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才能を開花してくれる上司や恩師に出会うー禅語「啐啄同時」

親鳥とひな鳥の関係「啐啄同時」とは

 上司と部下、師匠と弟子の関係はどうあるのがいいのか。
 その理想的関係について語った禅語「啐啄同時(そったくどうじ)」をもとに、みていきたいと思います。

「啐啄」とは耳慣れない言葉ですが、ひな鳥が孵化するときの、親鳥とひな鳥の関係を言い表したものです。
「啐」とは、ひな鳥が「もう卵から出たい」と内側から殻をつつく音のこと。
「啄」とは、親鳥が「ここから卵の殻を破って出てきなさい」と外側から殻をつつく音のこと。
「啐」と「啄」とが、ピタリと同時に行われると、見事に卵がかえって、ひな鳥が生まれることから、「啐啄同時」という言葉が生まれました。

 このことから、またとない好機のこと。また、学ぼうとする者と教え導く者の息が合って、相通じること、という意味合いで使われています。

「啐啄同時」。親鳥とひな鳥の関係を、企業における上司と部下の関係に置き換えると、どういうことになるでしょう。

 たとえば、クリエイティブワークや現場作業など、同じプロジェクトに関わるときには、チームの力で達成していかなければなりません。全員が十分なスキルの持ち主とはかぎりません。スキルの未熟な若手や後輩に対しては、才能や技術レベルなどに合わせて、適切な指導をすることで成長を促し、全体のレベルアップを図ります。
 また、その指導を通して、プロジェクトの狙いやプロジェクトにおける自分の役割などについて考え、理解を深めてもらうわけです。

理想の1 on 1でないときの対処は?

 1 on 1の関係が際立つ、アスリートや稽古事、工芸や職人の世界ではどうでしょうか。師匠の指導ぶりと、個人の資質によって、成長の度合いが大きくかわってきます。

 理想と違って、憧れる優秀な指導者とは違う人から指導を受けることなった場合はどうでしょう。
 心理的に反発したくなることがあっても、まずはそれを受け入れて、試してみる。あるいは、自分のやり方のほうが合理的だと思っていても、謙虚に受け止めて、至らないところがあれば、改める。

 「指導者との出会いを一つの縁」と受け止めて、うまくいかすように考え方をかえていくこと。ぴったり息の合った関係が理想ですが、そうでない関係から何かを得ようとすることも、次なる第一歩につながるのではないでしょうか。

手取り足取り、優しく丁寧な指導がベストなのか?

 ある企業研修で、この「啐啄同時」を取り上げたときのことです。
 1 on 1マネジメントというと、丁寧に寄り添う指導の大切が強調されますが、理想の師弟関係とは、どう関係なのか、という話になりました。

優しく丁寧な指導がベストなのか? 
 すべてを教えてくれるのが、いい師匠なのか?

 何もわからない最初の段階は丁寧に手ほどきをしてあげることが大事です。たとえば、自転車に乗れるように補助輪をつけたところから、つきそってあげる。では、それがある段階まできたら、どうするのがいいのか。
 やり方のすべてを教えることが、答えまで導くことが、相手の成長のためになのだろうか。

 ひな鳥と親鳥の関係で考えてみます。
 ひな鳥が産まれたばかりのころは、親鳥は餌を運んできて、口をあけて待っているひな鳥に与えて、育てていくわけです。ひな鳥はいずれ親鳥のもとから巣立っていく日がやってきます。
 自ら餌を取ることができるようになっていないと、野垂れ死にしてしまいます。自然界とはそういう厳しいものです。

 企業における人の育て方も、それと同じではないか。
 ひとりで相手先の営業を担当する、ひとりで開発を担当する。不測の事態も発生する。そうなったときに、自分で考え、自分で判断し、事態を解決することができなければなりません。
 一人前に育てるということは、ある段階からは、本人の自主性と責任に任せる、ということなのではないでしょうか。失敗やミスから学んで、成長していく。

行脚の人は、須らく啐啄同時の眼を具す

最後に、『碧巌録(へきがんろく』にある禅語「啐啄同時」のくだりを。

「およそ行脚の人は、須(すべか)らく啐啄同時の眼を具し、啐啄同時の用(ゆう)あって、まさに納僧(のうそう)と称すべし」
「用」ははたらき、「納僧」は真の禅僧の意。

『碧巌録(へきがんろく』

 師は育んできた弟子の修行が熟した時を知り、時を得て悟りの機会を与えます。弟子も修行を積んで力をつけ、それに呼応できなければ、その機会も役には立たないことでしょう。
 このような解説がありましたので、それを引用させていただきました。

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