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「土と炎」

 「モギ」リンダ=スー=パーク・あすなろ書房

 ムクゲの花が咲く頃、韓国を旅した。ムクゲは韓国では無窮花(ムグンファ)と呼ばれる。夏の間、次々と花をつけ咲き続ける。私は、この花をムクゲでなくついムグンファと呼びかけてしまう。旅の目的は、ハフェ村で仮面劇を見る事だった。ハフェ村は黄色い土塀が続く古い村。庭先のキムチ壺、放し飼いの鶏、畑で温まった小さな甘いまくわ瓜。そこにもたくさん無窮花が咲いていた。土埃が舞う円形劇場での仮面劇は、韓国の昔話の世界へと私たちを誘ってくれた。
旅の間、通訳をしてくれた権さんとは年も近かったので話が弾んだ。イムジン河を眺めながら、徴兵制や韓国の風習について深い話ができた。でも、太平洋戦争の話だけはできなかった。楽しい旅に水を差したくない気持ちが働いたからだろう。口にしないと悔いが残りそうで、空港へ向かうタクシーの中で、日本人をどう思っているかと思い切って尋ねた。「嫌いです。おじいさんから、よく戦争中の話を聞かされたので」と、通訳をする時と同じ口調で答えが返ってきた。韓国は近いけれど、遠い国、と思わずにはいられなかった。だが、もっと語り合えたなら、嫌いの意味合いも違ったものになったはずだと信じている。嫌いだと言われたけれど、権さんも韓国も懐かしい。
『モギ』は十二世紀の韓国の物語だ。主人公のモギは、孤児の男の子。足の不自由なトゥルミじいさんが、捨てられたモギを育ててくれた。二人は橋の下に住み、食べ物をゴミ捨て場から拾ってきてはその日を凌いでいる。極貧の暮らしなのに、モギは明るく朗らかだ。トゥルミじいさんは「いくら貧乏でも盗みと物乞いはしちゃならぬ」とモギに教える。そして、貧乏を笑い飛ばすユーモアと深い愛情で、モギを慈しむ。
 彼らが住んでいるチュルポの村は焼き物が盛んで、モギは、焼き物師のミン親方の仕事場をこっそりのぞくようになった。ある時、ミン親方が作った器を壊してしまい、代償として親方の手伝いをする事になる。ロクロが使えると思って喜ぶモギ。だが、言いつけられたのは、まき割りや粘土運び、粘土漉し、どれも厳しい仕事ばかり。それでもモギは、ロクロを廻せる日を夢見て頑張る。厳しいミン親方は何も教えてはくれず、きつい労働をねぎらってもくれない。やがて、モギの体と指先は、土が教えてくれる「仕上げ」の瞬間を覚えていく。
 孤児のモギを愛情深く育てるトゥルミじいさんと、「お前は俺の息子じゃないからな」と働くだけ働かせて拒絶するミン親方は対照的だ。だが、そんな親方の態度も、モギが成長すると共にしだいに変化していく。親方が作った青磁の瓜形瓶をソンドの宮廷まで運ぶ役を仰せつかるモギ。途中で賊に襲われ青磁は割れてしまう。だが、モギは欠片を宮廷に届け、ミン親方は宮廷に召し抱えられる事になる。旅から戻ったモギを待っていたもの、それはトゥルミじいさんの死だった。貧しくても人としての誇り、ユーモアや前向きさを忘れなかったトゥルミじいさん。そんなトゥルミじいさんが豊饒な土だとしたら、厳しいミン親方は熱い炎かもしれない。豊かな土で形作られ、強い炎で焼かれて、モギは一人前の焼き物師へと仕上がっていく。いつか作りたいと夢見る優雅な梅瓶を思い浮かべて、トゥルミじいさんの死を乗り越えようとするモギ。〈翡翠のごとく輝き水の如く澄む〉と形容される高麗青磁の気高さが、そのまま、「小さな焼き物師モギ」の生き方と重なる。

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