生の不潔さ、労働の耐え難さ、バングラデシュとガラスの解剖台、悲しみの遊覧飛行船、
八月七日
午後十二時三七分。紅茶、うずらのたまご。エレファントカシマシ「今宵の月のように」。エアコンを付けなかったけどもわりとよく眠れました。そういえばさっきILLAYの新着動画があったので見た。セナが前よりたくましく見えた。どんなに可愛らしい少年もある時期になると急に男になる。抱きしめられる存在から抱きしめる存在に変わる。起きている時間の大半を読むことに費やしていると目が疲れる。たまには昼間の外歩きもしたいけどこの時期はそれが出来ない。公営プールでも行こうか。ガキがひしめいていそうだから嫌だ。図書館に行くといつも同じ場所に同じジジイがいる。そいつの周辺がまた臭いんだ。まいにち体洗ってんのか。そういうところはワイルドじゃなくていいんだよ。しかしもともとそういう体臭なのだとしたら。スポンジでいくらこすっても落ちない体臭。ずっとまえ食器用洗剤で何十分も執拗に体を洗っている太った中年男を石引温泉で見たけど、あれは体臭を必死に落とそうとしているところだったのかもしれない。ところで俺は? 自分の体臭は自分では気が付かないというではないか。透明な無臭男に私はなりたい。誰も見たくないし誰にも見られたくない。自分の眼差しも他人の眼差しも常に凶器を含んでいる。生きていてもいいですか、と誰もが問いたがっている。買いたい本が三冊ある。李琴峰『言霊の幸う国で』、デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』、マルク・レビンソン『コンテナ物語』。
佐々木隆治・他『ベーシックインカムを問いなおす その実現と可能性』(法律文化社)を読む。
ベーシックインカムに関する議論を俯瞰したい。民衆レベルでは、賛成側であれ反対側であれ床屋政談の域を出ていない。勉強不足にも程がある。将来ほとんどの仕事はAIに代替されるから人間は遊んで暮らせばいいだの、誰も働かなくなるだの、財源確保はどう考えても不可能だの、だいたい言われることは決まっている。経済的にも社会学的にも哲学的にももっと緻密でラジカルな議論が可能なはずだ。とりあえず俺はBIを「最低限食っていけるだけのお金」を国民全員に毎月無条件に支給する制度、ということとして単純に理解しているけど、この「最低限(ミニマム)」をどう捉えるかだけでもすでに難しい。「生物として」ギリギリ生きられる程度のお金ということなのか、それとも憲法25条でいう「健康で文化的な最低限度の生活」を送るのに必要なお金ということなのか。政府による生活保障制度はきょくりょく単純化したほうがいい、(生活保護制度のように)個々人の経済事情をいちいち調査したりするコストは馬鹿にならないから、といったこともよく聞く。ところで「左派系」の人のなかにはBIに懐疑的な人が多いね。とくに現行の社会福祉制度などをBIに統合したがるような「ネオリベ的BI論者」への警戒心を隠さない人が多い(いまどき「ネオリベ」といえば何かを批判した気になれるくらいナイーブな人間も少ないだろうけど)。本書の執筆者のひとりでもある竹信三恵子もそう。そんな極端なことを考えている人もいるのかもしれんけど、私としては、全員の所得をいちおうは保障する制度は絶対にあるべきだと思うよ。一部のBI支持者の「黒い思惑」なんか差し当たりどうでもいいのだ。どっちみち世の中思った通りにはいかないんだから。賃金労働によってしか生活できないことを日本人はもっと嘆くべきだろう。鈍感な小市民は自分がいかに不幸で不自由かを理解することさえ出来ないのか。ベースアップだとかそんなことで喜んでいてはいけないのだ。食うために働く賃金奴隷がいなくなればいわゆるブルシット・ジョブだって駆逐されるんじゃないのか。わからんけど。もう人間なんかやめちまえよ。俺は今日から鳥になる。ぴちゅぴちゅ、かあかあ。腹減った。虫食いにいくわ。あばよ人間ども。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?