見出し画像

【提案】災害ボランティア募集の「県内限定」 をやめませんか?

今回の災害(令和2年7月豪雨)は、どこもボランティア不足になっています。その大きな理由のひとつは、災害ボランティア募集を「県内限定」にしているからです。現場では「県内しばり」とも呼ばれたりしています。

コロナ禍の中、足りない人材

【毎日新聞】九州の被災地、ボランティア受け入れ本格化 コロナ感染防止で「県内限定」多く
【西日本新聞】豪雨被災地ボランティア足りない コロナ禍で県内限定、国道も寸断
【熊本日日新聞】災害ボランティア「県内在住者限定で」7割 熊日SNSアンケート ※2020年7月30日追記

被災地は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、原則として県外からのボランティアを受け付けない「県内限定」にしているのです。

そもそも、感染者数を人口密度や産業構造ではなく「行政区域」で線引きをして、それを拠り所にして策を練ること自体が感染症対策として妥当か、という論点もあります。これだけデータ〜とかソサエティ〜とか隆盛な中、再考の余地は大いにあると思いますが、今回はそれは置いといて、「災害ボランティア」に限った提案です。

一昨日、KVOAD(特定営利活動法人くまもと災害ボランティア団体ネットワーク)が以下の声明を出しました。

【令和2年7月豪雨災害】熊本県外から災害支援のために来県された団体及び今後来県予定の団体の皆様へ

やはり必要なのです。「県内に限定されない人」の存在が。

「県内限定」から「県境に依存しない近隣市区町村との協働」へ

かといって、ある種の制限が不必要かというとそうは思えません。やはり何らかの制限は必要でしょう。

その制限の方法を、被災地域の暮らしの現実に照らして極めるべきで、かつ、それが可能な状況を「国か都道府県」が主体となり整えた方がよい、という提案です。

例えば、今回被災し、僕が関わっている杖立温泉街は、ほぼ熊本県阿蘇郡小国町に位置するため「熊本県の杖立温泉」で知られています。

でも実際は、温泉街の2割程度は大分県日田市に位置しています。それでもボランティア募集には「熊本県」という前提から始まり、かつ小国町(及び町社協)はさらに「小国町」で限定募集する結果に至りました。

例えば、今回の杖立であれば、ボランティアを募る対象として、大分県日田市・玖珠町・九重町、阿蘇郡(南小国町、小国町、産山村、高森町、西原村、南阿蘇村)、阿蘇市あたりが対象としてイメージできるでしょう。

少なくとも、日田市とは連携し、復興フェーズで天ヶ瀬温泉と協働できるような、長い時間軸での文脈を、災害ボランティアの連携時点からつくっていってもよいはずです。

また、熊本市で感染症が広がったとしましょう。その結果「熊本市のある熊本県」という記号によって、広域で活動に影響が出る可能性もあります。

特に人材は感染のリスクの高い都市部に集中しがちなので、県域のマネジメントのコア部が機能しなくなるリスクがあります。

つまり、『災害時の感染症のリスクを勘案して、県境に依存せずに近隣の市町村(および社協)を選別し、その地域と直接連携してボランティアを確保していく方法』を基本とした方がよいと考えます。

被災エリアが人口が多い都市部(政令指定都市や特別区等の人口密度が高いエリア)であれば、さらに、市町村スケールではなく区まで連携単位を落としてもよいでしょう。

今回の九州豪雨では、僕の知る限り、唯一大牟田市は県境をまたいでボランティアを募集しています。大牟田市(福岡県)と特に荒尾市(熊本県)は、日頃から一心同体ですからね…(言い過ぎ

大牟田のようなエリアに限らず、「都道府県」という記号にしばられずに、ストレスなく近隣市区町村と協働できる体制・状況づくりを、国と都道府県は牽引すべきだと考えます。

その上で、さらに「社協」と「災害関連NPO」については、KVOADの声明を参考にしつつ、近隣でなくても安全に協働できる体制を目指すべきだと考えます。「災害関連NPO」はまずは登録制にしてもよいかもしれません。

現場からボトムアップで動いていくと体力が必要なので、そうした方針を国か都道府県が主体となりクリアに整備していく必要があるのでしょう。最終的に「都道府県」は、市区町村とNPO等との「連携・協働」の調整に尽力すればよいのです。

感染症は、県境に依存せず広がっていきます。もちろん、市区町村境も関係ありません。ただ、情報の広がりと既存の自治力を勘案すれば、(今回の災害ボランティアについては)行動のスケールとして市区町村を基準にするのは妥当でしょう。

まちづくりに影響する「行政区域のコノテーション化」

とどのつまり、市区町村を主体としたまちづくりに、適切に都道府県が関わりましょう、という話です。

ある面で当たり前のことなんですが、未知の感染症対策といった国主体の動きと、日頃からの行政区域(制度の記号)にしばられる私たちの習性から、今の状況に至っていると言えます。

僕はこうした習性から派生していくまちづくりの現象を「行政区域のコノテーション化(行政区域としての制度的記号=意味がさらに重ねて意味を帯びていき、他の動きに影響を与えていく現象)」と呼んでいます。

ある行政区域のもとでまちづくりの動きが始まると、それに呼応するかたちで別の動きが始まります。今であれば、県内から無理矢理ボランティアを集めなくてはいけないベクトルや機運が生じていくわけです。

それによって、県外の感染のリスクの小さい近隣の地域でなく、同じく県内でありながら感染のリスクの高い地域の人たちと混在する状況が発生してしまったり、県としての方針が、「県外と連携している県内エリア」に行き届かなくなったりします。さらに、行政区域という記号が「郷土愛」という記号で強化され、別のリスクが生じ、問題が複雑化していきます。

そもそも、僕らの暮らしの行動圏は「県境」に規定されているでしょうか。僕らの耳に入る普段の暮らしの情報はどれだけ「県境」に影響されているでしょうか。何より、災害の状況は「県の区域」によって変化していますか?

そうではないはずです。ポストに入るお便りは「市政・区政だより」のはずだし、災害の様相は、河川の流域や海の範囲、山や地形の在りように大きく依存しているはずです。

昔は(雑ですいません)、行政区域は地理的特徴によって規定されている部分が多分にありました。しかし、トップダウンで重ねられた区域の再編により、地理的・文化的様態から、効率性を基礎とした「情報=記号」へと抽象化されていったのです。

僕らは、全てのまちづくりで「行政区域」に振り回されている

○○市のまちづくり、○○町のまちづくり…、僕らの暮らしや行動圏・文化圏の実態とは裏腹に、その取り組みや効果は「行政区域」で見立てられます。地域の「ブランディング」と呼ばれたりもします。
そうしてさらに、美しいとされる「郷土愛」によって、その記号が強化されていくのです。(「郷土愛」も疑う必要があることは、また別の機会があれば書きます)

人口減少・少子高齢化が各地で進む中、「行政区域」に無自覚に振り回される全てのまちづくりが、そもそもリスクを内在しているのです。それが、災害対応という「急速に人材が必要とされる状況」において顕在化しているのです。

災害ボランティアの「県内限定」をやめて、県境に依存せずに近隣市区町村との連携・協働を深めることは、災害に関わらず、まちづくりのリアリティを取り戻す契機につながるのではないでしょうか。

人間の存在を支えるために、人間とともにある自然と対峙するために、都道府県という記号からの解放に、チャレンジしませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?