『暴力と聖なるもの』要約・考察・疑問点

ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』
とりあえず1回読んだので、備忘録として、要約と考察と疑問点。
自分のためのメモなので、内容の正確性は保証できません。
無断転載は禁止です。

※具体例をメモしておけばよかった。忘れてた(2023年12月1日)

▼要約
・第1章 供犠は復讐の連鎖を止める機能を持つ。現代社会では、法体系が直接復讐する権利を国民から奪っている(と同時に、国民の代りに復讐をしてあげる仕組みが法体系とも言える)。いずれの社会も、復讐の連鎖を止めるような機能を持とうとすると言える。カインとアベルは供犠と暴力のはけ口の話として読める。カインはアベルと違って、動物を生贄に捧げなかった。それは暴力のはけ口を持てなかったことを意味し、結局カインはアベルを殺してしまう

・第3章 差異の危機は、父殺しと近親相姦によって解決される(分からない)。と同時に父殺しと近親相姦は、供犠の危機を覆い隠している(分からない)。ペストも供犠の危機を隠している(分からない)。オイディプスの犯罪は一切の差異の終わりを意味する。母との近親相姦は、父と息子の差異を無くす、差異の極端な破壊である。

・第4章 王は罰せられるために近親相姦をしなければならない。王がその身に、皆の満場一致の暴力・罰を受けることで、平和が保たれるらしい。王に外婚の掟を侵害するように強制するのは、彼を許すためではなく、罰するためである。

▼考察
・直接の報復を奪う法体系下では、司法に対する信頼低下が、合法的犯罪行為の増加や私刑の頻出を招く(別記事で書いた)
・社会心理学のバランス理論との関連(別記事で書いた)
・生贄に対する暴力は「始祖的なもの」であるらしい。進撃の巨人でも、戦争や暴力の始祖的な存在が描かれていた。
・スターウォーズのクローン戦争も、差異の消滅による暴力の連鎖と言っていいんだろうか?実際、戦争は皆同じ顔をし、同じ言葉を叫ぶ区別のない人間になることから始まると思う。
・供犠には、何かしらの暴力から自分を守るためという機能と、自分の暴力を抑えるためという2つの機能があると思う
・差異の消滅は、双子とかだけじゃなくて、怪物や仮面のように違うものがごちゃまぜになったもののことも指す。フーコーが法を超えた存在として怪物を論じたことを思い出そう。
・炎上も迷惑なことをやる誰かがあわれるのを待っているんでしょ。口ではだめだとか言いながら。
・供犠はもしかしたら、生贄を殺すことによる罪悪感によって、復讐の連鎖を止めるという側面もあるのでは?つまり、ただ生贄の身体の上に処罰感情や暴力の欲求を発散させるだけではないのでは。チュクチ族は、関係のない人を生贄に差し出されるが、それでも納得できるのは、罪悪感を伴うからではないか?

▼疑問点
・現代社会をどう見たらいいか分からない。どう応用したらいいか分からない。
・現代社会でも暴力の連鎖を止める供犠としての暴力ってあるのかな?
→死刑、いじめ、炎上は?
・現代でも差異の消滅による暴力の連鎖ってあるのかな?
→異性獲得を巡る対立(別の記事で書いた)、あとは?
・暴力の連鎖を止める機能としての暴力。どちらが暴力か分からなくなる
・クローンって差異の消滅で暴力の起源になるだろうか?

▼この本の位置づけ・理解度と課題・次に読む本
・この本の位置づけ
キーワードとしては、始祖的な暴力、いじめや炎上のようなスケープゴート。

・理解度と課題
第1~4章は比較的読めたが、それ以降は関連知識がないと苦しい。特に、フロイト『トーテムとタブー』、ソポクレスなどギリシャ悲劇、レヴィ=ストロースの親族構造、これらのせめて概略的な知識が必須である。

・次に読む本
次に読むとしたら、釘原『スケープゴーティング』、内藤朝雄『いじめの構造』、ルネ・シェレール『歓待のユートピア』だろう。『歓待のユートピア』はなかなか手強そう。『暴力と聖なるもの』と同じように、ギリシャ悲劇の知識を前提として議論が進みそうな予感。関連知識を蓄えてから挑むのがいいだろうか。あるいは、ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル:主権権力と剥き出しの生』(Amazon レビューで関連ある書籍として紹介してる人がいた)。


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