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時代は繰り返す。けれど、あやまちは繰り返さない。【歴史に学ぶ・馬場のぼる】

【馬場のぼる】
手塚治虫、福井英一、馬場のぼる「児童漫画界の三羽ガラス」
手塚治虫→言わずと知れた漫画の神様
福井英一→「イガグリくん」「赤胴鈴之助」第1話を執筆後に夭折 
馬場のぼる→漫画から絵本作家へ。手塚治虫の親友。

※表紙の画像は、手塚治虫氏の漫画のなかのキャラクターとしての馬場のぼる。

はじめて馬場のぼるさんを知ったのは、「11ぴきのねこ」の絵本だった。

線の柔らかさや、キャラクター風の絵柄や色づかい。本当に好きな絵本作家さんです。

自分たちの世代には、絵本作家としての印象が強い馬場のぼるさん、漫画家・馬場のぼるの知ったのは最近のことだった。

※第2期・現代漫画4 馬場のぼる集より

現代漫画〈第2期 4〉馬場のぼる集 (1970年) https://www.amazon.co.jp/dp/B000J91KV0/ref=cm_sw_r_u_apa_i_GYM4E89AHCZRNZQ32GRZ

線の柔らかさ、ほのぼのとした雰囲気は、漫画家当時から垣間見える。
あと、セリフの書き文字が読みやすい。

※こどもまんが集から『ブウタン』

馬場のぼるこどもまんが集 https://www.amazon.co.jp/dp/4772190511/ref=cm_sw_r_u_apa_i_TPJ979VEE5V1YXD0Z5PW

カラー漫画、少ない色数での表現のしかた。にくめないブウタン。漫画と絵本の中間のような感じでした。

戦後、激動の社会のなかでも、こどもたちへのメッセージか柔らかく染み渡る。多様性のパイオニアである。
柔軟に時代に対応して、自分に合ったフィールドで創作活動をおこなった作家さんでした。

時代背景

戦前から紙芝居は、こども達に定着していたが、戦後の物資の少ないなか赤本、と呼ばれる(表紙が赤い本)貸本屋の業態があらわれる。赤本は流通ルートの書籍ではなく、駄菓子屋などに置いてあり、当時相場10円だった。

水木しげる先生などは、紙芝居を描いていたが、貸本ブームで紙芝居が衰退。貸本作家として生活していたが、1959年少年マガジンの発売とともに貸本業界まで衰退していった(貸本屋は全国で3万店ほど、出版社も多くあったか倒産、廃業となっていった)

紙芝居作家、貸本作家、新聞漫画家(当時多くの新聞社があり連載漫画も多かった)などの多くの作家は行き場を無くしていき。漫画から絵本作家、芸術家、アニメーター、テレビ作家、タレントなど新しいジャンルに行く人が増えていった。

時代の変革とともに、新しい仕事・アニメーター、テレビタレントなどが急速に増え、時代の波に乗れた人、合わなかった人などがあいついだ。

現代も、この60年頃に似ていて、テクノロジーの進化が著しい。新しい仕事が増えていっている。
新しい仕事、なくなる仕事。
現状のままでいるか、新たに切り替えるか。
自分に向いているか、向いていないのか。
考える選択肢は多い。
だから、同じ過ちを繰り返さないために、
過去の歴史に学び、トライ・アンド・エラーを繰り返し、自分にあったフィールドをみつけて行くしか道はない。

変革が著しいと余裕がなくなり、心までギスギスしてしまう。
馬場のぼるさんのように、
心ゆたかに荒波の時代を、おおらかにヨットで波を乗り越えたいと思う。
多様性の行き着く先の、平和な島で、おなかいっぱいコロッケを食べたい。

※11ぴきのねことあほうどりマグカップ

凍頂烏龍茶で、ひと息ついて、マグカップで心いやされる。

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