世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働く、
七月二五日
午後十二時二七分。スティックゼリー四本、緑茶。やや夏バテの様相を呈しつつある。酒は飲めなくなってきたし、日記を書くのも辛いし、日が暮れてからの散歩もややだるい。でもチンコはちゃんと勃つ。まいにちオナニー出来ている。いまコバエより小さい虫が顔付近を飛んでいて鬱陶しいことこの上ない。肌に止っているのを感じても叩こうとしたときにはもういない。と思ったらいま一匹潰した。ジャイナ教徒だったらこんな殺生はしなかっただろう。さいきんこいつを台所のゴミ袋付近でやたら見かけるんだよ。虫ごときを気にしているようではだめだ。情けないぞ。そういえば虫にやたらビビる男っているじゃない。どんな虫も触ることさえ出来ないみたいな。アタシああいう綺麗好きのお坊ちゃんみたいな男はだめなの。日に焼けることを気にしている男も嫌だ。体毛の処理に余念のない男なんてもう最低。男ってのは「いい感じに粗雑」なほうがいいのよ。この「いい感じ」が難しいんだけどね。さくや『誹風 柳多留 三篇』(社会思想社)のなかにこんな川柳を見つけた。
「屁をしても一人」。つげ義春の漫画の一コマをいま思い出した。汚くて狭い畳敷きの部屋で男がひとり横になっていて尻からぷすーと音だけがする。俺的には漫画史上もっとも虚無的な光景。つげ義春全集を読みたくなってきた。一揃い二千円くらいで売ってないかな。暑くなるだろうね今日も。けっきょく図書館に行くしかないのか。また細かい虫がいるよ。クモを何匹か放ったほうがいいかもしれない。室内のクモはいちおう「益虫」ということになっている。アシダガグモなんかは昆虫Gを捕獲するというから頼もしいよ。そういうやつとなら同居してもいい。ただ出来れば俺の視界には入らないでほしい。というか昆虫Gだって視界にさえ入らないければ別に構わないんだ。あとガサゴソ音を立てなければ。「そこに見えないけどいる」というのは「そこに見えている」よりもずっとキモいから。セナを見る時間は少しづつだけど減らせている。急に見るのを止めると離脱症状で苦しむことになるだろうからここはどこまでも慎重にいくべき。やはり俺は「男になりかけている少年」のなかにこそ至上の曖昧美を見てしまうんだな。この美が分からないような田夫野人とは俺は付き合えない。馬鹿みたいに「異性」に惚れてろってんだ。もう一千文字超えそう。よかった。昼食だね。梅干し茶漬け食うわ。オイラは壊れた暴走機関車、カラッポの未来に突き進むだけ、汚れちまった悲しみはそのままにしておけ、ばーみやん音頭、ばーみやん音頭、ゆあーん、ゆよーん、全滅滅滅滅。めめんと森下翔太。
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