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「父のまなざし」

 「火のくつと風のサンダル」ウェルフェル作・学習研究社

 文庫活動をしていた昭和の終り頃、お話会を聞きに来るのは、殆んどが母子だった。たまに父親がぽつんと混じることがあったが、いかにも代理ですと言わんばかりに、所在無げに後ろの方に座っていた。お話も聞いているのかいないのかわからない顔つき。「前の方にどうぞ」と誘っても、「結構です」と断わられた。
子どもを取り巻く環境は年々変わってきたが、一番の変化は父親の子どもへの関わり方だろう。お話会の現場でも、父親の姿が随分増えた。「妻も働いているので私が育休を取っています」。そんな言葉が当たり前になった。他の母親と手をつなぎ、わらべうたをする姿も自然体だし、絵本を楽しんでいる様子が手に取るようにわかって嬉しい。父親に抱かれて子守唄を聞いたり、大きな膝で絵本を楽しむ子どもの笑顔が、私にはちょっとうらやましい。
 私の父は子どもの世界に下りてきて一緒に遊ぶ人ではなかった。父親に甘えた思い出があまりない。働いている姿か、修理を頼まれたラジオの前で、むき出しの真空管をにらむ姿が浮かんでくる。だが、夏休みの宿題を手伝ってくれたのはいつも父だったし、修学旅行の送り迎え、受験の付き添いも、父がしてくれた。甘えられなかったというのは私の一方的な見方で、父は黙って大事な時に大事な役を引き受けてくれていたのだと思う。
『火のくつと風のサンダル』には、子どもの心に寄り添う父親像がユーモラスに描かれている。
靴屋のチムは組一番のデブで学校一番のチビ。おまけに家はとても貧乏。みんなにからかわれると、チムはすごく悲しくなる。七歳のお誕生日が近いある日、父親に「何がほしい?」と聞かれて「ぼくはチムじゃないぼくになりたい」と答える。困った父親は、「それは無理だから、まだ誰ももらったことのないようなプレゼントをしよう」と約束する。誕生日にチムがもらったのは、靴屋の父が作った赤い靴と、母の手作りのリュックサック。そばには大きなサンダルとリュックサックも置いてあった。チムはお礼を言いながらも涙ぐむ。プレゼントはこれっきり? ところが、プレゼントはそれだけではなかった。一ヶ月の徒歩旅行と新しい名前だ。チムは「火のくつ」、父親は「風のサンダル」と名乗って、二人は冒険の旅に出る。
「ぼくたち、旅がらすってわけだね」とはしゃぐチムも、雨に打たれた時や野宿の晩には不機嫌になって不平不満を言う。そんな時、父親は同調もせず否定もせず、ユーモアを交えたたとえ話を語ってきかせる。自我に目覚め始めた子どもは本当に厄介だ。甘えたい時もあれば大人扱いして欲しい時もある。「風のサンダル」は、息子の自己否定をしっかりと受け止めた。新しい名を呼び合うことで息子と同じ位置に立ち、旅の中で、息子が成長するのをさりげなく見守っている。遠くて近い父のまなざしが物語の随所に感じられる。
長い旅から戻ったチムを見て、友だちが「やあ、まだチビでデブのままだ」とからかう。だが、チムはもうそんなことどうでもよかった。チムには、まわりの何もかもが目新しくてステキに見えた。だが、まわりが変わったのではない。変わったのはチムの方だ。チムはもう以前のチムではなかった。彼は最後に言う。
「ぼくはもう何も願い事をしないことにしたよ。お父さんとお母さんの、チビでデブのチムだってことがとてもうれしいんだ。ありがとう、風のサンダル」。

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