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読書感想文:『ベロニカは死ぬことにした』を読んで

 私は、精神的に病んでいる人や、狂気の世界やエロチシズムの世界が本当は好きなのだとわかった。
好きと言うのは語弊があるが、何故好きなのかというと、人間が生きて成長するためにはそれらが必要だからである。

 パウロ・コエーリョ著作、江口研一訳(角川文庫)のベロニカは死ぬことにしたを読んで、それは益々確信に近づいた。

 生きることと死ぬことには性の問題が必ず拘ってくる。性には男性、女性だけではなく、変態性、暴力性も含まれていると私は考える。

 変態性を抑圧していると(変態性とは一般的な趣向から離れた性質のことである)日常生活に支障が現われる。
 例えば、私は幼虫や節足動物(主にムカデ)や軟体動物(主にナメクジ)や汚物(主に湿気を含んだもの)が恐ろしくて発狂することがよくある。(発狂とは精神に異常をきたすことである)
 普段は理性で抑えているのだが、内面にある性質は見えないので言葉上は事実とは言えないが、それは確かにあるのである。
 変態性質と幼虫と汚物と節足動物と軟体動物は相性がいいので、どうしてもその波動を受けると変態性が呼び覚まされてしまう。おそらく、幼虫は正に変態する前段階の形であるし、汚物というのは発酵して土に帰ることを連想させて、土は死を連想させるからだからだと考えている。そして、節足動物や軟体動物は、その土(死)の中に潜むモノたちである。覚醒する前はとても大きな不快感が襲うので、最初は暴力性として表れるのである。これは、あくまでも私の場合なので、全ての人に当てはまるわけではないであろうことを呉呉も付け加えておく。
 暴力性として表れる現象は、物理的なものと抽象的なものがある。
 私の書いているこの文章も、不快に思ったり、読むのに耐えられなければ抽象的な(或いは物理的な)暴力と捉える人もいるかもしれない。しかし、少なくとも私はこの気づきがあったことで、苦しみから救われたのである。なので、もし自分の変態性や暴力性をなんとかしようと、苦悩してでも自分でなんとかしようと悩んでいる人と、少しでも共感することができていることを望む。

 私のこれまでの得た知識と経験から考える、個人的な死生観について説明したい。それは性の解放と死の受容である。
 性の解放と死の受容とは、生きる喜びを知ることは創造性を持って己を解放すること、そして死の恐怖をオルガスムの悦びと共に受容することである。

 自我がある理由は死を受け入れるための自己愛が必要だからではないかと私は思う。しかし、それ以外の自我は己も他人も暴力的に傷つけるだけなので憎むべき(許さない)ものだ。
 これらは、成長段階で必要なプロセスであるが、もちろん成長しきらずにいつまでもこの段階でいるべきではないと私は思っている。いずれは成長して立派な大人になって、美しい表現をできるようにならなければいけない。それには、自我を肥大させないようにしなければならない。

 しかし、完璧な美しさは神から与えられるものでしかないのであるとも考えている。敢えて神という表現をしたが、例えばそれは自然という形態である。最終的に、自然と一帯になったときに完璧な美しい調和が生まれるのだと思っている。大切なことは、仲間と共にそれを目指すことだと思う。自分にたくさん自信がないうちは、仲間を見つけるというのはとても勇気がいることだと思う。だから、信じることを努力するという実践が必要なのだ。自分に少ししか自信がなくても、仲間を信じることだ。私は、未だに一人で始めて一人で終わっているが、この世界のどこかに自分の仲間がいるのだと勝手に信じて生きている。

 最後に、この作品の中で私が心に残った文章を引用して紹介させてもらいたい。

■208ページ マリーの言葉
《魂を人質に残してしまったの。私の魂は過去にいたの。でも今はここにいるわ。人生がわたしを行きたくない方向へ押していったことを理解するまでに三年もかかってしまった》

■223ページ エドアードが看護師からもらった分厚い本の世界を震撼させて来た人について
《彼らは、なんとなく人生が過ぎていくことを許さず、自分の望むものを手に入れるためなら、施しも請えば、王様さえ唆し、外交や権力を使い、法を無視し、時の権力から睨まれたりしながらも、決して諦めることなく、降りかかるどんな困難の中にも美点を見出だせるような人たちだった。》


■223ページ エドアードは本をくれた看護師に同じテーマの本を買ってきてくれるように頼んだが、もう他にはなく、そこに描かれていた人たちについて
《普通の人のように、自分の思いを聞いてもらうために戦わなければならないような人たちではなく、いつも彼らが選ばれし者で、霊感を授かった者のように描かれていた。》

■229ページ エドアードと父親とのやり取りの後父親が取った行動
《大使は息子のやる気を褒めて、会話を笑顔で締めくくると、あとひと月の猶予を与えることにした。結局、外交とは、問題が自然と解決へ向かうまで、決断を引き延ばす技術でもあるのだから。》

   おわり

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