余裕は大事ね

タバコの吸い殻をポイ捨てする人の心理を考えてみたのですが、私にはわかりませんでした。
そして道端に捨てられた吸い殻を拾いながら帰る自分の心理も考えてみたのですが、やはりこれもよくわかりませんでした。(ゴミ拾いをするのはごくたまに、です。)

ただ、ゴミを拾っている時の私には余裕があるということにだけ気づきました。疲れ果てているわけではなく、持ち物もそれほど多くなく、ゴミを入れるのにちょうどいい袋を持っていて、時間に追われてもいない。
ゴミ拾いのモチベーションとしては「環境保護のため」「自分の人間性を磨くため」「かわいいイッヌたちが気持ちよく散歩できるようにするため」「自分のことを好きになるため」など色々思いついたのですが、コレだ!というのはないんです。
だから、行動に移すかどうかはこれをしたいという理由の大きさとそれをするだけの自分の余裕とのバランスの問題なのではないかという結論に至ったのです。
きっとどんなに善良な人でも、ブラック企業勤めで自分が死にかけているときに野生動物の健康なんて想像する余裕はないし、すっごい面倒くさがり屋の私も暇な時は掃除をしようかなという気分になる。

ということで、ルールを守らない人にはそれなりの理由があって、ルールをしっかり守ったり他人のために行動できたりする人にはそれなりの余裕がある、という風に考えることにします。
だから今後エスカレーターで割り込みをされたら「ああ、この人はこんな簡単なルールも守れないぐらい追い込まれているのか。大変だな。」と考えるし、嫌味ばかり言う人のことは「自分のことばっかりで他人と少し先の未来のことは考えられない残念な人なんだな。」と考える。
まあこんな風に相手を見下す考え方しかできない私もまだ余裕が足りないのかもしれないけど。自分のことを自分で守るにはこういう対応もありでしょう。

そして逆に自分が何かやらかしてしまったとき、「きっとあのときの自分には余裕が足りなかった。それは何が原因だろうか。ちょっと休んでみようか。」なんてふうにやわらかく理由を考えてみたらいいんじゃないかと思うのです。自分にも他人にも厳しすぎるのはつらいから。
それから迷惑をかけた相手がいればその人に謝ったりお返しになるようなことをしたりすれば最高じゃないでしょうか。

自分でもよくわからないままですが、行動そのものじゃなく"余裕"について考えることでワンクッションはさむと新しく見えてくることがあるかもしれないと期待しています。

読んでくれたあなたに、たまにいいことしちゃうぐらいの余裕がありますように。

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