なぜかわからないけど崇めてしまう

心理学用語で光背効果というものがございますが、
その人やもの自身のこととは関係なしに
その属性などで偉いと感じてしまうものがございます。

人間の脳はいちいち考えるのを面倒くさがるので、
何かしらの属性や特徴の一部でも
それを全体として判断してしまうということも伺ったことがございます。

これが非常に厄介な感じが致しまして、
どうでも良いことや
むしろ悪いことでも
それを観察や吟味せずに
良いものと崇めてしまう傾向があるように存じます。

昔友人で
先生と呼ばれるような仕事には就きたくないと
興味深いことをおっしゃる人がおりました。
実力が無くても
先生と呼ばれ続けることによって
慢心してしまうのが理由とのことでしたが。

先に名前を付けて、
実力が後から付いてくるということもございます。
そういった人材育成ももちろんございますが、
その人が成長するのと
慢心していくのとでは
違いがあります。
しかしながら際どいところもございましょう。
本人がきちんと反省し続けるようであれば
成長につながりそうですが、
人間誰でもいつでもそこまでしっかりしてはいないでしょう。

さて、崇められる方もそうですが、
崇める方も、
なぜ崇めるかわかってないのに
崇めていることが多いように存じます。

ほとんどの崇める行為が
ひょっとしたら何も考えずに
本能に近いところから促されているようにも存じます。

もちろん、ちゃんと感服して
崇める場合もございますが、
それはなかなか稀ではないでしょうか。

人類が集団をつくり
その中で優劣を争う
そういった性質があるからなのでしょうか。
この崇めるという心理や行為は
どこからくるものか
不思議に感じておりす。


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