駄目人間ブルース、走るより「南米音楽」に合わせてジャンプとかしているほうが楽しい、走ることは人間に向いていない、目鯨、
七月二四日
午後十二時四〇分。スティックゼリー三本、紅茶。やや二日酔い。ルールを破って三時まで飲んでいたのでとちゅう何度も喉の渇きで目が覚めた。酒量を減らしたい。せめて酒は十二時半までというルールだけは守りたい。吐気に起こされるのは嫌だから。酒が入るとどうしても「自分で決めたこと」なんかどうでもよくなる。「なんで俺が俺ごときに行動を制約されないといけないんだ」という気になる。「この支配からの卒業」って感じになる。酒量を減らさないといずれ裸のまま外に出て捕まりかねない。「生まれたときは裸なんだ、裸でいて何が悪い」。そういうのはぜんぶ学生時代に済ましておくべきことだ。きのうは午後三時からコハさんと図書館で二時間半ほど閑談。きほん人と会うことは暴力的だとか、相手の地雷を踏むまいと恐れてばかりいるとどんな話もできないとか、そんな話をする。ああキーボードを叩くのがしんどい。今年一番にしんどい。だいたい何で俺はこんなバカな文章を毎日書いてるんだ。いったい誰が読むんだ。昨夜も走ろうと思えば走れたけど走らなかった。走るのはやはり性に合っていない。だいたい河川敷まで行くのが面倒臭い。かといって住宅街を走るのも嫌だ。そんなのは変質者にこそふさわしいことだ。靴底の摩耗も早くなるし。でも体脂肪率は落としたい。シックスパックになりたい。ほとんど何の努力もせずに「男らしく引き締まった体」を作りたい。努力というのは体に悪い。努力したがるのはだいたいアホと決まっている。かしこい俺は「合理的な微努力」以上のことはやらない。というわけで今日からはILLAYの音楽に合わせてジャンプしたりスクワットしたりして汗を流そう。ああ出来れば一生寝ながら過ごしたい。屁が臭い。コチュジャンの海で半裸のセナ様に抱かれたい。
原田擁平『セクハラの誕生 日本上陸から現在まで』(東京書籍)を読む。
セクシュアル・ハラスメントという概念が日本で受容される過程を追ったもの。当時の政治的背景やカルチャーにもよく目配りがされている。中心となるのは「日本初のセクハラ裁判」のこと。支援する会や弁護団の戦略上、原告の晴野まゆみは「原告A子」として匿名的かつ理想的に振る舞うことを強いられた。その苦悩は察するに余りある。紆余曲折のすえ彼女は1992年に全面勝訴した。しかしこの本に出てくる男はどいつもこいつも糞。男であることが嫌になる。チンチンぶら下げているだけで自分は女より偉いと勘違いする馬鹿男はぜんいん粉末にして鶏のエサにでもしたほうがいい。それにしても「働く女性」って妙な言葉だね。
今日このあとどうしようか。ここんとこ図書館行き過ぎだろ。たまには部屋でゆっくり過ごそうか。長く読みかけになっている『蓮と刀』でも読もうか。あっは、ぷふい! モンスターパーソン。子猫も桃も桃の内。日本人の読解力向上委員会。
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