瞑想と夢見(1)

瞑想と夢見(1)

2022年4月28日から書き始める。

唐突な思考(印象)ショック

昨日、7つのコスモスの最後の(7)を書き終わって、さて、次は何を書こうか考えていたが、今日朝になって、瞑想について書いてみようと考えた。今日の夢の内容は、唐突な思考・ドというものだった。グルジエフのエニアグラムでは、三つのオクターヴがあり、食物、呼吸、印象という三つのものだが、わたしはいつもこれを身体性、感情、思考と置き換える。感情オクターヴは、ドの音から始まり、ミで進展が停止し、これ以上は「自力では」進まない。こういう時に、印象(思考)オクターヴのドの音が降りてきて、感情のミの音にショックをかけることで、感情(呼吸)オクターヴは、次のファまで上がることができる。その後の壁はないので、ソ12、ラ6と進んでいく。
 夢の中での唐突な思考というのは、そもそも思考(印象)オクターヴは、ド48までしか降りることがないので、これは物理的にも、感情的にも、身体を持った人間の側から見たら、根拠のない働きだ。予測できない上空からいきなりやってくることは、まさに唐突で、前後事情もないままの、つまりつじつまの合わない来訪なのだ。つじつまというのは、感情の連続性を示しており、感情の道理、理屈、手順を意に介さないでやってくる。
 これを修正している今日見た夢では、さらに、下から見た上のオクターヴの介入は、下のオクターヴから見るとすべて唐突で予測不能なものなので、インターバル三角は、常に不安定なものだという内容だった。インターバルの三角は、自由性が発揮される場所で、それ以外の場所は、決まったレールの上を走るしかない。下から見て上からくるインターバルショックは、下のオクターヴがその連続性によって突破できなくなっているという状況を打開させるのだから、これはインターバル三角形は、唐突で不安定でなくてはならないと言われているようなものだ。

たとえば7つのコスモス(7)でミクロコスモスについて書いている時に、わたしは縄文文明について文書を書いているという夢を見た。これは唐突な夢だ。もちろん明確な理由はあるのだが、それでも感情面からすると、予想のつかないもので、書いている文書の内容がわからなくても、この縄文という言葉、印象があるだけで、急に視界が開けた。ミクロコスモスについて書くことは、閉鎖された壺に入るようなもので、どうやって突き抜けるか考えあぐねていたのだ。
 思考(印象)ショックというのは、こういうふうに、理由もわからないところで、いきなり到来するのが好ましい。理由は、後から作られる。印象ショックと、それまでのずっと続いてきたもやもやに、道筋ができると、こういう意味だったのだと理解するが、この意味は、その時に作られたもので、どこに転んでも、そこで筋の通った理由が作られ、「なるほどっ」となるのだ。
 ミクロコスモスは、科学的な体系がそれをがちがちの硬直したものに仕立て上げており、ここでは人は住めないと思った。縄文という言葉がやってくることでわかったのは、マクロなコスモスと、ミクロコスモスの間を行き来することで、ミクロコスモスをだんだんマクロなコスモス用に軌道修正すればいいのだ、それで解放されるということが、縄文という言葉がやってきた理由だ。こういうふうに説明すると、それはごく当たり前の話だが、むしろ「縄文」という言葉のインパクト、新鮮さがよかった。

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