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8世紀~11世紀 桓武平氏(平家)の系譜 その1 平ノ将門の軍団、平ノ正盛の家臣団

① 桓武平氏の系譜

 桓武天皇の曾孫、高望王が平姓を賜る。

  平氏・平家直系 vs 宿敵

人物名  (生没年、*は怪しい生没年)その他別称、検索に出る可能性のある、その人物の官位や俗称など。
 次に武将の事績の説明です、更に詳細は個別に説明します。▽印は上記人物の一門、その子弟、または家臣(陪臣)の目印です。
人物の記号他の目印の意味は、
⇔は別ページにも登場。
▲は先祖 △は父 (○は家臣団の当主) 
▽は息子・部下 
▼は孫・部下の子分(陪臣)等の記号です。
*は同盟者など。

▲多治比長野 (706~790)永野・参議兵部卿・従三位。鋳銭長官・多治比家主の息。765年従五位上、三河守、出雲守、摂津大夫、伊勢守、近江守を歴任。息に真継。娘婿に桓武天皇。<平家を引き上げた多治比氏。「三河守」の官位や、鋳銭長官の系譜から、平家を自称した織田信秀・信長親子への繋がりがみえるような気がします。信秀が三河守を望んだこと、家紋が銭であること、何か先祖のことが念頭にあるのでは・・。>

(初代) 平ノ高望


平ノ高望 (*生没年不詳)taira(no) takamochi/上総ノ介・高望王・従五位下・正親正(オオキンダチノツカサ)。桓武天皇(室・多治比氏)の曾孫。桓武天皇の第3皇子葛原親王の息・高見王の息。藤原良方の娘婿。890年「平」の姓を与えられる。上総介に任官し赴任後、現地に土着した。常陸大掾・源ノ護と縁戚関係を結び、良望(国香)、良兼、良持を周辺諸国の役人として坂東に平家勢力を構築する。息に良望など。
<最初は上総国に赴任し、常陸の土着の豪族と結びつくか?><皇族が関東に派遣された理由は、常陸の鹿島周辺が古代大和朝廷以来の国境だったこともあり、敵対する常陸の天津甕星という蝦夷の荒神を信仰する集団の子孫がいまだ健在だったので、抑えのために赴いたかもしれません>
<のちに今川家、織田家でも踏襲される「上総ノ介」の呼称。>

(縁戚)
*藤原良方 (*)fujiwara(no)yosikata/(百済王)・大蔵大輔・加賀介。平安朝の貴族。不比等の子孫、藤原「北家」流、藤原冬嗣の息。岳父に百済王仁貞。853年に従五位上に任官。息に藤原当興、藤原当佐、藤原当蔭。娘婿に平ノ高望。孫に平ノ良兼、平ノ良正。<東北の金山を開発した百済王の系譜を継承するということは・・。外孫の良兼、良正の通字から推測するに烏帽子親か?。>

▽藤原当興 (*)fujiwara(no)takaoki/(百済王)・甲斐守・兵部少輔。藤原良方の息。885年富士浅間神社の社殿を造営。886年在京国主のため甲斐守を解任される。義兄弟に平ノ高望。<任地に赴任しないくらいで解任されるものなのでしょうか・・。><池田恒興の「興」のつく名は珍しいと思いましたが、平安時代にもけっこういるのですね。>

平ノ惟範 (855~909)中納言。桓武平氏。大納言・高棟王の息。母は太政大臣・藤原長良の娘。弟に季長。室に上総・常陸大守、人康親王の娘。879年備後権介、880年備前権介、893年肥後権介、903年播磨権守。909年右近衛大将。息に時望、伊望。<平家が関東に地盤を築くのは人康親王の存在(母系の地盤を引き継ぐ)が大きかったのでは。>

▽平ノ季長 (*~897)桓武平氏。大納言・高棟王の息(4男)。兄に惟範、実範、正範。元慶年間に伊勢権介、兵部少輔を歴任。878年「元慶の乱」後に陸奥守。右近衛権少将。883年上野権介。皇族の源ノ能有の側近となる。896年醍醐天皇の時に山城守。息に中興。<平家の嫡流と呼べる活躍です。高棟王の系統(守護的な)を家司(地方の守護代)として支えていたのが高見王の系統だったのでは。>


(第二世代)平ノ良望(国香) 
vs 平ノ将門(第三世代)


平ノ良望  (*~935)taira(no)yosimochi/平ノ国香・常陸大掾・鎮守府将軍・(良持?)。高望王の子。母は藤原良方の娘。常陸の(常陸前掾)源ノ護の娘婿。東北の豪族と縁戚関係を結ぶ。935年弟・良将(良持)の遺領を収公しようとして甥・将門と対立(嫡流を簒奪するか)。鎮守府将軍に就任する前常陸大掾・(略して常陸前掾)源ノ護、縁戚の平ノ良兼と結ぶが、甥の平ノ将門に居館を襲撃され討たれる。常陸国真壁郡を領す。息に貞盛、繁盛、兼任。<最初は弟・良将が嫡子(武士団に多い末弟相続の原理)で、鎮守府将軍となるか?。良望は良将の死後に将軍職代行となるか>

⇔*▲源ノ護  (*~937*)minamoto(no)mamoru/常陸掾・常陸前掾。常陸の豪族。おなじく常陸の豪族・平ノ真樹と抗争。935年平ノ将門の参戦により子息は戦死する。娘婿に平ノ良望(国香)、良兼、良正。息に扶、隆、繁。<源氏の系譜佐竹氏(源ノ義光系)が常陸に定着できるような基盤を、先に赴任した古い源氏が作っていたのでしょうか><宇多天皇の代に中央勢力をもった皇族・源ノ能有(文徳源氏)の系統でしょうか>

平ノ時望 (877~938)従三位・中納言。桓武平氏。高棟王の系統。惟範の息。弟に伊望。藤原菅根の娘婿。895年周防権介。924年信濃権守。925年伊予権守。931年讃岐権守。937年中納言。息に珍材、真材。<924年に信濃国に地盤を得ること、息子の真材(マキ)と呼べる名から、貞盛と縁のあった信濃の平ノ真樹との関連が気になるところです>

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平ノ将門の乱 勢力範囲と討伐軍

<平ノ将門の乱(天慶の乱):935~940年>
 対 平ノ良望(国香)・源ノ護。

平ノ将門の坂東平氏皇国


(源ノ経基の武功 その1) 日本国の乱逆のはじまり、東の将門。


<藤原純友:939>摂津・播磨に蜂起。


(三代) 平ノ貞盛 vs 平ノ将門


⇔平ノ貞盛 (*~*989)taira(no)sadamori/常平太・右馬允(助)・常陸大掾・丹波守・陸奥守・鎮守府将軍・(定盛)。平ノ良望(国香)の息。親子二代で常陸権守(常陸掾?)・源ノ護の娘婿。源ノ扶の義兄弟。935年父・良望(国香)の死により、京から下洛。常陸大掾に任官。叔父・平ノ良兼と結ぶが将門に敗北。下野国に脱出する。938年追討の宣旨を得る。939年下野押領使・藤原秀郷の協力を得て優勢に展開。940年下総幸島にて平ノ将門を討つ。その功により鎮守府将軍となる。「平将軍」と武名を賞賛される。息に維衡。弟・繁盛の息「余五将軍」平ノ惟茂(城ノ維茂)、維幹を養子とする。また維幹には常陸の所領を譲る。<このころ「掾」の呼び名がいつのまにか国の権守へと変遷するようです。その呼び名がかっこいいからでしょうか。><末子相続の原理でいくと、惟幹の系譜である常陸に勢力を蓄える平家が、関東では(本家として)優勢だったということでしょうか。>

▽他田真樹 (*)tada maki/多田・(真基・貞幹)。信濃国小県郡の豪族(郡司)とも。平ノ貞盛の上兵(陸奥鎮守府の官位略称)。父・国香の鎮守府将軍着任後の家臣か。平ノ将門との信濃「千曲川の合戦」に戦死。<平ノ将門の岳父、常陸の平ノ真樹と同名なのが気になります。><738年頃小県郡海野郷戸主 瓜工部君調の子孫か。><平ノ真樹とは別人のようですが・・、「真樹」とは「牧」の官名のことかもしれませんね。>

▽滋野恒成 (*)sigeno tunenari/(海野)・善淵・(恒重・常成)。貞雄の息。大伴氏族の牧監の子孫(清和天皇、貞保親王の子孫とも)。信濃国小県郡御牧の豪族(牧監)。平ノ貞盛の依頼で、平ノ将門の京都から往来中に伏兵し襲撃するが失敗。息に恒蔭。孫に恒成。曾孫に海野幸俊。<のちの禰津・望月・海野(真田)氏の祖先。><滋野氏が大伴家の流れであるのなら、のちに真田氏と織田家重臣の瀧川氏との縁は、先祖返りという感じです。「血」は想像以上に重要なのかもしれません。>


968年 前武蔵権介・平ノ義盛、相模権介・藤原千晴と争乱。
   <京都の盗賊追捕:994>
 源ノ満政(満仲の弟)・源ノ頼親・平ノ維将。



(第四世代) 平ノ維衡(貞盛流) 
vs 平ノ致頼(公雅流)



平ノ維衡 (*)taira(no)korehira/上総ノ介・常陸ノ介・帯刀舎人・陸奥守・出羽守・伊豆守・下野守・上野介・佐渡守・伊勢守・備前守・(是平・之平)。伊勢平氏の祖。平ノ貞盛の息。京都で藤原道長、藤原実資、藤原顕光の郎党を務める。998年平ノ公雅、平ノ致頼と伊勢の所領を巡り合戦に及ぶ。1006年伊勢守として任地に赴く。85歳。伊勢国桑名郡を領す。『十訓抄』に平ノ致頼・藤原保昌とともに優れた武者と記される。一条天皇の御世(986~1011)「平ノ維衡・平ノ致頼(良兼の孫)のふたり、天下の一物也。」と『続本朝往生伝』大江匡房により名を記される。従兄弟に城ノ維茂(惟茂)、多気維幹。息に平ノ正輔(正清)、正度、正済兄弟。


<社会情勢> 「刀伊の来冠:1019」大陸沿海州地域の女真族が突如来襲。太宰権師・藤原隆家以下の奮戦で撃退。
 肥前国藤津荘・平ノ(多気?)為賢が軍功を挙げる。息・平ノ新発知・兼元は惣追捕使に任官。<後世の南北朝期に、河内・楠木正成の一族に、和田「新発知」あり。「左衛門」のように官位から名前への変化か。>


<平ノ忠常「長元の乱」の乱:1028~1030
追討使:平維時の息・北条直方。1028年鎌倉下向。
<1036年阿倍忠良、陸奥権守任官>
 
⇒「伊勢の争乱」 平ノ維衡 子息の代にも抗争続く
 平ノ正輔 vs 平ノ致経  (長元年間:1028~1037年)
<1051年陸奥守・藤原登任VS安倍頼良>



(第五世代) 平ノ正度 vs 平ノ致経 平家一門 伊勢の覇権をかけて同族間の争い。



平ノ正度 (*~*1067)taira(no)masanori/斎宮助・諸陵助・常陸介・出羽介・越前守・(正乗)。伊勢平氏。平ノ維衡の息。兄に平ノ正輔(正清)。兄は致経と所領を巡り抗争。正度の息に維盛、貞季、貞能、季衡、貞衡、正衡。娘婿に藤原永親。



(六代) 平ノ正衡 vs 僧門



平ノ正衡 (*)taira(no)masahira/右衛門尉・出羽守・(正平)。検非違使。伊勢平氏。兄に平ノ貞季、季衡、貞衡。伊勢を本拠地とする。藤原師実の郎党を勤める。1079年、延暦寺の僧兵から京都を守る。息に正盛。


<前九年の役:1062>
安部頼時(阿倍頼良) VS 源ノ頼義・清原武則
 源ノ頼義・義家=1051~1062年「前九年」。

<後三年の役:1087>清原家衡・武衡 VS 源ノ義家・藤原清衡
 源ノ義家「天下第一武勇の士也」



(第七世代) 平ノ正盛 vs 源ノ義親(源氏嫡流)



平ノ正盛 (*~1121)taira(no)masamori/隠岐守・若狭守・因幡守・讃岐守・但馬守・備前守・丹後守・(正守)。平ノ正衡の息。白河院の「北面の武士」。1096年六条院に伊勢・伊賀の所領を寄進。1097年白河院により若狭・隠岐守。河内源氏の義親弟・源ノ義忠の岳父として勢力をのばす。1107年因幡守。1108年隠岐から脱出し出雲で叛乱した義親を、一門の盛康・盛長を率い討伐する。白河院に寵用され西国に武威を張る。息に忠盛、貞正、忠正、時盛、範延。娘婿に源氏惣領・源ノ義忠、藤原顕時、藤原清隆。

義家の跡職めぐり源氏内紛

<肥前国藤津荘・平ノ為賢の子孫、平ノ直澄が正盛により討伐される>

<源ノ義綱追討:1109> 朝廷が甥の跡職を継承した源ノ為義に、
源ノ義忠暗殺の犯人として源ノ義綱を討たせる。
実際は源ノ義光が暗殺の黒幕。

(第八世代) 平ノ忠盛 vs 僧門


平ノ忠盛 (1096~1153)taira(no)tadamori/検非違使・左衛門大尉・伯耆守・備前守・伊勢守・播磨守・美作守・越前守・正四位刑部卿・(忠守)。平ノ清盛の父。平ノ正盛の息。弟に平ノ忠正。1113年、興福寺の僧兵から京都を守る。1129~山陽・南海道の海賊を追討。白河法皇の信頼を得て平氏繁栄の基礎を作る。1135年、西海の海賊の追討使となる。藤原頼長が評して「数国の吏を経て、富巨万を重ね」、奴僕国に満ち、武威人にすぐ」『台記』と記している。肥前国神崎荘を拠点に中国貿易。58歳。兄弟に盛康、盛長、忠正。義兄弟に源氏惣領・源ノ義忠。息に清盛、頼盛など。

伊勢平氏の台頭
九州源氏勢力の没落


(九代) 平ノ清盛 vs 源ノ義朝(源氏嫡流)


⇔平ノ清盛 (1118~1181)taira(no)kiyomori/忠盛の嫡男(白河法皇の落胤カ)。高階基章の娘婿、息に平ノ重盛、基盛。1160年肥前国の通能を討伐。平氏の全盛期を創り上げる。息に重盛など。

東西源氏勢力と伊勢平氏

「保元の乱」

<保元の乱:1156> 崇徳上皇(鳥羽法皇長男)方 藤原頼長(忠実次男)
・源ノ為義・源ノ為朝・源ノ為仲
・平ノ忠正・平ノ家弘・平ノ康弘・平ノ盛弘。
            VS 後白河天皇(鳥羽法皇四男)方 藤原忠通(忠実長男)・通憲(信西)
・源ノ義朝・源ノ義康・源ノ頼政
・平ノ清盛・平(関)ノ信兼・平ノ惟繁。

⇔*藤原忠通 (1097~1164)fujiwara(no)tadamichi/摂政・関白・太政大臣・「法性寺殿」。藤原忠実の息。異母弟に藤原頼長。1121年父に代わり「藤原氏長者」。鳥羽天皇の関白。1158年後白河院側近の藤原信頼と対立し失脚。息・基実の室に信頼の姉妹を迎える。息に基実、基房、兼実。孫に藤原基通、良通。

⇔*藤原信西 (1106~1160)藤原通憲・高階通憲 taasina(no)michinori・少納言・円空・入道信西。藤原南家流。藤原実兼の息。父の死により高階経敏の養子。高階重仲の娘婿(後白河天皇の乳母を妻とする)。鳥羽上皇の側近・藤原家成と親交。1133年鳥羽上皇「北面」、「院判官代」日向守任官。1156年「保元の乱」に藤原頼長を失脚させる。<鳥羽上皇の「北面の武士」。入道して信西か、武士の名乗りとして改名か、入道出家したなら「円空」が正式のような・・。死後の法名?>

「平治の乱」

東西の平家と源氏勢力


<平治の乱:1159>
後白河上皇・二条天皇。
藤原通憲(信西)方・平ノ清盛・平ノ重盛・源ノ頼政 
VS 藤原信頼方・源ノ義朝・源ノ義平。源ノ光保
 
⇔藤原信頼 (1133~1160)fujiwara(no)nobuyori/権中納言・「悪右衛門督」・「日本一の不覚人」。藤原北家流、忠隆の息。後白河上皇の側近。関白・藤原忠実と対立し是を失脚させる。反信西勢力。源ノ義朝、源光保と結ぶ。「平治の乱」に信西を排除するが、二条天皇の側近(藤原経宗、藤原惟方)と結んだ清盛により敗死。兄弟に隆教、基成(基通)、信頼、家頼、信説、信家。義兄弟に近衛基実。息の信親の室は清盛の娘。


⇔▽源ノ光保 (*~1160)minamoto(no)mituyasu/出雲守・(光泰)。摂津源氏。出羽守・源ノ光国の息。兄弟に光信、全。二条天皇の護衛の侍。「保元の乱」に後白河方、「平治の乱」に藤原信頼方。寝返って平ノ清盛に加勢。1160年薩摩に配流され、同地で誅殺される。息に光宗。甥に土岐光基。



(第十世代) 平ノ重盛 vs 源ノ義平

⇔平ノ重盛 (1138~1179)taira(no)sigemori/中務少輔・遠江守・伊予守・丹後守・越前守・近江権守・左馬権頭・右兵衛督・権大納言・小松殿・小松左大臣・(重守)。清盛の息(長男)。室は藤原家成の娘。息・清経は藤原成親の娘婿。「保元(1156)・平治(1159)の乱」に活躍。将来を期待されながらも父に先立ち病没する。息に維盛など。

平家のライバル源氏
東国の源氏勢力


②覇権前の平家一門(連枝)

 開拓領主として関東地方に勢力を持つが、平ノ忠常の乱以降は源氏配下の郎党となる。

 
人物名  (生没年)武将の事績の説明です、更に詳細は個別に説明します。▽は一門の子弟、または家臣(陪臣)。

第②世代 平ノ良望(国香)の兄弟 900年代~

平ノ良将 (*)taita(no)yosimasa/鎮守府将軍・(良望・良持?)。高望王の子息(三男)。下総の豪族・犬養春枝の娘婿。鎮守府将軍となる。平ノ将門の実父。下総国豊田郷を領す。遺領を兄・良望(国香)が収めた為、子息の将門が平家一門から叛乱する。息に将門など。<国香の前に鎮守府将軍となっているということは、平家の嫡流だった可能性が・・。名も「高望」の嫡子として「良望」だったのでは・・。><犬養春枝は相馬の県とも。>


将門の父:良将の兄弟たちと敵対

平ノ良兼 (*~939)taira(no)yosikado/下総守・下総介・(良門)。高望王の子息(次男)。母は藤原良方の娘。前常陸大掾(略して常陸前掾)・源ノ護の娘婿。娘は平ノ将門の室。935年源ノ護その息子・扶、平ノ良望(国香)と結び、甥の平ノ将門と抗争する。のち貞盛と結び将門を破る。常陸国真壁郡を領す。息に公雅、公連、公元。<名が良兼「よしかど」なら、その婿養子的な将門「まさかど」は、本来は「将兼(もしくは正兼)」と表すのでは。武門の棟梁として新皇の「将門」と名を改めているような感じなのでは?。系図の混乱は、良望が良持で、朝敵「将門」の系統を貶めるために、良持に無理やり「将」をあてて「良将」とし、庶兄の国香が死んだ弟の名「良望」を名乗り、「鎮守府将軍」の正統を主張したためなのでは・・・。>

平ノ良文 (*)taira(no)yosifumi/村岡・五郎・武蔵守・(良正?)。高望王の子息(12男)。上野の大野茂吉の娘婿。「平ノ将門の乱」で遺領を継承する。下総国筑波郡水守郷。息子に平ノ宗平、忠頼。のちに孫の忠常(忠頼の息)が源氏に屈服し、平氏の東国基盤が失われる。子孫は坂東八平氏(千葉・上総・秩父・三浦・土肥・大庭・梶原・長尾)。<武蔵権介・源ノ宛と対決。>

平ノ良茂 (*)taira(no)yosimochi/常陸少掾・(良繁・良重)。高望王の庶子。平ノ国香の末弟。息に平ノ良正とも。<常陸平氏の平ノ維良とのかかわりが気になります。「繁」の字を継承していく、平家の一流はこの方の子孫なのでは・・。国香の息・繁盛とのつながりが気になります。>

平ノ良正 (*)taira(nno)yosimasa/下総介・(義政)。常陸の常陸前掾・源ノ護と縁戚関係。935年源軍に加勢し、平ノ将門と対立。将門に敗北し上総の平ノ良兼を頼る。936年平ノ貞盛とも同盟し、貞盛・良兼とともに、将門と下野に合戦し敗北する。平ノ良茂の養子とも。息に公雅、公義、致成、致頼。<常陸の平ノ真樹との間柄が気になります。>
<平ノ良文の後裔と、平ノ貞盛の後裔との主導権争いが、以降激しくなるという。>

第③世代 平ノ貞盛の兄弟、従兄弟。

③世代 平ノ良望(国香) 系統(常陸平氏) 930年代~
⇔平ノ繁盛 (*)陸奥守・(茂守・重盛)。常陸平氏。平ノ良望(国香)の息。将門を打倒した貞盛の弟。右大臣・藤原師輔の家人。986年武蔵平氏の平ノ忠頼(忠常の父)に比叡山への寄進(金泥大般若経六百巻奉納)を妨害される。弟に兼任。息に平ノ兼忠、(城の祖)維茂、(大掾の祖)維幹。<平ノ良文流・忠頼から「かの仇敵」と名指しされる。>

▽平ノ兼任 (*)常陸平氏。平ノ良望(国香)の息。将門を打倒した貞盛の弟。兄に貞盛、繁盛。甥に平ノ兼忠、(城の祖)維茂、(大掾の祖)維幹。<「任」の名が気になります。これ以降の陸奥の守の藤原登任、東北安倍氏の安倍貞任とか、東国関係に連なる名でしょうか。>

③世代 平ノ良兼 系統(のち尾張・伊勢平氏)
平ノ公連 (*)下総権少掾・六平・押領使。平ノ良兼の息(長男)。940年下総押領使。将門追討の将・藤原忠舒の配下として、平ノ将種・藤原玄茂らを相模にて捕殺。

平ノ公雅 (*)右衛門少尉・安房守・武蔵守・(公正・公雄・忠望)。平ノ良兼の息(良正の息とも)。平ノ将門は従兄弟で義兄弟。のち宗家の平ノ維衡と抗争。常陸国真壁郡を領す。将門追討の将・藤原忠舒の配下として、上総国にて興世王を捕殺。弟に公義、致成、致頼。息に致秋、致成、致頼。

③世代 平ノ良文 系統(のち房総・武蔵・相模平氏)

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