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尊敬できない人、嫌いな人。孔子と弟子が挙げた、あるある7タイプ―『論語』

孔子が挙げた尊敬できないタイプとは

 人の好き嫌い、どうしても出てしまいます。
 自分のことは棚に上げて、人を軽蔑してしまうことも、少なくありません。

 中国古代の聖賢のひとりとされている孔子は、どうだったのでしょうか。

 彼は多くの君主・貴族・官僚、さらには弟子たちと関わりながら、人として生きるの道を生涯説き続けました。そういう師匠の姿を間近で見てきた高弟のひとり子貢が、人間関係観について孔子の内心を聞き出そうとしたことがありました。

 その一節が『論語』に載っているのですが、今の時代に生きる我々にもあてはまる人物評になっていて、いい意味で、参考になります。そのやりとりをみていきましょう(私なりに意訳しています)。

 弟子の子貢が孔子にこう尋ねました。
「孔子先生ほどの方でも、尊敬できない人や軽蔑する人がいらっしゃるのでしょうか」。

 孔子はこう答えます。
「もちろん、私にも尊敬できないタイプ、軽蔑する人はいまよ」
 そう断って、具体例を挙げていきます。
「他人の欠点を吹聴して歩く人」
「上司や目上の人のかげ口ばかりたたいている人」
「行動力はあるけれどマナーがなってない人」
「自分勝手で協調性に欠けている人」

孔子が挙げたのは、この4タイプでした。

 孔子は言い終えると、
「で、君はどうなんだい?」
と子貢に聞き返してきました。

「はい。私にも嫌いな人間がいます」
と子貢が挙げたのは、次の3タイプでした。

「他人の知恵をパクるのがうまくて、賢そうにふるまっている人」
「他人を押しのけることを、勇気ある行動だと勘違いしている人」
「他人の秘密をあばいて、正義派ぶっている人」

 これでふたりの会話は終わっています。

 読み下し文です。

 子貢(しこう)曰(いわ)く、
「君子(くんし)もまた悪(にく)むことあるか」。
 子(し)曰(いわ)く、
「悪(にく)むことあり。
 人(ひと)の悪(あく)を称(しょう)する者(もの)を悪(にく)む。
 下流(かりゅう)に居(お)りて上(かみ)を訕(そし)る者(もの)を悪(にく)む。
 勇(ゆう)にして礼(れい)なき者(もの)を悪(にく)む。
 果(か)敢(かん)にして窒(ふさ)がる者(もの)を悪(にく)む」。
 曰(いわ)く
「賜(し)やまた悪(にく)むことありや」。
「徼(かす)めて以(も)って知(ち)となす者(もの)を悪(にく)む。
不孫(ふそん)にして以(も)って勇(ゆう)となす者(もの)を悪(にく)む。
訐(あば)きて以(も)って直(ちょく)となす者(もの)を悪(にく)む」。

『論語』陽貨篇

他人を押しのけることを、勇気ある行動だと勘違い

 孔子が挙げた4タイプ。
「他人の欠点を吹聴して歩く人」
「上司や目上の人のかげ口ばかりたたいている人」
「行動力はあるけれどマナーがなってない人」
「自分勝手で協調性に欠けている人」

 子貢が挙げた3タイプ。
「他人の知恵をパクるのがうまくて、賢そうにふるまっている人」
「他人を押しのけることを、勇気ある行動だと勘違いしている人」
「他人の秘密をあばいて、正義派ぶっている人」

 どのタイプの人も、現代の会社組織やコミュニティでみかけますし、その人たちの行動に振り回されたり、迷惑を被っている人が少なくありません。

 チャレンジして失敗することを恐れている評論家タイプ、
 実績は上げているけど、その人のために貢献している人や犠牲になっている人への配慮に欠けているタイプ、
 現実に対処している当事者の事情を考えず、理想論を唱え、正義の主張一辺倒のタイプ。

 ここに挙げたような人たちの行動や発言は、悪意がなく、世の中や組織をよくしたいという思いに駆られてのことかもしれません。
 しかし、それが、組織メンバーのモチベーションを削ぎ、一生懸命努力している人の成果を横取りすることになっていたら、やはりいい行為とはいえないでしょう。

最後に。
 えてして、人物評をするときに、日ごろの憂さや意趣返しといった感情がまじって、他人の欠点や悪口に拍車がかかってしまうことがあります。
 孔子と子貢の問答のように、人物評をするときには、その欠点に触れながらも、品よく、評価の基準を歪めないことを、こころがけたいですね。

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