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引きこもり、世に出る。

先日、とある写真展へ伺いました。
大阪中崎町、ギャラリーsiroiroにて、“Circus”。
自分の意志をもって、写真だけが展示されている会場へ行ったのは初めてでした。というのも、今回そこには、私が写った作品が初めて飾られることになっていたのです。

遡れば、19歳の1年間を自分の部屋に引きこもって過ごしていたあの頃。自撮りの延長で、好きなシチュエーション・衣装を設定して自分の姿を撮るようになりました。そしてSNSに投稿した写真をきっかけに、「他人に撮られる」機会が増えていきました。

(Self Portrait)

しかしながら、写真の世界にはさほど興味があるわけではありませんでした。そして、「ポートレートモデル」になりたいと思っているわけでもありませんでした。私は私の心や体や思考が好きで、それらをのこす「よすが」として写真に関わっている、ただそれだけです。

他人に撮ってもらおうと思ったのは、他人と自分の表現が反応するとどうなるかに興味があったからです。写真の作品を鑑賞することにも、「# 被写体になります」なんてツイートをすることにも、あまり乗り気ではありません。

バズるべき、有名になるべきと思うことはあっても、バズりたい、有名になりたいとは思いません。「ポートレートモデル」になりたいのではなくて、私は私でいたい。

つまりはある意味でやる気がないので、声をかけて頂いた時だけ、ぼちぼちと活動をしてきたわけです。

(P: 白嗣)

今回は、高野ぴえろさんの作品のモデルをさせていただきました。初めて声をかけてもらい、撮影に臨みました。高野さんは周りを巻き込みながら確実に歩を進めていくのが上手な方なので、気付けばあっという間に出展と冊子への収録が決まっていました。

写真展へ実際に伺うまでも、伺ってからも、私の意識はふわふわとしたままでした。モデルをやる意味であるとか、撮られるとはどういうことなのかであるとか、そういった命題を普段から考えていたものの、何もはっきりとしないままでいました。

何かを感じ取ったのは、“Circus”というこの写真展の反響を目にしたときです。Twitter上の私の写真にいいねを付ける人々よりもっと沢山の人たちが来場し、何通も感想のツイートが流れてくる。その人たちが、壁に吊り下げられた私の姿を見たということです。中には、作品の前で立ち止まって、額縁の内いっぱいに目を滑らせ、何かを得た人もいたかもしれません。

撮られるということ。撮られた「私」は凜音という名前を分け与えられ、自立して世に出ていく。見られるということ。私から分化した作品が、誰かの人生の一部になる可能性もある。そういったことを、ここまではっきりと自覚したのは初めてでした。

(P:高野ぴえろ)

頂いた冊子“room”もまた、見知らぬ誰かの手に渡って、じっくりと鑑賞されるのかもしれません。頁を捲っていると、ふしぎと自分が映画や文学の登場人物のように見えてくるのです。「私は私として、私の物語を生きていくこと」を日頃から目指してきた私にとって、これもまたひとつの、モデルをやる意味であると感じました。

今回、貴重な経験をさせていただいたこと、関係者の皆様に感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。
これは我儘に過ぎませんが、これからも私を私として、凜音を凜音として、見てくだされば幸いです。

(P:高野ぴえろ)

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