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なぜ貧困になってしまうのか。なぜ社会の脱落者になってしまうのか―『論語』

貧しい暮らしのなかでも楽しみを貫いている

 貧しい生活を強いられるよりも、少しでも豊かでありたい。
 食べることや住まいに不自由しない暮らし。
 それは、誰もが望むことです。

 ところが、、意図せずして、貧困な暮らしを強いられたり、社会生活の脱落者になってしまう人がいます。災害、事故、家族の重篤な病気といった、自分の力が及ばないこと、あるいは自分の力では解決できないことが理由で、経済的に苦しい生活に陥ってしまい、そこからなかなか抜け出すことができない。そういう人たちもいます。

 経済的な貧しさと自分の価値観・生き方がどう関係しているのか。
 「日本資本主義の父」と言われ、新1万円札の顔となっている渋沢栄一氏が。『論語』のある言葉をもとに、そのことについて考察していて、とても参考になります。

 渋沢氏が生きていた時代とは社会情勢がだいぶ違いますが、人間考察ということでは、いまにもあてはまることなので、みていきましょう。

 その題材となっているのは、渋沢氏が長年院長を務めていた東京市養育院。そこに収容される人たちを巡る話です。
 東京市養育院とは、明治の初め、首都東京の困窮者、病者、孤児、老人、障害者の保護施設として設立されました。渋沢氏はこの養育院の運営に関わり、1890(明治23)年に養育院長に就任。以来91歳で亡くなるまで約50年間院長を続け、養育院廃止論の逆風を受けながら養育院を存続させました。
 この施設や事業は、現在の東京都健康長寿医療センターへと継承されています。

 東京市養育院養育院に収容されている社会的弱者について、ある傾向がみられる、と渋沢氏『論語講義』で述べているのですが、その発言に至るきっかけとなったのが、『論語』の一文です。
 孔子が最愛の弟子・顔回が生活の貧しさを苦にせずに生きている姿を心底褒めて、次のように述べています。

 えらいものだなあ、わが弟子の顔回は。
 わりご一杯の飯に、ひさごのおわん一杯の飲み物といった暮らしで、せまい路地の奥に住んでいる。普通の人は、その貧乏暮らしのつらさにたえられないだろう。
 ところが顔回は(そんな暮らしにも平気で)自分の楽しみを貫いている。えらいものだよ、顔回は。

 読み下し文です。

子曰く、
「賢なるかな回(かい)や。一箪(いったん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)在り。
人は其(そ)の憂(うれ)ひに堪(た)へず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や」。

『論語』雍也篇

利己的な生き方をしている人を、助けてはくれない

 これは貧困に耐えることをよしとし、金満生活を戒めている一文のように受け止められがちですが、渋沢氏は実業家らしく、その解釈を否定しています。

 孔子が人に貧困を勧め、金持ちを攻撃したように解釈した人がいるなら、大いなる誤解だ。
 人はまず自分が豊かにならなければ、広く人々に施して、民衆を救うことができない。

 孔子はもちろん、この間の事情を知っていた。だから、人に貧しく苦しい生活を勧めたりはしない。 ただ、弟子の顔回の次の姿を誉められただけなのだ。財産の誘惑に打ち克って、質素な生活に満足し、すこしも志を曲げず(略)、みずから選んだ道を楽しむ――。

 ということで、ここからが渋沢氏一らしい、人の見立ての話となります。

わたしが院長を務める東京市養育院に収容している人々に共通する性質は、不思議にも「利己的」なことなのだ。これはわたしだけでなく、同院関係者がみな実際の体験から等しく感じている事実である。

 こう述べて、「利己的」な生き方、考え方の弊害を鋭くしてするのです。

「利己」一点張りを、世間を渡っていくうえでの信条とし、自分の利益ばかりはかることにのみ没頭し、一にも自分の財産、二にも自分の地位ばかりを心がけてきた――これならば、地位や財産、栄達を思うままに遂げられそうなものだが、その結果はまったく正反対である。
「我利主義」一点張りの人は、どうにかして自分だけは通そうとするが、世間が承知しない。世間より共感が得られなければ、自然と世の中で立ち行かなくなり、その挙句に自分で食うにも困って、養育院に収容されてしまうのだ。

 自分の都合第一、自分の利益しか考えていないと、世間から共感がえられず、立ちいかなくなったときに誰も助けてくれない。食うにも困ってしまう。
 貧困は、利己的な生き方が招いた結果である。渋沢栄一はそう結論づけています。

 人は財産や地位を超越して、人のために考え、行動する意思がなくてはならない。

 そして、こう励ましています。
 貧乏になっても、困窮になっても、まったく気にせず、天下から与えられた社会での役割分担に満足すること。

 モノやお金に対する欲望を否定することが、徳のある人の理想の生き方ではないのです。
 世の中と関わるなかで、どう役に立つか、ということが大切で、それはその人なりのやり方でやっていけばいい。
 私はそのように受け止めました。


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