愚劣、蕭々、
八月三日
午前九時四九分。青汁、玄米緑茶。こんな早起きなのは十一時ごろに訪問者があるから。それまでに書きたい。時間制限があるとぜんぜん楽しく書けないのだけど。喉元過ぎればなんとやらで、今夜あたり酒を飲みそう。ペットボトルのトリスクラシックがあと少しだけ残っている。これを飲んだらとうぶん断酒するか。あの胃腸の大乱調の原因は酒にもあるんじゃないか。菌まみれの肉を食ったそのあとに酒を飲んだからあそこまで重症化したんじゃないのか。俺は酒を愛しているつもりだがおそらく酒は俺を愛していない。だから酒はやめたほうがいい。夜の長さはなんとでもなる。ルイボスティーでも飲みながら積読くずしだ。
佐高信『決定版 タレント文化人200人斬り』(毎日新聞社)を読む。
体調が最も悪いあいだ耳で読んでいた。当時はこういう痛快で分かりやすいものしか頭に入ってこなかった。いまも彼のヒト斬り本を読んでいる。司馬遼太郎が何度も斬られている。俺は彼の小説はあまり好きではないけど紀行文の類はむかしけっこう読んだ。『アメリカ素描』なんかいまも愉快に読める。日本の経営者には司馬遼太郎ファンが多く、そのだいぶぶんがろくでもない奴らしい。いろんな経営者を取材している佐高が言うんだからたぶんそうなんだろうね。ちなみに佐高は塩野七生を女司馬遼太郎と断じている。俺が学生時代によく読んだ五木寛之がいきなりばっさり斬られている。対談でのちょっとしか一言や真偽の定かならぬ伝聞などをもとにして痛烈批判を加えるのが佐高流で、だからじっさい相手が誰だろうが斬ろうと思えば斬れただろう。本書でわりとその言葉が肯定的に紹介されることの多い美輪明宏なども、江原なにがしと妙なスピリチュアル番組をやっていたりしていて、それだけでも佐高的にはたぶん批判する理由としては十分だ。基本的に彼は権力や権威を持った人間のなかでも、「保守」や「右派」に分類しうるような人物を標的としている。だからどっちかというと「左派」とされる人びとにシンパシーを感じやすいオイラとしては最後までけっこう楽しめました。たぶんその逆だったらかなり不快な読書だっただろう。まだ下痢が続いていたかもしれない。ラッキーストライク。ヘソ毛小僧。
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