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著者が語る:『哲学ディベート』<代理出産>!

『哲学ディベート』は、最初に大学生が特定のテーマに関わる時事問題を提起して、それに対する賛成論と反対論の多彩な論点を5人の大学生がディスカッションし、その哲学的意味を教授が解説するという形式になっている。本書の目的は、読者が臨場感を味わいながらディスカッションに一緒に参加して、自分自身の見解を自由自在に考え抜くことにある。

その「第2章:人命」の「代理出産」に対する「経済学部C」の問題提起は、次のようになっている(pp. 73-77)。

 私の姉は、現在妊娠九ヶ月で、もう出産間近です。お腹はパンパンに膨れ上がっていて、赤ちゃんの小さな手や足が、内側からお腹を押しているのがわかります。姉によると、赤ちゃんの機嫌がいい時には、お腹の羊水の中で、ぐるぐる回ったりするのも感じられるそうです。超音波診断の結果、赤ちゃんは男の子だということで、姉夫婦は男の子用のベビー服を揃えたりして、出産が待ち遠しくて仕方がない様子です。
 姉は、家の近くの大学病院の産科に通っているんですが、ここは不妊治療で有名だということで、その相談で来院する患者さんのほうが、通常の妊婦よりも多いそうです。日本人の不妊夫婦は、夫婦一〇組に一組の割合で存在するということですが、以前と違って婚前交渉が当たり前になっている現在、実際には七、八組に一組が不妊夫婦ではないかとも言われています。
 一般に「不妊症」は、「避妊をせずに通常の夫婦生活を続けて二年以上経っても妊娠しないこと」と定義されています。その原因には、男性側の精子数の減少や精子運動能力の低下、女性側の排卵や子宮着床にかかわる障害、さらに日本は世界一のセックスレス国だということですが、夫婦間の問題やセックスレスなど、さまざまな可能性が挙げられています。
 逆に考えると、いかに自然に妊娠することが幸運で、しかも無事に産むということが、どれほど私たち女性にとって大変で命がけの仕事なのか、ということだと思います。そこで、不妊症にはどのような治療法があるのか調べていくうちに、私がこれまでに考えていた「出産」という概念そのものが、根底から崩されるような事例のあることが分かりました。それが、次のケースです。
 Xさんは、結婚後に妊娠し、私の姉と同じように、順調に出産する予定でした。ところが、もうすぐ一〇ヶ月目に差しかかる頃、急に出血し、かかりつけの産婦人科へ行ったところ、未熟児の可能性があるので他の病院へ向かうほうがよいと言われました。そこで、救急車で大病院へ向かったのですが、その間にも大量の出血が続き、結果的に子宮内で胎児が死亡、さらにXさん本人の命も危うくなり、子宮摘出の大手術を受けることになったのです。そして、ようやく手術が終わった後、Xさんは、次のように述べています。
「目を覚ました時にはやたらと大きな機械の横で、外はまったく見えない集中治療室の中でした。面会に来た家族の顔には、誰一人として笑顔はなく、目には涙さえ浮かべて、もうそれだけで子供が亡くなったことを悟りました」
「その後主人から大出血のため、子宮と二つの卵巣のうち一つ摘出し、……ようやく私が助かったことを知らされました。でもその時は『どうして私だけ助かったの? 助けたの? 私より子供を助けてほしかった。どうして私だけ生きてるの? 一緒に死なせてほしかった』こんな言葉がずっと頭の中を駆けめぐり、涙があとからあとから溢れ出て来ました」
「子供のために買いそろえたベビー用品がさらに心を重くし、何度さわってもぺちゃんこなお腹が現実で、『この間まで力強く私のお腹を蹴とばしていたあの子はどこへ行ったの?』そう何度も何度も問いかけ、問いつめ、自分ばかり辛いかのように、無気力なまま一ヶ月が過ぎました」
「親子連れを見るのも辛く、身内の赤ちゃんの誕生さえも辛く思え、『どうして自分は丈夫に産んであげられなかったのか』そう自分を責める日が続き、またしても気持ちが内に入り込み、涙が止まらない毎日でした」
 こんなXさんを支えたのが、妹のYさんでした。彼女もすでに結婚して、無事に子供を出産したばかりでした。Yさんは「お姉ちゃんの子供は私が産んであげるから、元気だしなよ」と言って、失意のXさんを励まし続けたそうです。Yさんは、代理出産が法的に認められているアメリカに渡って、Xさん夫妻の受精卵を移植して出産しようと計画していました。
 このYさんの熱意を知り、「姉妹愛に打たれた」という長野県の諏訪マタニティークリニック院長の根津八紘医師が、日本で代理出産を実施することに同意したのです。
 根津医師は、姉のXさんから採卵し、Xさんのご主人の精子と体外受精して受精卵として凍結、妹のYさんの自然排卵の周期を見て、凍結受精卵を解凍してYさんの子宮に注入、二度目の試みで着床し、妊娠が成立しました。そして、二〇〇一年、Yさんは無事に、Xさん夫妻の遺伝子を持つ赤ちゃんを出産したのです。その瞬間のことを、Yさんは次のように述べています。
「当然のことですが、義兄にとてもよく似た子が、私のお腹から生まれてきた瞬間、何とも言いようのない不思議な思いを感じ、母としての愛しさとちがい、やっと大きな仕事を終えたという安堵感で涙が止まりませんでした」
「妊娠・出産という神秘を私のお腹ですごし、誕生してきた命です。力強く脈を打って生きていこうとしている命が生まれてきたことは、すばらしいことだと信じています。いつの日か、一〇年二〇年後でも必ず国内においてすべての女性が安心して治療を受けられる日がくると信じています。……姉夫婦、家族はとても幸せに笑うことができました」
 要するに、事実上、妹が、姉夫婦の子供を代理出産したことになります。それにしても、根津医師の行為は、日本では違法にはならないのでしょうか?
 調べてみて驚いたことに、代理出産に関しては、日本では今でもまったく何の法的規制もないのです。ただし、日本産科婦人科学会が一九八三年に定めたガイドラインがあって、そこで「非配偶者間の体外受精」と「受精卵移植」が禁止されているため、所属する医師が自主規制しているのが実情なのです。
 しかし、根津医師は、もともと日本産科婦人科学会のガイドラインに批判的だったこともあり、問題を提起する意味も含めて、Yさんのケースを引き受けることにしたそうです。この代理出産を契機として、厚生省(現厚生労働省)は「生殖補助医療技術に関する専門委員会」を設置して審議、その結果、不妊夫婦が第三者の精子・卵子・受精卵を使用することを容認する一方、代理出産に対しては禁止して罰則規定も設ける方針で法制化を目指すことになりました。
 ところが、この厚生省の方針に対しては、根津医師をはじめ、多くの不妊夫婦からの「国民が子供を産む権利を、国が強制的に規制するのはおかしい」という反発が噴出して法制化が難航し、二〇〇七年現在でも国としての指針は示されていない状態が続いています。
 その後も根津医師は、子宮を摘出した義妹のために義姉が代理出産したケースなど、合わせて三例の姉妹による代理出産を実施しました。さらに、二〇〇六年一〇月には、娘のために実母が代理出産したという驚愕の事実を、記者会見で発表しました。
 このケースでは、子宮ガンのため子宮を全摘出した三〇歳代前半の娘のために、五〇歳代後半の実母が代理母となりました。母親はすでに閉経し、自然分娩できない状態だったので、多量の女性ホルモンを投与しなければならず、高齢出産であることから高度な危険性も覚悟の上だったそうですが、結果的に、無事に二四〇〇グラムの「孫」を出産したそうです。
 私が問題提起したいのは、このような代理出産は許されるのかということです。

根津八紘医師の記者会見

さて、私が2007年初版発行の『哲学ディベート』を執筆する際に参考文献に挙げたのが、根津八紘医師の「代理出産」に関わる多くの文献だった。とくに、患者のために「大きな一歩を踏み出す決意をした」という根津氏の主張が明確に表されているのが『代理出産――不妊患者の切なる願い』である。

その後も、根津氏は「反骨精神の塊」として、さまざまな「非配偶者間の体外受精」を実施している。その中には、凍結保存していた亡き夫の精子と妻の卵子を体外受精し、受精卵を妻の子宮に移植して出産した事例もある。

根津氏が、2014年7月31日に「非配偶者間の体外受精」について実施した記者会見が Youtube に公開されているので、紹介しよう。

「クローズアップ現代」の特集「急増代理出産: 規制と現実のはざまで」

2014年10月01日には、NHKの番組「クローズアップ現代」で「急増代理出産: 規制と現実のはざまで」が特集された。日本産科婦人科学会幹事の吉村泰典医師がコメンテーターになっているが、話題は海外の代理出産事情に終始し、日本の根津医師の活動を完全に無視して話を進めている様子がよくわかる。こちらも Youtube に公開されている。

読者は、日本における「代理出産」の合法化に賛成だろうか? 海外における「代理出産」をどのように思われるだろうか? さまざまな「非配偶者間の体外受精遺伝子」の意味を、どのようにお考えだろうか?

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