革命的半ズボン野郎の傷心旅行、歯の無いワニにペニスを甘噛みされたいこんな夜にお前を抱けないなんて、魂のアンタッチャブルゾーン
九月二三日
午前九時二一分。紅茶、じゃがビー(カルビー)。寝付くのが早かったので目が覚めるのも早かった。ひさしぶりにエアコンなしで寝付けた。ようやく「秋の気配」を感じることが出来て感無量。奥能登の人たちはそれどころじゃないだろうけど。人間というのは自分の身に降りかかった災難以外にはどこまでも無関心になれる生き物なんだな。同じ県内に住んでいる(しかも能登出身の)俺でさえこうなんだから首都在住の連中なんてもうそんなこと忘れているだろう(たぶん地震のことも忘れている)。こういうことがあったときに、「心を痛める素振り」なんかによって「自分はヒトデナシではない」と思い込めるような人びとは幸せだ。たぶん長生きするよ。ある程度はヒトデナシでないと長生きなんか絶対に出来ない。生きるということは他人の痛みをきょくりょく眼中に入れないようにし続けることなんだから。大なり小なり他人を見捨て続けることなんだから。世界はいつだって救いようもないほど悲惨であり、快楽よりも苦痛の方が圧倒的に多い。尽きることのない他人の苦痛にいちいち「共感」などしようとしていたらその人は三分も正気を保てないだろう。そんなこともう知ってると思うけどたまにそういうことを知らないフリをしたがる人がいるんだよね。オフコースに「秋の気配」という曲がたしかあったはずだからいまからスポティファイで再生する。今日の阪神巨人戦はどうなるか。巨人が勝てばもう巨人優勝で決まりだ。賭けてもいい。野球賭博。もうプロ野球なんかどうでもいいはずなんだけどやっぱり気になってしまう。俺もまた「軽薄な俗人」(トートロジーである)に過ぎない。自分の「軽薄な俗人」性を憎んでいる故にこそ他人のうちにそれを感じると罵りたくなるんだ。現代は「生の本質的無意味性」や「自分がいずれ死ぬこと」から世人(Das Man)の目をそらさせるための気晴らしコンテンツにだけは事欠かない。「知的生物」が真にやるべきことは思索と諦念だけだというのに。いったい世の中はしょうもない人間に限って多忙を気取りたがる。「お前の代わりなんかいくらでもいるよ」と言いたくなるような人間に限って「俺がいなければ会社は回らない」みたいな勘違いをしている。誰もが気が付けば「社会的有用性」を競う糞ゲームに参加させられている。自分がいかに「代えの利かない存在」であるかを必死にアピールし「生の本質的無意味性」に抗おうとしている。凡庸な人びとが子を作り「人の親」になりたがるのは、それが自分を「代えの利かない存在」だと感じるための最も安易で有効な手段だからである。「自分がいないと生きられない(かもしれない)弱き他者」を持つということでしか彼彼女らは「かけがえのない私」を感じることが出来ないのである。自我を安定させるためなら人はどんな卑劣行為も厭わないの。もっともそのていどのことで自我の安定が続くはずもないのだけど。ああ何て人は惨めなの。あたい、シャボテンの花になりたいわ。地獄とは自我のことである。きのうは図書館でエリック・ホッファーの『大衆運動』(高根正昭・訳 紀伊國屋書店)をぱらぱら読みした。訳文はなかなか生硬だが叢書・ウニベルシタスを長らく愛読してきた私にとっては大したことではありません。いまは中山元の新訳でも読むことができる。鋭利な箴言風文章が多く思いのほか愉しめた。以下はノートに書き抜いたもの。
昨夜はアオキ三口新町店で2.7Lペットのトリスと鶏皮とヒキワリ納豆を買った。3012円。ポイント5倍デーだったのに思ったほどポイントが付かんかった。還元率変更した? ああ庶民は嫌だ。庶民であることの耐え難さ。明日からは原則として「隔日飲み」でいきたい。飲んでいい時間は22時から25時まで。一か月の酒代は絶対に3500円を超えてはならない。もしこれらに一度でも違反した場合、翌月の夜の腹筋トレーニングの回数を二倍とする。やや抑鬱の影。休館日だから洗濯して古書店でも行こうか。アンパン野郎とジャムジジイの第二次権力闘争。ゴリラパニック&広辞苑ゲシュタルト崩壊。ぞぞぞ団員失踪。憎悪のサプライチェーン。果てしなきゾンビパウダー。愛。
【備忘】11500円
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