大きく超えた。
 前回の第9回までに、永野川・黒川・田川・思川・秋山川・出原川(いずるがわ)・荒川・姿川・蛇尾川(さびがわ)と9河川を訪れ、写真に収めることができた。撮影した河川はいずれ劣らず被害が大きく、そしてそのすべてで今や大小なりとも自治体の予算が付き、復旧が開始されている。

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 第10回の今回、お届けする河川は下野市の新川(しんかわ)である。下野市は栃木県南部に位置し、人口は約6万人。2006年に旧3町(南河内町・国分寺町・石橋町)が合併して発足した新しい街だ。旧石橋町には比較的大きな工場が多く、また市内には全国でも大規模な附属病院を有する自治医科大学がある。
 新川はその下野市下古山にて姿川と合流する河川であるが、通常の河川と比べるとやや成り立ちが変わっている。姿川と合流する下流部約3kmほどは通常の一級河川なのだが、それより上流は農業用水として開削された人工河川である。源流は宇都宮市徳次郎町の田川から取水し、宇都宮市街を一部暗渠となって走る。その上部は道路化されて、宇都宮市西原から新町にかけての川沿いは「新川桜並木通り」と呼ばれ、市内有数の桜の名所として毎年多くの観覧客を集めている。

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 そうした人工河川としての新川の存在は、宇都宮市民にはバス停などの名前として馴染み深い。僕も新川と言えば桜並木しか知らず、あの用水路が氾濫したのかと新聞報道を疑ったほどだ。新川は名前としては知られているものの、河川としての実態はあまり知られていない。今回はその新川の氾濫地域を歩いてきた。

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 新川は下野市のやや西寄りを南に向かって流れ、ほぼ隣を並走する姿川へと合流する。姿川までは文字通り目と鼻の先であり、姿川を越えればすぐに隣町の壬生町だ。新川は合流直前に大きく西へカーブして姿川へと注ぐ。そのカーブ地点で大きな負荷がかかり、少し上流にある地点で決壊した。
 下野市下古山近辺は一面の田園地帯である。広大な田圃のなか、新川と交差するように北関東自動車道が東西に伸びている。今回の決壊地点はこの高速道路の真下であった。

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 まずは合流地点付近を歩いてみる。大きくカーブした合流ポイントの内側には小さな公園があり、憩いの場として機能していた。ところが被災後、新川に架かる橋こそ流されなかったものの、橋桁には大量の漂着物が付着し、橋全体のフォルムを重くしているのがわかる。泥流に飲み込まれた遊歩道は固まった泥濘で覆い尽くされ、その相貌を大きく変えてしまった。

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 また、先に述べたように新川は農業用水としての側面もあるのだが、新川から引いた近隣の用水や水門も大きく破壊されていた。撮影時は閑農期で水は流れておらず、壊れた水門などは修復されることなくそのままに放置されていた。門の開閉に使用するであろう電源ボックスも大きく冠水し、おそらくは使い物にならなくなっているはずだ。

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 決壊地点はこの合流部から1kmも離れていない。北関東自動車道の真下まで歩くと大量のフレコンバッグで応急処置を施された川岸に到着する。右岸部から決壊し、ここから夥しい泥水が田圃へと流れ込んだ。
 その痕跡が著しい。圃場は大きくえぐれ、相当な深さまで崩落している。急流が流れ込んだ証左だ。新川自体は人工河川だけにそれなりの強度で護岸されていたが、あえなく決壊し、付近を一面の海へと変えた。水田が広がるのどかな景色は一変し、農地に囲まれるように建っている特別養護老人ホームでは大きな浸水被害があった。

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 下野市下古山にある特別養護老人ホーム「いしばし」では、被災当日の台風の進路予測を踏まえ、10月12日の昼前には入居者53名の避難を敢行。同市内にある系列の施設に混乱なく移動し、無事に避難をすることができた。
 翌10月13日深夜、ホームの周辺の水田は一面冠水し、「いしばし」の施設にある無人の居室や食堂・浴場・ホールなどもすべて床上浸水した。被災後、同所員は施設の清掃や消毒に追われつつ、避難先での高齢者のケアも怠ることができず、今までにない苦労を重ねることとなった。

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 栃木県内ではこういった特別養護老人ホーム等の施設の被害が多く、先日の記事でも紹介した蛇尾川沿いの「やすらぎの里・大田原」や姿川沿いの「大谷デイサービスセンター・みやスマイル」など、合わせて16箇所の施設で被害を受けた。中には避難が順調には進まなかった施設もあり、宇都宮市の田川沿いにある「いずみ苑」では近隣の別の施設への避難が間に合わず、入居者30名が2~3階へと「垂直避難」をせざるを得なかった。

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 新川は他の一級河川とは違ってややマイナな川である。予算の規模も小さく、復旧は遅れ気味だ。ここにきてようやく毀損した田圃の回復工事が行われ始め、養生された水田に重機が入り、地面を浚っている。並走する姿川の越水も巻き込んでの被害は予算規模に照らすとことのほか大きく、人的被害がなかったとはいえ(決して軽視しているわけではないだろうか)やや軽い扱いであることは否めない。
 下野市と隣接する壬生町でも、鹿沼市から流れる黒川の決壊によって多大な被害を蒙っており、床上床下浸水66軒、住宅の半壊・一部損壊は11棟となっている。それらと比較してしまうと、新川の浸水被害34件(床上床下合わせて)は軽微と言えるため、限りある予算の使い道として後手に回るのは致し方がないかもしれない。

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 だが、新聞発表や官報などの数字で比較した被害規模と、実際に足で歩いた生の被害とでは感じ方に大きな違いがある。もちろん人的被害や浸水被害を数字化したものは正しく把握された被害なのだが、川やその周辺地域が受けたダメージは数字の大小とは無関係に等しく同じものである。
 氾濫した情報のみでは、堤防に掛けられているブルーシートの色褪せ方や折れ曲がった鉄柵、まき散らされたまま集めるもののないゴミなど、そこにある確かな痕跡に思い至ることはない。それらはそこに住んでいた人々のそれまでの生活の痕跡でもあり、かつまたこれから担うべき生活への暗示でもある。

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 こうした爪跡を少しでも拾えれば、と10回にわたってお送りしてきた【爪跡と生活】- Life with Disaster -も、今回をもって栃木篇は終了となる。10河川の被害を写真に収めることによって、伝聞ではない生の爪跡を知ることができた。また、今まで恥ずかしながら明るくなかったふるさとのことや、地方行政や自治体の現状と問題点を浮き彫りにして飲み込むこともできた。実に勉強になることばかりであった。
 栃木県内ではまだほかにも内川(喜連川)、中川(矢板)、粟野川(鹿沼)などにも大きな被害が出ており、こちらも写真に収めてある。また、前述した壬生の黒川や鹿沼の大芦川(荒井川)などの河川被害も撮影した。これらはまたの機会か、あるいは【追記】- After Reports -にてお知らせできればと思う。

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 次回の第11回からは茨城篇をお送りする。茨城県も那珂川や久慈川などの国管理の河川を中心にかなり大きな被害が発生しており、派生する支流にもやはり少なからず爪跡が残っている。コロナ禍の影響で取材は遅れ気味になったが、可能な範囲でなるべくリアルな【爪跡と生活】をお届けしたい。

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 そのコロナ禍の影響で2020年の春は全国的に移動・集合の自粛が叫ばれた。栃木県も例外ではなく、各地で春の催しは中止となり、季節を味わう間もなく春は過ぎ去っていった。
 「新川さくら祭り」もその一つで、昼夜を問わず人々の笑顔を生み出してきたさくら祭りが中止となってしまった。災害からの復興をアピールしようとしてた自治体も多く、我慢に我慢を重ねなければいけない状況だが、致し方ないことである。桜はまた必ず咲くだろう。
 せめて来年は、今年の分まで笑顔に包まれた桜の木の下を、大手を振って歩けるようになれるといい。

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