爆音でかかり続けてるよヒット曲#8「日本語ラップがわからなかった」(ハシノイチロウ)

レペゼン枚方、LL教室のハシノです。
成人式の会場は「ひらパー」でした。

先日、われわれLL教室が定期的に行っている90年代J-POPのトークイベントに、ゲストとしてダースレイダーさんをお迎えしました。
 
この日はヒップホップに造詣が深い矢野利裕くんをはじめ、LL教室一同からダースさんに聞きたいことは尽きず、またダースさんが繰り出す貴重なエピソードや深い思索に基づく言葉はいずれもパンチ力がすごくて、あっという間に時間は過ぎていった。
 
今回イベントで取り上げた1996年といえば、故・ECDが主催し、ブッダブランドやライムスターやキングギドラといったそうそうたる面々が出演した伝説のイベント「さんピンCAMP」が開催された年。
さらにその翌週にはスチャダラパーや東京No.1 SOUL SETらが「大LB夏まつり」を同じ日比谷野外音楽堂で開催していて、日本語ラップの存在感が音楽シーンに広く認知されていった時期だった。
後にクラシックと呼ばれるような曲が毎月のように続々リリースされていたし、新興のジャンルが盛り上がっていくフェーズに特有の熱気がすごかったんだと思う。
 
「すごかったんだと思う」って書いたのは、つまり自分はその熱気を直に体験していないということ。
 
当時は関西在住の大学生だったわたくし、すでに自分のバンドを組んでライブハウスに出たり、DJイベントのまねごとのようなことをやっていて、音楽シーンの動きにはメジャー/インディー問わず敏感だったはずなんだけど、日本語ラップのことはまるで守備範囲外だった。
 
今ではブッダブランドのかっこよさもわかるし、好きなラッパーやグループもいくつかあるんだけど、当時なんでよくわかならなかったのか、どこに引っかかっていたのか、今日はそこをちゃんと考えてみようと思います。
そこを自分なりに掘り下げて開示することにより、いま現在なんとなくラップやヒップホップに苦手意識があったり興味がなかったりする人へのヒントになればと思ってて。 
 
まず、1996年の自分の音楽への意識はというと、こんな感じ。
 
洋楽ロックを聴いて情報収集してると、海外の音楽シーンのトレンドにもおのずとそれなりに詳しくなったりするもので、アメリカではヒップホップのアルバムがチャートの上位にどんどん入るようになってきてるとかは知っていた。ついでに、彼らは貧困やドラッグ汚染や差別や警察の不当な扱いへの抗議などをラップしているっていう話も知ることになる。
 
なるほど、けっこう社会的な音楽なんだなと。そういうのは好きだぞと興味はひかれた。そこまではよかったんだけど、いくつかCDを借りてみて聴いてみたものの、それまで自分がよく知っていたロックとはツボが違いすぎた。
名曲とされているものとそうじゃないものの差がわからなかったし、メロディもないし、あと残った要素は歌詞だけだけど、それも英語のしかもスラングとかがわからないと理解できないんじゃないだろうかと、そこで足踏みしてしまった。
日本盤CDの歌詞カードもちゃんと読んでみたりしたけど、当然ながら韻のおもしろみなどは表現できないし、スラングというかもはや内輪ネタみたいなワードが多く、誠実な訳者はそれらに注釈をつけてくれていたけど、正直ちゃんと読むのはしんどかった。
 
今にして思うと、その時点で頭でっかちな聴き方になっていることに、自分で気づいていなかったんだよな。
 
たとえば自分より3つぐらい年下の世代は、「洋楽かっこいい!」ってなる10代の頃にヒップホップに出会っているので、難しいこと抜きに単純にかっこいいものとして聴いてる感じがする。すごく軽やかでうらやましい。
 
そんな感じでアメリカのヒップホップに対して足踏みしてしまった自分。
じゃあ言葉がわかるからということで日本語ラップに挑戦してみたのが1998年頃。
 
ただ、日本語だったら意味がわかるだろうと思って聴いてみたところ、言葉はわかったけど「意味」はやはりわからなかった。
ブッダブランド「人間発電所」とかも典型的にそうなんだけど、言ってることとしては「自分がどれだけすごいか、他の奴らがどれだけニセモノか」みたいな話でしょ。これにはほんとに戸惑った。なんならはっきりと苦手だった。

なにせ90年代のロック少年にとって、歌詞とは内省的で屈折していて心の傷みたいなものを吐露したりとか、世の中の不条理を皮肉っぽく表現したりするもんだって思っていたから。
カート・コバーンとかボノが言ってることはわかる。忌野清志郎や大槻ケンヂが言ってることもわかる。言語は違ってもそれらは同じロックという文脈のことだと理解できていた。ところが日本語ラップではそこが難しかったんだよな。
 
ダースレイダーさんは、大学受験のために通っていた予備校で出会った3浪中の先輩がヒップホップシーンのことをいろいろ教えてくれたって仰っていたけど、自分のまわりには当時そういう人がいなかったってことだろうな。
 
今では自分でもヒップホップのバンドをやるようにすらなったわけだけど、それは大人になっていろんな音楽のあり方がわかるようになったからだと思う。特にソウルやファンクの歴史がわかってくると、その延長線上にヒップホップがあることが理解できる。音楽として聴けるようになってくる。
 
また「自分がどれだけすごいか、他の奴らがどれだけニセモノか」っていうノリも、ひとつの「型」みたいなもんだとわかったら苦手じゃなくなった。それにそういうノリじゃないラッパーもたくさんいるってこともわかってきた。
 
いまだに頭でっかちな聴き方になりがちなのは否めないけど、ヒップホップをちゃんと好きな音楽のひとつにできた。
 
10代20代で理屈抜きでカッケー!と感じる機会を得られなかったために、ずいぶん回り道をしてしまったもんだなと思うけど、それでもやっぱり好きな音楽が増えるとそれだけ人生が豊かになるわけで、回り道してよかったですよ。(初出・2019.8.2)

【ハシノイチロウ】
1976年、大阪生まれ。会社員であり、DJ・レコードコレクター。
2015年、批評家の矢野利裕、構成作家の森野誠一と音楽批評ユニット『LL教室』を結成。
・ハシノイチロウblog 森の掟
http://guatarro.hatenablog.com

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